カゼタチヌ

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 ここは風鳳社の白木の階段である。  朝露に濡れ、白く瑞々しかったその階段は所々が炭化している。  朝の清々しい空気に触れていると昨日の出来事はなにかの間違いで、本当は夢だったのではないという錯覚に陥る。  しかし、ここにコダマをはじめとした社の神職たちの姿はない。  やさしそうな笑顔を見せていたイラメも、少し慇懃無礼なかんじのミヤツコも、そして親切にしてくれた神職たちの姿はない。  底抜けに明るい笑顔と元気を周囲に振りまいていたコダマは、本当はまだどこかで生きていて、社を支えるあの太い柱の影から何事もなく現れるのではないかとキジヒコは思う。  しかし、その願いはさきほど埋葬したコダマの生気の抜けた表情を思い出すと霧散する。  すべては現実だったのだと思い知らされる。  モモタケルたちが崖下を探すも、飛び降りたミヤツコの遺体を発見することはできなかった。崖下には小川が流れており、ミヤツコの遺体は流されてしまったらしい。できればコダマ、イラメとともに……とモモタケルは思ったが、ミヤツコが自身の娘であるコダマを殺害した事実を消すことはできない。  ミヤツコの遺体をどう扱かおうかと思っていたモモタケルにとってはかえって僥倖とも言えた。  しかし、キジヒコの受けた精神的なダメージは大きい。  鬼の撃退には成功したものの、失ったものが大きすぎたのだ。  そしてもっともキジヒコの心を黒く蝕んでいるのが、結局は誰も救うことができなかったという事実である。 「キジヒコ様、キジヒコ様! カリビトノキジヒコ様! ってさ、みんなで崇め奉って! でも、あんたは何かしてくれたわけ?」というコダマの言葉がキジヒコの心を苛む。コダマの真意は別にあったかもしれないが、それが現実となってしまったことに変わりはない。  太陽が昇って来た。  昨日と同じように日が昇ると風鳳山一帯にかかっていた霧が晴れて社と山の全貌が姿を現す。    コダマの埋葬を終えたキジヒコは風鳳山の頂上に視線を向けている。 「……キジヒコ様……」キジヒコがオノヒコの声を受けて振り返った。 「……オノヒコさん……」キジヒコの言葉は続かない。 「キジヒコ様、私は今回の戦いで鬼は危険なものであり、我々に危害を加えて来る存在である以上は討伐するべきであると感じました」 「ああ、う、うん……」キジヒコの反応は薄く、気分は重い。 「……キジヒコ様は今回の戦いでは誰も救えてないと考えいませんか?」オノヒコの言葉がキジヒコの心を抉る。  キジヒコは何も反応できないでいる。 「結論から言うとそんなことはありません」オノヒコの顔はいつも通りに朗らかだ。 「確かに神職さまたちはみなお亡くなりになられました。イラメさまもコダマさまも、そしてミヤツコさまも、亡くなられました。しかし、鬼どもが求めていた風鳳さまの勾玉はどうです? 風鳳さまの力はどうなりましたか? それらはすべてキジヒコ様が手にいれたはずです。鬼どもから守ったのです」 「しかし、それではカリビトノキジヒコとしての役割が……」 「いいんですよ。そんなことは!」オノヒコの声が大きくなる。その表情はさきほどと異なり苦しい。 「そもそも子供に頼るような私たち大人が悪い。それにキジヒコ様が大きな過失を犯したわけではありません。みなが最善を尽くした結果がこれなのです」 「で、でも……」 「だったら、強くなってください!」 「強く……」 「そうです。強くなってください、今よりも。あの鬼どもなんかより強くなってください。神職さま達から受け取った希望の灯火を消さないでください。それが生き残った私たちにできる最大限のことなのです。生き残った者の責任なのです」 「責任……」 「私は無学なので難しいことはわかりません。しかし、鬼は危険です。あれを野放しにしていると、また無辜の民が殺されます。鬼どもは殺しを楽しんでいる。いつか、誰かが討伐しなければなりません。それができるのはキジヒコ様、あなたたちです」  キジヒコはオノヒコの言葉を考える。生き残った者の責任。この言葉が重い。モモタケルはその言葉の重みと、そして自分もその復讐の対象である鬼であるという矛盾の重みを自覚していた。  しかし、モモタケルにしても、キジヒコにしても、後悔をしても何も始まらないのだ。もうやるべき事、なすべき事は動き始めている。 「もう、始まっているんだね」キジヒコはコダマを埋葬した方向に視線を移す。コダマはイラメと並べて埋葬した。風鳳はいずれ我々の魂は長い時間をかけて再び巡り合うという。それを永劫回帰というとも。  そうであれば、並べて埋葬することの意義はあるのか、ないのか、わからない。しかし、キジヒコは思うのだ。魂には意志があり、現世にとどまったり、魂が導かれる場所に行くには、その意志が力が必要であると。  それゆえに離していけないのだ。  そして思う。コダマは今の自分を見ているのだ、と。魂となったコダマはいつもキジヒコを見ているのだ。  その心は曇っていないか。正しく生きているか。つまらないことを考えていないか。自分の存在を卑下していないか。あきらめていないか。後ろ向きになっていないか。自分の考えを持っているか。  そして、与えられた力を人々のために使っているか、ということを。  風鳳山に日が昇り、その周囲の霧は完全に晴れた。  天空にはまだ雲があるものの、その雲を陽光が貫き、社にやさしい日差しの柱がたった。 「俺も難しいことはわかんないや。だからさ―――」キジヒコはオノヒコの瞳を真っ直ぐに見つめる。 「俺は俺が正しいと思ったことに最善を尽くすよ。それがキジヒコとして生きるということではなく、俺が俺として生きることだと思うから」  キジヒコに光の柱がかかり、その姿を明るく照らした。    キジヒコは鬼という存在に幼馴染みであるコダマをはじめとした近しい者たちを奪われた。それはこの世の地獄絵図。  そしてその地獄のような光景は生涯忘れることはないだろう。  キジヒコはオノヒコに笑顔を見せる。 「キジヒコ様……」その様子にオノヒコは安堵する。 「さぁ、そうと分かれば次の目標を決めないとな?」と、キジヒコはモモタケルたちに諮る。 「その話ですが、イズモにいる一族から勾玉らしきものの情報があります。次はイズモへ行ってみましょう」と、エンノジョウが提案する。  一同にとってはのぞむところである。 「あ、そうだ。オノヒコさん」 「はい」 「俺、鬼の討伐が終わったら、またここに戻るよ。その時まで待っていてくれるかな?」 「? はい、もちろんです。お待ちしています」と、オノヒコは返すが、キジヒコの言葉の意味にどちらも気づいていない節がある。  その一連のやりとりを見ていたイヌキが顔を赤くする。「……キジヒコ、ちょっと……」と言ってキジヒコを連れ出す。 「いやぁ、しかし、オノヒコ殿にそのような趣味があろうとは……。意外です」と、エンノジョウはオノヒコの肩に手を置き、感慨深く言う。 「? え? 何がですか?」 「みなまで言わずともいい。わかります」と、エンノジョウは一人納得する。  この後、キジヒコの言った言葉の意味を理解したキジヒコとオノヒコがあたふたとするのはまた別の話である。 神代のタケキモノ 「カリビトノキジヒコと風鳳」編 完
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