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ササラが鬼―――。
なんだろうか。この胸の奥に感じる嫌悪感。
モヤモヤとかいう優しい形容では表現しきれない。
体が熱くなり、虫唾が走る。皮膚の内側にミミズが張っているようなムズムズ感。モモタケルは自分でも表情が硬くなり、体に力が入っているのを感じる。もう檜の清々しい香りも感じなくなってしまった。
―――しかし、自分も鬼なのだ―――この避けることのできない事実だけがモモタケルの心に虚しく残った。
「モモタケル殿」エンノジョウが諭すように話しかける。
「モモタケル殿の申し出についてお返事しなくてはなりませんな」そうなのだ。そのためにここまで来た。
「―――はい」しかし気分が乗らないのはその答えが見えているからだろう。
「このウミの津は鬼も人間も平和に暮らしています」そうだろう、それは見ればわかる。
「キビの村のことは聞きました。本当に気の毒に思います。しかし―――」エンノジョウは視線をわずかに落とす。
「それが事実であっても、その襲撃の理由が明らかではない以上、その活動に力を貸すことは難しい―――」エンノジョウの視線がこちらに向く。
「つまり、鬼ヶ島の鬼の殲滅に力を貸すことはできません」
―――一体、この男はどちらの味方なのか!
「それはササラ殿が鬼ヶ島の鬼だからですか?」語気が強まっているのが自分でもわかる。しかし止められない。
「それとも鬼も商売相手だからですか? そんなに―――」言ってはならない一線である。しかし、モモタケルにはもう止めることができない。
「そんなに金が、富が大事なのですか? 昔、スサはこの地方の鬼を滅ぼして平和な地域を創造した。あなたの一族も力を貸したはずです。そのショウジョウの一族が今度は鬼に力を貸すというのですか?」呼吸が早くなる。動悸がする。頭が、痛い―――
「!? モモタケル殿、それは―――?」
エンノジョウの顔には驚愕の表情が浮かんでいる。
手ぬぐい越しに額の違和感―――角を確認する。
!? 角が―――手ぬぐいから出ている! しまった! しかしもう遅い。
「ふふふ、驚きましたか? そうなのです。私は鬼なのです。鬼に故郷を滅ぼされたのに。しかし、私も鬼だったのです」モモタケルの告白にエンノジョウは黙っている。
「そうであっても鬼ヶ島の鬼を許すことはできない。あなたはあの惨劇を知らないからそのようなことを言えるのです。ここの鬼が人を食わないと思っているのですか?」なおも、エンノジョウは黙っている。
「鬼ヶ島の鬼は人を食います。ササラ殿とていつそうなるか分かりません」
エンノジョウは「ふー……」を息を漏らす。そして憐れみを帯びた表情をこちらに向ける。
「分かりました。少しお話ししましょう」エンノジョウはなぜこのウミの津には鬼がいるのかについて語り始めた。
「スサが鬼退治を始めたのはキビの鬼たちが鉄を精錬する技術を持っていたこと、そして―――人間を食っていたこととされています」
「やはり人を食うのですね―――」自分もいつかそうなるのだろうか。モモタケルはその事に対して単純に絶望を感じる。
「いや、それは正しくないのです。あなたも猪や魚を食べるでしょう?」
「はい。食べはしますが―――」それとは問題が違うような気もする。
「鬼には食べたものから能力を得られるという信仰があります。だから彼らは一族の中で亡くなった者が出ると食べる習慣があるのです。それをスサたちは鬼に食人の習慣があると誤解したのです」
「ではなぜショウジョウの一族はスサに力を貸したのですか?」
「この鬼たちの習慣は後になってから―――最近になって分かったことなのです。だからスサに力を貸したキビツ、カリビト、ショウジョウの一族は知らなかったのでしょう。当時、この地方では鬼は珍しく、ニシの陸から渡って来たばかりであったはずですから」この話が本当だとするとお互いに無駄な争いをしていることになる。簡単に信じられる事ではない。
「なぜ、最近になってそのような事が分かったのですか? なぜ、当時は分からなかったのです?」
この質問にエンノジョウは少し困った表情を浮かべる。口元の髭が下がるからかその表情の変化は読み易い。
「当時も―――おそらくスサには分かったいたことでしょう。しかし―――」エンノジョウは言いよどむが話を続ける。
「それだけスサたちは鉄が欲しかったのです。鉄とその精錬技術を独占できれば莫大な富が手に入ることになる。そのためには、鬼が邪魔だった」モモタケルは頭が真っ白になり、鳥肌が立つ。これが人間の業というものなのだろうか。
その報いを今を生きる無関係な、ただ幸せに生きていた者たちが受けることになったのか? そんな理不尽がまかり通るのか?
―――言葉が出て来ない。
「私は家業である交易を広げるために色々画策しました。そのためにはニシの陸との交易は避けては通れません。しかし、我々には舟を作る技術がない。スサから授かった操舟の技術はあるのに! その時に妻に出会ったのです―――」
「妻は―――スサに滅ぼされた鬼の一族。キビの鬼の生き残りだったのです。そしてササラ殿はその妻―――キサラの侍女であり、失われたスサの八剣技の一つである『七星』の技と『七星』の太刀を引き継いでいます」
スサの八剣技―――天枢、璇、璣、権、玉衡、開陽、揺光そして七星。なぜ鬼であるササラが七星を? その疑問は残る。
「そろそろ出ましょう。長湯は体にも良くない。話の続きは宴の際にします。皆さんにも分かってもらった方が良いと思いますので―――」
そう言うとエンノジョウは先に上がってしまった。
エンノジョウは妻であるキサラ、その侍女ササラはキビの村の生き残りの鬼と言っていた。では、自分は?
一つの可能性がモモタケルの脳裏に浮かんだ。
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