鬼の一族

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鬼の一族

 ついに人間が支配するキビの村を滅ぼした。  あの日の仇を取ったのだ。  忌まわしいあの日からどれほどの月日が経ったのだろうか。  イズモノスサ  この名を忘れることはできない。  我らの村であったキビノムラを奪い、一族を根絶やしにした男。  それに付き従った人間ども。タケスメラギ、サクヤサヤカをはじめとした者どもだ。  タケスメラギはこの手で討った。父の仇だった。  俺たちは今日、あの日やられた事をやり返しただけだ。  これで一族の恨みを晴らすことができたのだ。  鬼ヶ島はキビノムラから海上に出て、舟で渡らなければ辿り着くことができない。目視で見える距離ではあるが、この海域はフカが多い。どんなに水練達者であっても泳ぎ切ることはできない。  完全な安全地帯である。 「鬼一……」 「静姫ではないか。喜べ。今日、仇を討ってきたぞ」 声の方を見ると妻の静姫がいる。戦果を報せるも、その表情は晴れやかではない。むしろ曇っている。 「女子供も殺したのですか?」 「……無論だ。生きているものは全て殺した……」  ……いや違う。全てではない。スサとともに我らを苦しめたあの女戦士と人とも鬼とも得体のしれない男は討ち取れていない…… 「なぜ、そのような惨い事を……。恨みがまた恨みを呼びます。あなたにも妻と子がいるというのに……」 「それは言うな。これも鬼頭一族の長としての務めだ」  静姫が言わんとしている事は理解できる。しかしだ。あの日、我らを虫けらのように蹂躙したスサとその仲間たちのことを許すことはできなかった。  スサの目的は「鉄」とその「精錬技術」だった。そのため、先祖伝来の鉱山は奪われ、技術も盗まれ、同胞もたくさん殺された。  ただ殺されただけではない。  男は生きたままその内臓を引きずり出され、女は夫の前で犯された。子供は男女の区別なく、弓矢で追い立てられた挙句に射殺された。自害した鬼も多い。あの時の人間どもの下卑た笑い声は忘れようと思って忘れられるものではない。  我々に一体何の恨みがあったというのだ。ただ鉄のために我らは殺された。  襲撃の仕方も巧妙だった。日頃の精錬作業を労うと称して酒を振舞う。我らには酒を飲ませ、自分たちは飲んでいる振りをした。 「情けなし。偽りなしと聞きつるに鬼神に邪なきものを」  これが族長であった父の最期の言葉であった。  鬼はその死に際に見たものを目に焼き付ける能力がある。  父の右目にはスサの仲間たちが使用するという七つの剣技がしっかりと収められていた。天枢、璇、璣、権、玉衡、開陽、揺光である。  もともと鬼は人間よりも身体能力に優れる。スサの剣技を身に着けた我々にとって人間など相手にはならない。今日、それが証明された。  話によるとスサたちはキビノムラの山向こうでも同じような手口で八つの鬼の一族を滅ぼしたらしい。  ただ、我らは舟を扱えたので、少人数ではあるがこの島に逃れることができたのだ。    その夜、島にいる鬼たちを集めて、勝利を祝った。 中央には供養塔を立ててあるが、その下には何も埋まっていない。同胞たちの遺体をこの島まで運ぶことができなかったのだ。  ただ、あの時、俺は一族の長であった父の遺体を食った。その力を自分の血肉とするために。それは鬼としては正しい行為だった。今回も人間を食ったので、その能力を得ることができたはずだ。人間独特のあの狡猾な考え方―――鬼にはない発想だ。  祝いの席では年配の鬼たちは積年の恨みを晴らしたので陽気だ。 そこかしこで今日の武勇伝を語っている。あのような事があったので酒はあまり好きではないが、今夜は皆で祝杯をあげた。  笑い盛り上がる同胞を見ながら頭をよぎるものがある。  今後はどうすれば良いのだろうか。  他の地域の鬼族はそのほとんどがスサたちに滅ぼされてしまった。そうすると鬼は我々だけだ。個人個人の戦闘能力がスサたち人間に劣っているとは思わない。しかし数が違い過ぎる。  それに人間は舟の扱いに慣れていないようだが、今後もそれが続くとは思われない。残忍で狡猾な人間たちのやることだ。その内、漕舟の技術も身に着けるだろう。  そうなるとここも安住の地というわけにはいかない。 といって、今の我々に人間を滅ぼすほどの力があるとは思えない。スサの国は我々が思っている以上に大きくて強大だ。  当面はこの島を簡単には上陸できないようにしなければならない。  今後の方針がぼんやり決まった時だった。戦場での様相を話している鬼の声が耳に入った。 「ところで知っておるか? 人間の中に鬼一殿に傷を負わせた者がいるとか」 「人間の膂力で鬼一殿に傷をつけることはできんじゃろう」 「わしもそう思うたのじゃが、見た者もおる」 「スサに従うあのジジイとババアでも鬼一殿には敵わなんだぞ? 確かジジイの方は鬼一殿が討ち取ったそうじゃの」  人とも鬼とも得体のしれない男のことだ。もう噂になっている。 あの時、あの男の目は鬼の目のように燃えていた。そしてその頭からは…… 「鬼一殿、こちらにも来てくだされ。ご老台たちがお待ちかねです」 「よし。ご老台がた、鬼一が参りまする」  あの男は間違いなく鬼だ。  しかし、それはまだ誰にも言えない。  島の空を見上げると篝火で照らされた夜空が鬼の目のように真っ赤に染まっていた。    
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