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何かしらの事情
「それは本当か? あからさまに怪しいな」
「俺も怪しいと思うけどなぁ……」
夕餉をとりつつ、ササラの件を話す。
イヌキ、キジヒコ双方ともに予想通りの反応を示す。
「でも甘い香りがしたんだ? ちょっと興味あるかも……」そう言う顔が少し赤くなる。
キジヒコはこう見えてもお年頃というやつだ。同じ女性として身に着けるものに興味があるらしい。
「しかし怪しくても明日の日の出までにはキビの浜には行ってみよう。村の者もキビの浜沖に舟が停泊しているのを見た者がいる。舟があるのは確かだ」イヌキがお膳に上がっているヤマメの身を解す。
目はヤマメに向いているものの、その頭では明日の行動について考えを巡らしているようだ。
「ショウジョウの一族の力を借りなければ舟がない。舟がなければ鬼ヶ島に行けない。そうすると……この地域の安全を保つことができない」本当はキビの村の仇―――復讐を果たせない、と言いたいところではあるが、それではキジヒコは私怨に付き合わせていることになってしまう。
イヌキはキビの村の事情をよく知っているため何も言わない。相変わらずヤマメの身を解している。
―――実際は仇討だけが戦いに赴く理由ではない。そう言った意味ではイヌキにも本当の事は言っていないのだ。
「じじさま達もスサと鬼を滅ぼした。俺はそのキジヒコの名をこの弓矢とともに継いだ。戦になったら任せてくれ」
キジヒコは若い。それゆえに猪突猛進。それを利用しているとは思わないが少しだけ心が痛む。
これが良心の呵責というやつか―――
明日の日の出にはキビの浜に着いていなければならない。今夜は早々に各人の部屋に戻り、休むことにした。
部屋へと続く廊下を歩いている時だ。背後に人の気配がする。この廊下は鴬張りになっているため背後の気配に気付きやすい。
振り向くとイヌキがいる。
「どうしたイヌキ」少し神妙な顔だ。
「いやな。お前、スサの剣技はどこまで習得している?」
少し嫌な質問だ。その実、スサの剣技は全て習得していない。私の得物は太刀である。当然のことながらキジヒコが修めた弓の奥義である揺光は全くと言っていいほどに知らない。
それだけではない。二刀の玉衡、槍の開陽、弓の揺光、そして太刀の七星。そのいずれも習得していないのだ。
「じい様からは天枢、璇、璣それから権までしか習っていないよ。得物が太刀だから本当は……」
「そうか。俺は二刀だ。伝来のアマツチ、ミズチの対の刀。そして俺が修めたのは玉衡」イヌキの着ている白い直垂の腰には二本の刀が差されている。
「太刀の奥義は知っての通り七星。そして太刀の奥義は七星の太刀とともに継がれる。スサが去って後、七星だけ行方が知れない。しかしだ……」イヌキは自ら落ち着くように深呼吸をする。
「ふぅ……。驚くなよ。ササラ殿が持っていたあの太刀。あれはおそらく七星だ」自分でも動悸が早まるのがわかる。なぜなら……
「そんな事はあるまい。スサの剣技はスサとともに鬼を退治した者たちに受け継がれたはず。本来ならじい様かばあ様が受け継いでいるはずだ。スサを助けたのはキビツ、イヌガミ、カリビトそしてショウジョウの一族だ」
「そうなのだ。そこがおかしい。なぜキビツの一族であるじい様とばあ様は七星を持っていなかったのか?」
「そしてなぜササラ殿が七星を持っていたのか? か……」
「この地域はもともと人食い鬼が支配しており、人々は苦しんでいた。そこにスサが現れて」
「人々を救った」イヌキの言葉を繋ぐ。そこは間違っていない。ワカヒコが言うように多少の誤解があったとしても―――
「なぁ、モモタケルよ。ひょっとしたら、俺たちが知らない何かしらの事情があったのではないだろうか?」
「何かしらの事情……」心の中で反芻する。それはもしかすると私の出自にも関係があるのかもしれない。
それにワカヒコの話では鬼が絶対悪というわけでもなかった。あくまでイズモ人には悪に見えた。だから滅ぼした。これは我々が知らない事実だった。それに似た事実があるのかもしれない。
「とにかく明日の日の出にササラ殿に会わなくては始まらない。今日はゆっくり休むとしよう」
「ああ。そうだな。ゆっくり休めよ」そう言いながらイヌキは爽やかな笑顔を浮かべ、その白い直垂を翻しつつ自室へと向かった。
その仕草は爽やかイケメンそのものだ。イヌキにはいつも自分にはないものを感じる。
私は自室に入り、着用していた黒い直垂を赤い衣架に掛ける。佩いている太刀は刀架には掛けず、自分の傍らに置く。いつでも抜けるようにするためだ。これはあの日から―――村が滅ぼされた日からついた習慣だ。
疲れていたのか横になると直ぐに落ちた。
『サキラ……それは本当なのか?』
『本当です。これが私の生き方なのです』
『ばかな事を言うな。俺たちは―――』
『それは関係ない事です!』
瞼の裏に映るのはやはり燃える村の光景だ。いや……少し違うような。
燃える村の中を逃げる者がいる。それを追う大勢の足音が聞こえる。やはりキビの村だ。『裏切者を殺せ!』『裏切者を殺せ!』
ここで目が覚めた。
呼吸が早まっているのが分かる。まるで正体のわかない者から逃げているような焦燥を感じる。寝具が汗でびっしょりだ。
頭が重い。違和感がある。
その時、ふと銅鏡に映る自分の姿が目に入った。薄暗い中に蒼白な自分の顔が浮かぶ。目だけは炎のような赤だ。
そして―――銅鏡に映る違和感を手で触れる。
「……これは角……」そこに映る自分の姿は紛れもなく鬼だ。キビの村を襲った鬼と相違ない。
イヌキは「俺たちが知らない何かしらの事情」と言った。
これも「何かしらの事情」なのだろうか。
「イヌキ……俺は鬼のようだ……」力なく言葉が零れた。
頭が鉛のように重く感じるのは角のせいだけではないようだ。
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