違う景色

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違う景色

 もうすぐ日の出だ。  ぐずぐずしているとイヌキが来てしまう。今、この状況を見られるのはマズい。自分でも今の姿を信じられないのだ。イヌキに対しても上手く説明できる気がしない。  先ずはいつもの黒い直垂を着る。  それよりも頭だ。目が赤いことも気になるが角はどうしても目立つ。  角は額の生え際辺りから二本生えている。幸いそれほど長くはない。小指の第二関節ほどだろうか。  何か手頃な物は―――じい様の形見である額当てがある。これが良い。髪を高元結にし、額当てを装備する。 「これでは本当に敵討ちのようだな……」ばあ様からもらったキビ団子。そして形見の額当て。  おそらくイヌキ達はこの旅立ちの日に並々ならぬ決心した。と、思うことだろう。なにしろ今まで身に着けたことのないじい様の額当てを身に着けているのだから。  それにショウジョウの一族が味方になれば、鬼ヶ島への上陸が可能であることと同義。    つまり、私が鬼退治を最終的に決心したことの無言の表明に他ならない。  しかし、私は鬼だ―――。  この事実が心の底に澱のように沈殿し、鬼退治という明確な目標に影を落とす。  形見の品で自分の正体を隠すという行為も何か恥知らずな事のように感じる。  太刀を佩き、鴬張りの廊下の向こう側にある中庭へ出る。石、砂、苔などで野趣を表現する石庭というやつだ。  昨日までは池や木々を石や砂などに替えて表現する趣向を美しく感じていた。しかし、今はただの虚構に見える。    その庭に静かに下り立つ。まだ、誰も起きていないようで屋敷はしんとしている。辺りは薄暗く日の出まではまだ時間があるようだ。  東の空を見ると雲が真っ赤に染まりつつある。  その赤が鮮血のような迸る美であるかのようでもあり、陽光の力強い生命力のようでもあるかのように感じる。  その気持ちの悪い前者の感受性は紛れもなく自分の中の鬼の血がそうさせているのだろう。 「よし、では行こうか」いつもより明るい声を出すことができたので安堵。  イヌキたちとキビの浜に向かい出発する。途中、キジヒコから「その額当てかっこいい」などと茶化されることがあったが、「それはモモタケルの父であるタケスメラギの形見だ」とイヌキに説明された後は神妙な顔つきとなり、あまり話題に上ることもなかった。  イヌキは何も言わないが案の定、私が仇討を深く決意したことの現れと了解しているようだった。 「モモタケル! イヌキ! 海だ! 海だぞ! 俺は初めて見た」  久しぶりにキビの村を通ったが、遺体を埋めた土盛りだけある場所となっており、ここに村があったことの面影は既にない。  イヌキは私に気を遣ってかキジヒコに対してキビの村のことは敢えて触れず、海の水は舐めるとしょっぱいだの、川にはいない生き物がたくさんいるだのと説明し、キジヒコの興味を廃墟ではなく、海に誘導している。 「モモタケル! この先に竜宮城という城があるらしいな。イヌキから聞いたぞ。俺はこれから虐められてる亀を探し、そいつを助けて連れて行ってもらうつもりだ」元気にキジヒコは主張する。その嬉々とした表情からは人を疑うということを知らないというオーラを発している。  キジヒコはイヌキに何かを教えられてその気になってしまっているようだが、現実にはそんな都合よく虐めれている亀はいないと教えるか、そもそもキビの浜に何をしに来たのかを教えるのが良いのか判断に困る。 「キジヒコ、あのな―――」イヌキを見るとニヤニヤしながら人差し指を口元に立てている。「余計な事を言うな」という意味だろう。 「キジヒコ、今日の用事が済んでから探そうか?」ついついイヌキの誘いに乗ってしまった。 「フフ……モモタケルも竜宮城へ行きたいのだろう? では競争という事になるな。知っているか? 亀には一人しか乗れないそうだぞ」キジヒコはすっかり乗り気だ。ここまで来ると多少は気の毒になるも、その純真さは微笑ましい。 「日の出はまでは少し時間がある。俺は少し浜を見て来る。誤解するなよ。抜け駆けではない。これはあくまで偵察だ」そう言うなりキジヒコは浜へ駆け出した。見通しは良いので見失うことはないだろう。 「モモタケル」キジヒコが駆け出したのを確認し、イヌキが話しかける。その白く整った顔には何かに気付いたという表情が浮かんでいた。 「モモタケルよ。色々あると思うが、俺はいつでもお前の味方だ。それはあの時以来、変わっていない」イヌキの言うあの時とは幼少期のことを言っているのだろうが、あまり覚えていない。 「言えない事は聞かない。詮索もしない。ただ、それだけは覚えておいてくれ」入元結に結ばれた髪が潮風に舞う。イヌキは相変わらずのイケメンだ。外見だけではなく、その内もそうなのだ。 「―――すまん」次の言葉が出てこない。ついつい目線も下がる。この気持ちを言語化するにはまだ心の整理が必要ということなのだろう。 「さてさて、ササラ殿はどこか……」イヌキはその話題には触れず、浜へとゆっくりと歩き始めた。  海の向こうを見ると日が出ている。その陽光は辺りを照らし、東の空は先ほどよりも真っ赤に染まっている。  日の出だ。  ふと浜辺に視線を送ると一艘の磯舟が見える。先ほどまでは何もなかったと思ったが―――その磯舟には太刀を佩き、桃色の羽衣を纏った一人の天女が陽光に包まれながら立っている。ササラだ。その長い髪が静かに靡いている。 「お待ちしておりました。必ず来るものと思っておりました―――」ササラは私の姿を見て一瞬その視線を止める。それは誰にも気が付かないほどの一瞬だ。私の内の何かが昨日会った時と異なっていることに気付いたのだろうか。だとするとササラという人間は相当に勘の良いご仁だ。 「ささ、狭いですがこの磯舟に。あそこに見えるのが我々の舟です。あれは大型の舟、陸舟と呼んでいるものです」ササラは沖を示す。 「あれが……」イヌキが目を丸くする。イヌガミの村は内陸に位置する。海そのものも珍しいとは思うが、あれほど大きな船は私も見たことがない。 「モモタケル、イヌキ。あの舟には家が建っているぞ! じじさまの家よりも大きいのではないだろうか」いつも間にか戻ったキジヒコはやや興奮気味だ。  磯舟は小さいながらも我ら三人とササラが乗っても少し余裕があった。 「それでは参りましょう」ササラが磯舟を沖へと進める。ササラは船尾に取り付けられている棒のようなもの(櫂というらしい)を巧みに操り、舟を前進させる。 「今日は良い凪です。ウミの津までの航海も優雅なものとなるでしょう」  我々はこうしてササラの陸舟に乗船した。  陸舟は海原を勢いよく前進する。帆というものがその前進を可能にしているらしかった。  舳先に立つと潮の香りが強く感じる。舟が海を切り裂く際に生じる白く淡い泡のせいかもしれない。  海は日の光りを浴びて光輝いている。その輝きが我らの未来を照らす一条の光りのなのか、それとも嵐の前の静けさなのか。    その白い泡を見ていると生まれては消えるその儚さに自分の存在を重ねていることに気付いた。
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