鬼の刻

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鬼の刻

 むかし、昔。神代の昔。  それはまだ神話が生きており、ふたりの神がアメノヌボコで創造したとされるヤシマの島々に、人と鬼とが住んでいた時代。  ここはヤシマのキビの村―――。  この村はかつて鬼である「鬼頭一族」に支配されていた。  今はその面影はない。  子供たちは仲良く連れ立って遊びまわり、年老いた老人たちも若者から尊敬され、穏やかに暮らしている―――そんな平和な村。  男たちは自らの仕事に熱心に取り組み、女は皆優しく美しい。    モモタケルノミコトが育った「キビの村」とはそのような村だ。    じいさまは山に柴刈りに、ばあさまは川に洗濯に行った。  村の若者のひとりであるモモタケルは今日も山間の渓流でヤマメを釣っている。たくさん釣れれば皆に分け、釣れなければまた明日来れば良い。    今日は陽気で日も温かく木漏れ日が無数の柱を形成しており、何気ない渓谷ではあるものの、自然の神秘性を感じさせた。  頭上を見上げると山桜の淡い薄紅色の花たちに代わって緑の葉が茂っている。木陰に入ると静かな渓谷に吹く風のささやきが岩にしみいる。  小川に手を入れると指の隙間をやわらかい流れがここちよく、新緑のさわやかな香りが初夏の訪れを無言に、しかし確かに告げてくる。    今朝、家を出立する時に近所のサエちゃんが「今日もたくさん釣れるといいね」などと言っていたが魚も生き物だ。  彼らにとっては生きるか死ぬかの問題。そんなに都合良く釣れはしない。  糸を垂らしている川の流れを見ていると自分の生い立ちに思考が及ぶ。桃から生まれた男児ということになっているが―――いや、それはあり得ないだろう。  水面に映る自分を見てもじいさま、ばあさまには似ていない。ふたりともにのっぺりとした平面顔であるが、自分は少しばかり彫りが深い。イケメンというよりはワイルド系だろう。  目の色も黒というよりは少し明るい―――緋色のような気もする。背丈も村のみんなに比べると高い。  頭には―――さすがに角は生えていない、か。    モモタケルのじいさまとばあさま(育ての親というのが正しい)が言うには「ばあさんが川で洗濯をしている時に川の上流からドンブラコッコ、ドンブラコッコと流れてきたんじゃ」と、言う。  川になにかしらの果実が流れる―――そういう事もある、かもしれない。  問題は次だ。 「ばあさんが川から拾い上げて、じいさんがその桃を切ると、なんということでしょう。中から桃のようなオノコが」  川で桃を拾う―――そこまではいい。  しかしである。食べるつもりで切ったとしたら、中の赤ん坊も一緒に斬ってしまっていたのではないだろうか―――ー。    いやいや、違う。  まぁ、そこも違和感がないではない。  しかし、もっと根本的な問題点がある。  それは桃の中に人間の赤ん坊が入っているということである。人間は桃から生まれるという性質を持った生き物ではない。通常、生き物、特に哺乳類はその母体から生まれてくるものだ。  人間以外の生き物はどうか。鶏を見よ。卵から生まれて来るではないか。  しかし、その卵ももともとは母鶏から生まれて来る。  ここで推察される事はふたつ。  単純に捨て子を拾ってきた、若しくは何か訳ありの子供を引き取った。  いずれにしてもモモタケルは桃から生まれたわけではない。  桃から人は生まれない。    モモタケルも今年で18才である。人として生きていく上ので常識も身に着いている。剣の腕は近隣の村々の評判になるぐらいには達者だ。  そんなオノコが納得できないもの。  それが自分の出自である。  じいさまとばあさまは何かを隠している。  自分という人間をどういうものとして定義するのか。  その存在意義―――自分のアイデンティティーはこの年頃の人間にとっては意外と大事なものだ。  川面の浮きがクンっと沈んだ。  魚が掛かった合図だ。  その合図に合わせて竿を上げる。すると針が魚に掛る。釣り上げるときれいなヤマメだ。もう少し釣れると近所にも分けることができるなと思いながら釣り再び糸を垂らす。  魚籠の中の釣り上げたヤマメを見る。元気良く跳ねる。活きが良い。  できればこの調子で釣りあげたいが、相手も生き物である。そんなに上手くはいかない。    案の定、しばらく糸を垂らすも釣れなくなってきた。日も暮れかかってきている。三匹―――じいさまとばあさまと自分の分―――は釣れたので今日はこれまでと帰り支度を始めた。  山を下り始める。夕暮れ時の渓谷に沿って心地よい風が吹き抜けた。初夏である。気持ちの良い風だ。   風は心地よい香りがするのだが、なにか少し焦げ臭いような気がする。しかし、周囲で焚火をする者はいない。そもそも人が見当たらない。気のせいかと思い、モモタケルは歩を先に進める。  麓に近づくにつれて焦げ臭さはますます強くなる。モモタケルは嫌な予感がしてきた。それに伴う焦燥―――。  村が襲撃されている、とか。  いったい誰に盗賊か?  落ち武者か?  それとも―――鬼、か?  鬼はない。  この地域の鬼はイズモから来たスサたちに退治されているのだ。それにじいさまとばあさまも共にスサと戦ったと言っていた。じいさまたちが退治したんだ―――そう頭では理解しているものの、何かが燃えるこの臭いが消えるはずもなかった。  ―――モモタケルは走り出した。  麓の村に到着し、最悪の光景を目の当たりにする。  村の全てが燃えている。  家も畑も何もかも。  盗賊の類か、それともどこぞの落ち武者が現れたのか。  皆目見当がつかない。  胸の奥につかえるような衝動がモモタケルを駆り立てた。  何者かが人家の塀に隠れて周囲を窺っている。    村人だ。  モモタケルは事情を確かめるために話し掛けた。 「ビックリするじゃないか。いきなり話しかけるんじゃない!」  よく見ると幼馴染のイヌキである。隣村にいるはずだが。 「―――なんだモモタケルか」と、イヌキはモモタケルを確認し、少し安堵した様子で答える。  イヌキから手短に村の事情を聞く。  奴らは急に現れた。  馬に乗り、手当たり次第に火矢を放った。女子供にも容赦なく斬りかかった。多くの村人が死んだ。  しかし、不思議なことにモモタケルはここまで来る間に、イヌキと出会うまでの間に村人の遺体を見ていない。 「―――落ち着いて聞いてくれ。相手は鬼なんだ。鬼は人を食べるんだよ」  モモタケルはイヌキの言葉を素直に飲み込めない。 「―――だから……喰われちまったんだよ!」  イヌキの肩ががたがたと震えている。イヌキの手に握られているのはいつもサエちゃんが大事に持っていた人形だ。 「サエちゃんは……」  モモタケルは言い掛けて止めた。その人形からは血が滴っていた。 「俺は既に鬼を二匹斬った。まだ生きている村人もいるはずだ。モモタケルも一緒にきてくれ!」  イヌキが力強くモモタケルの肩を握りしめる。 「お前のじいさんとばあさんは向こうで戦っているはずだ」  じいさんとばあさんとはモモタケルの育ての親。    昔、桃を拾った夫婦―――タケスメラギ、サクヤサヤカの夫婦はかつてスサとともに「鬼頭一族」を殲滅した英雄でもある。  「行こう。向こうだ」  イヌキは迷うことなくふたりの英雄が戦っている村の中心部へと向かう。  モモタケルにふたりの英雄が戦っているのが見える。  素手で戦っている。鬼たちに囲まれてはいるものの、ふたりは踊るように戦う。    鬼―――その肌は薄黒く、目は火が燃えているかのように赤い。そして最も人間と違うのは頭には角が生えていることだ。 「おお、モモタケルよ、遅かったの。久しぶりの戦じゃというのにまったく体が動かぬ。年とは怖いものじゃ」と、タケスメラギ。言葉とはうらはらにその動きに隙はない。 「ふふふ。年は取りたくないものね。ほらほら、モモタケルもじいさんに加勢しなさい」と、サクヤサヤカ。  ふたりとも農民然として野良着ではあるものの、その動きは一騎当千のもののふのそれである。  鬼たちの攻撃をあしらう様に躱し、急所に対して的確な打撃を入れる。その一撃は素手ではあるが、そのまま気を失い倒れる鬼もいた。  その昔スサとともに村を鬼から解放したという話だったが、やはり嘘ではないようだ。 「モモタケル……」  それを見ていたイヌキが腰の刀をゆっくりと抜き放つ。その殺気が四方に放たれた。 「いかん、モモタケル! そやつは……」 じいさんの顔が歪む。  次の瞬間、イヌキがじいさまを一閃する。  ―――じいさまの首がその足元に落ちていた。  いったい何が起きた? じいさまの体がゆっくりと倒れる。  イヌキが刀を濡らして立っていた。 「タケスメラギ!」と、ばあさまの絶叫が空気を切り裂く。 「だがもう遅い……」イヌキはそう言うとばあさまの背後に音もなく移動し、その刀で刺し貫いた。肉が裂かれる音が聞こえた。 「お前……鬼頭の一族だな……」 「ばあさんよ、直ぐには殺さぬ。モモタケルがいたぶられながら死んでいくのを見せてやろう。その後は四肢をゆっくりと切り刻んでやる」  ばあさんは肺を刺されたのか激しく咳き込み吐血する。  今までイヌキだと思っていたそれは徐々に姿を変えていき、ついには鬼の姿になった。鬼は刺した刀をばあさまを蹴りながら抜く。  ばあさまはその場に倒れ込んだ。  モモタケルには何が現実なのか、これは夢なのか。それにしては現実感が強い。  肉が焼ける臭い。じいさまの首。そしてばあさまの血の臭い―――。 「私は鬼頭一族の長 鬼頭鬼一だ。覚えても無駄だ。お前たちはここで死ぬのだからな!」  それを聞いた周囲の鬼たちが一斉に笑い出す。村人たちの陽気な笑い声とは違い、人を嘲る卑しい下卑た笑いだ。 「お前もただでは殺さぬ。その身に絶望を与えてから殺す。それがこの襲撃の目的だからな」  モモタケルは黙って刀を抜いた。  これは現実―――あまりの理不尽さに冷静にすらなっている。  これまで修めた剣技は天枢、璇、璣、権の四つ。鬼の動きに合わせるには足技で相手を翻弄する天枢が良いだろう。  モモタケルは集中力を一気に高める。それに伴い、呼吸が早くなる。  先に鬼が動いた―――速い。  目で追いたいところだが、相手の動きを捉える技である璣と天枢とは相性が悪い。同時に発動はできない。  今は天枢で相手の動きについて行くしかない。  後手だ。  鬼が鋭い突きを繰り出してきた。モモタケルはそれを天枢で移動速度を上げて避けつつ横一文字に太刀で一閃。鬼の身体を捉えはしなかったものの、勢いこのままに攻勢に転じた。  後の先を取ったのだ。    天枢の踏み込みは通常とは違った足運びをする。そのため、達人であればあるほどそのタイミングを逸しやすい。よって、自然と相手の隙を捉えることができる。  しかし、鬼は余裕があるのか、笑っている。 「それが天枢の足技か。なかなか面白い」  鬼はモモタケルの攻撃を同じ天枢のような動きで避けて見せた。そんなはずはない。天枢はスサがこの村に伝えた剣技。鬼が知っているはずがないのだ。 「―――面白い。が、ただそれだけだな」  その言葉を最後に鬼の姿がモモタケルの視界から消えた。  消えたのではない。鬼は地面に這いつくばるほどに態勢を低くしたのだ。その事に気づくのが遅れた。 「―――反応も遅いな」  モモタケルは脚に鉛を落としたような重みと焼いたコテを当てられたような熱を感じた。鬼の刃がモモタケルの左脚を深く捉えたのだ。 「先ずは一本、二本と」  モモタケルの左脚が斬り上げられ、宙に舞う。返す刀で右脚も切断された。  身体が地に落ちた。一瞬にして両の脚を失い、地に這いつくばる。血が止まらない。  世界が横に倒れた。地面に伏しているモモタケルの頭を鬼が踏みつけたのだ。 「もう終わりか? 次はばあさんの腹から内臓でも引きずり出そうか?」  鬼一の言葉に再び鬼たちが下卑た笑いを広げる。 「そう言えばサエちゃんとか言っていたな―――」  言うなり血に染まった人形を桃太郎の顔に投げつけた。その人形は血を含み、地面に血が滴り落ちている。 「子供の肉は大人と違って美味かったぞ。柔らかくてな」  鬼はナルシストのような恍惚とした表情を浮かべる。 「命乞いをしている様なぞはお前にも見せてやりたかったな」  鬼たちの下卑た笑いがより一層響きわたる。  朦朧とした頭でモモタケルは周囲を見渡す。  村の家々は黒く焦げ、焼け落ち、見る影もない。生きている人間の姿は窺えず、ところどころ鬼たちが集まっている場所では死体となった人間を争って喰っている。  遠くから甲高い悲鳴が聞こえてきた。それは村の避難壕の方向だ。そしてその悲鳴には聞き覚えがある。村の若い女性たちのものだ。    この季節、村の中心部は夏の花が咲き誇り、その香りに季節の訪れと自然の営みに感謝した。  しかし、今、この村では人肉が燃え、血の臭いで溢れかえっている。人々の痛みが、苦しみが、そして絶望が渦巻いている。 「黙れ、下郎どもが―――」  モモタケルの中で何かのタガが外れる音がした。  胸の奥が熱くなり、これまで感じたことのない獣性が自分の中に生じたことを感じる。目の奥が熱い。そして頭が割れるように熱い。  眩暈がする。  息が苦しい。  まるで水の中に沈められているような感覚。  体が熱く、体内から焼いた鉄が噴き出るような感覚だ。  気付くと太刀で鬼を袈裟に斬っていた。どうやって斬ったのかは思い出せない。  しかし、完全には斬れていない。刀が体の真ん中で止まっている。鬼が使うという鬼術で体を硬化させたのだ。 「なんなのだ、お前は。その目の色はどうした? その姿はなんの真似だ?」  鬼が動揺しているのがはっきりとわかる。モモタケルは自分でも驚くが両の脚が再生していた―――動ける。まだ戦える。  体中に力が漲ってくる。こんな感覚は味わったことがなかった。  驚く鬼たちを尻目に周囲の鬼の首を二三個斬り落とす。 天枢の技と相まって鬼たちはその動きにまったく反応できない。このまま一気に鬼どもを討伐することができそうだ。  モモタケルは思う。みなの仇は―――討たねばならないのだ。  その時である。  一匹の鬼がある方向を指さす。 「鬼一様、あれを。人間の一団です。スサどもと同じ臭いがします」  鬼はチッと舌打ちをする。 「一旦ここは退く!」  鬼は仲間の鬼たちに号令を掛ける。 「モモタケルよ、これで勝ったと思うな! 人と鬼の戦いは始まったばかりだ。いずれお前も俺が喰らう!」  鬼は負け惜しみを言うとこちらの言を待たずに煙のように姿を消した。  鬼が指差した方向を見ると、若いもののふたちが白い直垂を着た若者に率いられているのが見えた―――あれこそ、白い直垂を着たイヌキだ。その腰には二刀を差している。  モモタケルがばあさまに近づき、様子を確認する。意識を失っているが息はしている。まだ死んではいない。  しかし、じいさまの首が落ちたのは幻覚なのではなく、現実だ。モモタケルはその首を大事に抱え込むと、まだ温かかいぬくもりを感じる。  じいさまとは一瞬の別れだった。  モモタケルは今おかれている状況を確認すると天を仰いだ。するとすぐに目の前が暗くなったの感じた。  モモタケルは意識を失い、その場に倒れ込んだ。  村の惨状を押し流すように重い雨が降り始めた。  
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