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ブスっ……
俺の腹が急に痛くなった、それから燃えるかのように熱くなる。
「え?」
八幡貴子は右手を差し出していた。婚約指輪を受け取るためではなく、ナイフで俺の腹を刺すために差し出していたのである。
ナイフが引き抜かれると、八幡貴子は返り血でその身を真っ赤に染めた。
俺と八幡貴子の間にピンと張った運命の赤い糸も、俺の返り血を浴びて赤黒く染まっていく……
俺は手に持っていた婚約指輪を地面に落とした後、膝から崩れ落ちてしまった。
八幡貴子はそんな俺をニヤニヤとしながら笑顔で見下していた。
「渡くん? どう? これから死ぬ気分は? そうだ、念入りに抉っとかないと」
八幡貴子は膝を曲げて体勢を低くすると、更にナイフを俺の腹に刺してグイグイと抉り始めた。それから俺を抱きしめ、耳元で囁くように呟いた。
「人を見た目で判断するクズのままでありがとう」
俺は声なき声で「どういうことだ……?」と言うかのように口を動かした。
それから八幡貴子は信じられないことを口にし始めた。
「神待渡くん? あたしのこと覚えてる? って言ってもわかんないよね? あたし、顔も名前も変えたもん。あたしはかつて『矢倉音詩』って名前の女だったの。高校の時の同級生だったんだよ? あなたに告白もしたこともあるんだよ? フラれちゃったけどね」
俺は矢倉音詩の名を聞いた瞬間、高校の時にいた「バケモノ」のことを思い出した。
あの顔を思い出すだけで先程食べたディナーが遡上してきそうになるが、腹をナイフで抉られた痛みと熱さでそれどころではない。
「あたしね? 人の悪口を言わないし、醜女だったあたしにも分け隔てなく接してくれたあなたのことが好きだったの。フラれたのはまぁいい。あの顔だったら仕方ないもんね? でも、それを人に話して笑いものにしたのだけは許せない! そのせいでイジメられた! 助けてもくれなかった! 所詮はあなたも顔だけで人を判断するクズだった!」
そんな…… 覚えてねぇよ…… 俺は恨めしそうな目で八幡貴子…… いや、矢倉音詩を見つめた。
「引っ越ししてから自分を変えた! 顔だって整形で変えたし、名前も醜女だった時のことを思い出すから改名した! 就職したら、その会社に神待くんがいた! あなたは優しくしてくれた! でもキレイになったあたしに優しくしてるだけのこと! 元の顔のままだったら優しくしなかったでしょ? 付き合いもしなかったでしょ?」
そう言った後、矢倉音詩は俺を乱暴に突き飛ばして倒した。
天を仰げば、広がるキラキラと輝く瞳のような星々達。俺はそいつらに向かって指を指した。そして、心の中で叫んだ。
「こうも歪めたのは…… お前らのせいだ…… 俺も…… 含めてな!」
俺はそのまま腹の痛みと熱さと言う苦悶に包まれながら力尽きた。
立ち尽くす矢倉音詩の右手の運命の赤い糸は神待渉の血に染まりながら風に虚しく揺れる……
神待渡と矢倉音詩は運命の赤い糸で結ばれた「運命のふたり」であった。それを断ったのは何だったのか……
それを知るのは天に輝く星々かもしれない。
おわり
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