田中の憂鬱(現代へお帰りなさい)

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田中の憂鬱(現代へお帰りなさい)

 なあ、と橋本が俺をつついた。案外酔いが回っているのか、すぐにぼんやりしてしまう。頭を一つ振って、何、と応じた。 「ダサ男君、遅くないか。トイレでダウンしているんじゃないかな」  確かに、彼がトイレへ行ってからもう二十分近く経過している。 「大分酔っ払っていたもんな。大丈夫かね」 「俺達が心配するのも変だけど、後ろの人達はきっと帰って来て欲しくないだろうから敢えて放置しているのかも」  肩越しに合コン中のテーブルを確認する。和やかに談笑していた。隣にいるガタイのいい二人組も合コン側を全く気にしていない。やっぱりダサ男がやかましすぎたのだ。彼がいないと誰もが得をするなんて、ひどい話だが真理である。それはそれとしてトイレで嘔吐物を喉に詰まらせていたら死んでしまう。便器に顔を突っ込んで、抜けなくなって溺れ死んでいるかもしれない。 「どうする。俺らが見に行く?」 「二人も必要無いだろ。田中か俺、どっちかで十分だよ」 「よし、じゃあじゃんけんな」  後ろから見えないよう体で拳を隠して構える。最初はグー、と言ったところで、でもさ、と橋本が制止した。 「何だよ」 「彼を見付けてダウンしていたとして、俺達はどうすればいいの」 「決まってんだろ。お連れ様、ぶっ倒れていましたよって教えてあげるんだよ」 「せっかく今、向こうはいい空気なのに?」 「しょうがないじゃん。俺達のせいじゃないもん。飲みすぎたダサ男君が悪いし、止めなかった彼ら彼女らにも責任がある」 「うまくいっている合コンを邪魔するのもなぁ」 「じゃあダサ男が死んでもいいって言うのか。ゲロを喉に詰まらせたり、便器で溺れたり、急性アル中で朦朧としているかもしれない」  小声で言い争っていると、俺ちょっとトイレ、と声が聞こえた。振り返ると綿貫が席を立っていた。急にファインプレーを繰り出すな。びっくりする。 「もし倒れている人がいたら速やかに報告しろ」  耳打ちするも返事は無かった。トイレへ向かう背中を見送る。たまたまガタイのいい二人組の内の一人が綿貫の前を歩いていた。凄い肩幅だ。綿貫の方が手前にいるのに、肩幅の人の方が近いような錯覚を起こす。今夜は個性的な人が多いなぁ。俺みたいな普通の人の方が稀少なのではないか。  焼酎のおかわりを頼もうとメニューを手に取る。今飲んでいる物は芋の香りが強く、如何にも酒という感が強い。次は麦で爽やかに楽しむか。四種類ある中から、後味さっぱり、と書かれている物を選ぶ。店員さんに頼み終えた時、丁度綿貫が戻って来た。心なしか顔が赤い。居酒屋のトイレで赤面する意味がわからない。こいつも酔いが回っているのか。でも今日は大して飲んでいないんだよな。途中からずっと黙りこくっているだけで酒すら口に運ばない。じゃあ何で赤面している。駄目だ、わからん。 「綿貫。トイレで何か変わったことはなかった?」  橋本が問うと反射的に目を逸らした。別に何も、と早口で答える。 「嘘つけ。あからさまに何かあった反応じゃねぇか」 「何も無い。俺は何もしていない」  こちらへ向き直り、きっぱりと宣言した。てっきり目が泳ぐかと思ったが、ここまで毅然と言い切られてはそうか、としか言えない。 「あぁ、でも個室ですげぇ吐いている人がいたな。あまりに大声で吐いているからこっちの気分も悪くなった」  デカい声でゲロを吐いているとなると候補は一人に絞られる。やはり駄目だったか、ダサ男。その時。 「俺、トイレを見てくるよ」  ワイシャツにスラックスのモテ男、斉藤君が立ち上がった。綿貫も結構声がデカいから聞こえちゃったのかな。 「いいじゃん。もういい歳なんだし、酔い潰れても自己責任だよ」  佐那さんが引き止める。そりゃそうだ。奴が戻ってきたらまた絡まれる。個人的には素の顔を晒せばいいと思うのだが、佐那さんのプロ根性からすれば決して折れるわけにはいかないのだろう。いや、知らないけど。こっちは話を盗み聞きしているだけだし。 「まあ、酔った時はお互い様ってことで」 「優しぃ」 「イケメンだわぁ」  斉藤君に黄色い声が飛ぶ。彼は足早に俺達の後ろを通り抜けた。パーカー君が、俺も行く、と慌てて後を追う。 「今から行ってもお前の好感度は斉藤君に勝てんぞ」  佐那さんのヤジが飛んだ。うん、絶対にそっちのキャラの方がいい。変にぶりっ子をしたところでいずれ素顔は暴かれる。演じる自分にも耐え切れなくなる。だったらありのままの自分を受け入れてくれる人との出会いを求める方がきっと楽しい。恋愛経験の無い俺ではあるが、内心で何を考えようが俺の自由、というわけで勝手に佐那さんへエールを送らせてもらった。彼女が知る由もない。そんな偉そうな俺の前に酒が置かれる。今度は匂いがあまりしない。そっと口に含む。味もそんなに主張して来ないのに、アルコール度数が高いため刺激を感じた。総合的には爽やかで飲みやすい。だから危ないな、水を欠かさず飲むようにしよう。  そうこうする内にトイレから二人が戻って来た。ダサ男の姿は無い。パーカー君が腕でバツを作った。 「マジ冷めるわ。本当に何なの」  佐那さんが怒る。姐さん、怖いっすね。つくづく何で甘々キャラを選んだのか。 「ごめん、連れて来た俺が悪い」 謝るパーカー君に、飲みすぎた奴が悪い、と佐那さんがはっきりと言い切った。 「内村さん達は先に帰っていいよ。俺と斉藤で面倒を見るから」  そう告げられて、どうする、と女子の一人が呟いた。 「私は残る。一緒の席にいた責任があるからね」  迷い無く佐那さんが答える。拍手を送りそうになり、膝の上で手を握って堪えた。流石姐さん、と橋本が耳打ちする。格好いいな、と囁き返した。 「気持ちは嬉しいよ。ありがとう。でもほら、見せたくないところもあるからさ。これでも俺達、あのバカの友達だから」  斉藤君が寂しそうに溜息交じりに呟く。イケメンだねぇ。佐那さんの心意気にお礼を述べ、ダサ男をバカと認めつつ友達であると言う。格好いいよ。そりゃモテるわ。 「お前と違って正統派のイケメンだな」  橋本に意地悪く伝えると、イケメンだな、と都合の悪いところは聞かないふりをした。今まさに、斉藤君と橋本の差を自ら体現してくれた。ありがとよ。 「そこまで言うなら仕方ない。任せるよ。悪いね」 佐那さんが渋々引き下がった。そして連絡先の交換が行われる。五人の中で誰かが結婚したら、残りの三人は結婚式に呼ばれるのかな。あの時の合コンは酷かったよね、なんて笑い合う中にダサ男の姿は絶対に無いと確信する。ドンマイ。
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