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こそこそ話す二人を横目に酒を飲む。急に寂しさを感じた。橋本は、モテる自分を自覚し受け入れて、女子と上手に交流出来るようになった。合コンでも街コンでも、卒なくつつがなくお喋りをして連絡先を交換する。綿貫は、子供の頃から同じプロ野球チームを応援して、今は二軍の目立たない選手のファンとして足繁く球場に通っている。この店で本人に会えたのは、こいつの熱意を神様が見ていてくれたのかも知れない。そう思わせるほど熱中している。
俺はどうだろう。橋本のように長所や才能は無い。綿貫みたいに熱中していることも無い。仕事をして、ぼーっと酒を飲んで、テレビを流し見しながらスマートフォンを弄って、眠くなったら寝る。張り合いも盛り上がりも無い。三人で喋るのは楽しい。定期的に集まって、酒を飲みながらどうでもいいことを話すのが至福の時だ。でも、不意に二人と比べてみると、俺の手元には何も無い気がして寂しかった。まったく、本当に酔いが回っているのだな。
「どうした田中。飲みすぎたか」
「疲れたって言っていたけど、溜息が多すぎるぞ。吐くならトイレへ行け」
親友二人が揃って俺の顔を覗き込んだ。ありがとう、と笑顔を浮かべる。そして吐かないよ。ダサ男と一緒にするな。そう言おうとした時、トイレからまさに当の本人が帰って来た。足元はふらつき、壁に手を付いてゆっくり歩いてくる。斉藤君とパーカー君が駆け寄った。両脇からダサ男を支える。何とか椅子に座ったダサ男は、女の子は、と舌っ足らずに呟いた。可愛くない。
「帰したよ。お前がそんな状態だから」
パーカー君が首を振りながら答える。嘘だろ、とダサ男はパーカー君のパーカーの裾を掴んだ。おい、伸びたら弁償しろよ。
「お前、お前、あの、可愛い子。俺、まだ、連絡先、交換、してない、ぞ」
呂律が回っていない。それなのに声は相変わらずデカい。全力で店中に恥をさらしているようなものだ。だが誰も何も言わない。ダサ男に迷惑をかけられた合コンの参加者達を除けば、酒で失敗したことの無い人だけが今この場で彼を責めることが出来る。俺は何度も酒で迷惑をかけたから権利が無い。だからこうして皆傍観している。
「そんなべろんべろんに酔っ払った男の連絡先なんて誰も欲しがらないよ」
「酔ってねぇ。酔って、ねぇ」
「いいから水飲め。ったく、女の子の前だといっつもこうなんだから」
斉藤君が愚痴りつつ店員さんに水を頼んだ。そうか、女子の前では格好を付けちゃう輩なのか。それなのに彼に付き合うなんて、斉藤君もパーカー君もやっぱり優しいなぁ。ダサ男は隣の椅子に倒れこみ、いびきをかき始めた。残された二人は盛大に溜息をついた。お疲れ様。
「すげぇな」
綿貫が呟く。
「いや、店中に声が響いたって点ではお前も同じだから」
「俺は感動と緊張が最高潮に達したからあんな風になっただけだ。一緒にしないでくれ」
きっぱり否定し鼻を鳴らした。ところでさ、と橋本が話を引き取る。
「さっきの話。田中、ちょっと元気無い? 直前まで盛り上がっていたのに、急に溜息を連発するなんてどうしたんだよ」
隠すことでもないので二人に考えていたことを伝える。そんなことはない、と真っ先に綿貫が否定した。
「何も無いなんてことはない。お前は凄くいい奴だ。それは俺達が保証する」
力強い言葉。何度も頷いている。おう、と応じた。
「気にするなよ。人と比べて自分を卑下するなんて何の意味も無い事だぞ」
橋本も言葉を掛けてくれた。サンキュ、と礼を述べる。三人揃って酒を煽る。沈黙がカウンター席に下りた。二人は俺が次に発する言葉を待っているらしい。微笑みこちらを見詰めている。ではご期待に沿うとしますか。
「で?」
俺の返事に二人が戸惑う。
「え?」
「ん?」
「お前ら二人が俺を慰めようとしてくれたのは伝わった。ありがとう。それはそれとして、結局俺の手元には何が残っているのかね。お前らはどう思う。出来れば具体的な意見をくれ」
悪いが欲しい答えが来なかったんだ。二人揃って満足げににこにこしていたが、俺は全然納得していない。親友相手だ、横暴に振舞っても罰は当たるまい。二人は途端にカウンターテーブルへと視線を落とした。前後左右へ時折首を傾ける。酒を空にするまで待ってみたが誰も何も言えなかった。さて、そろそろお開きかな。最後の一杯は最初から決めてあったんだ。
「すみません。黒糖焼酎をロックで」
店員さんに頼むと、綿貫があぁっと声を上げた。
「酒。そう、酒。お前、酒好きじゃん。色々飲むじゃん。旅行先でも色々飲んだり買ったりしてるじゃん。酒、詳しいんじゃないの。ほら、あるじゃん田中にも得たものが」
それだ、と橋本も乗っかった。
「田中には酒があった。お前と言えば酒だよ。合コンだろうが街コンだろうが誰とも喋らずずっと酒を飲んでいる。そんな奴、他にいない。田中くらいのもんだよ」
頬杖をつく。こいつらこそ本当にいい奴だ。一生懸命、何か無いか考えてくれたんだもんね。我儘言ってごめんね。でもな。
「俺、酒には詳しくない。飲むのは好きだけど語る知識は持っていない。それに、合コンだろうが街コンだろうが誰とも喋らずずっと酒を飲んでいる男ってそれただのアホじゃねぇか。俺はアホの自覚があってやっているからいいけど、今この場面でいいところみたいに挙げるのはいかがなものかねぇ」
二人がまた下を向いた。そんな絶望的な空気を無視して店員さんが俺の前に酒を置いてくれる。程よい香りが鼻をくすぐる。口に含むと優しい甘味が一気に広がった。あぁ、美味い。何も考えず、うんちくなど垂れず、ただただ酒を楽しむのが俺は好きなんだ。だからごめんな綿貫。俺、全然酒には詳しくないんだ。
うーん、しかしそろそろ意地悪はやめるとするか。ごめん、と笑いを堪えて二人に声をかける。
「二人の人生が充実しているから、嫉妬したんだ。俺の人生に張り合いがないのは俺のせいに決まっている。お前らが相手だから、ちょっと八つ当たりしちゃった。ごめんな」
橋本と綿貫の肩から力が抜けた。いいよ、と橋本の表情が緩む。八つ当たりなんてするなバカ、と綿貫が俺を軽く小突いた。昔と変わらぬじゃれあい。そしてまたしても、三人揃って酒を煽る。綿貫と橋本がおかわりを頼んだ。そんな親友達に、俺さぁ、と静かに切り出す。
「最近、前にも増して心が動かないんだよね。こう、平均台に棒が乗っているところを想像してくれ。棒が俺の心な。片方に傾いたら、それは興味があるとか好きってこと。反対に傾いたら、嫌いってこと。昔は色々な物事に対して棒が傾いた。好き、嫌い、って気持ちが動いていた。だけど近頃、あんまり振れなくなってきた。どうでもいい。関わりたくない。そんな風に感じちゃう。平均台の上で、棒が完璧なバランスで綺麗に横たわっている。何か今日、バランスって言葉を何度も聞いたけど、それこそ見事なバランスよ。不動、ってね」
うん、やっぱり酔っ払っているな。何がバランスだ。例えとして全然上手くない。バランスねぇ、と二人が呟く。多分ぴんと来ていない。
「まあ興味の湧くことに出会えるといいな」
「それこそ合コンとかで運命の相手に出会えたら、心のバランスなんてあっという間に崩れるよ。いい意味でね」
橋本がバランスを引用してくれた。つくづく話の上手い奴。ありがとう、と礼を言い、俺は水を頼んだ。
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