しあわせ計画【ヤンデレ編】

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しあわせ計画【ヤンデレ編】

「監禁したい」  篝火はヒカルにそう囁く。幸運をもたらすらしい百合の香水の薫りに包まれている。 「家に閉じこめて、誰にも見せないで、私だけのものにしたい」  いくらヒカルが他人の感情の機微に疎くても、未就学児の時に出会って高校卒業と共に男女のお付き合いと同棲を始めて就職してからもずっと一緒に居て、その間ずっと思い詰めた表情で定期的に口走られれば、いい加減篝火が本気だと言うのは理解する。己の親友である朱雀曰く篝火は【ヤンデレ】であるらしい。定義名が付くと安心するタイプである彼女は、篝火の性格と行動が突飛なものでなく類似例があると聞いて、それだけで安心して自己処理を終えてしまった。 「ヒカルちゃん、君の大叔父さんに似ているって事は二次元の住人か、現実じゃ犯罪者なんだよ」  親友のツッコミは残念ながらヒカルの脳まで届かなかった。愛しい人のハイスペックさにメロメロなのだ。彼女の脳内は十分お花畑なわけで、他人のツッコミが届く余地等あろうか。 「お誕生日が近いですが、何が欲しいですか?」  出会いは二十七年、お付き合いを初めて十五年目の今年(去年は東北の完全予約制の温泉宿で過ごした)篝火の誕生日が近づいてヒカルが尋ねた時の篝火の返事はやっぱり「監禁したい」であった。 「コートとか家具とか、何か欲しい物はないんですか」 「だってマンションもルンバも圧力鍋も買っちゃったし、僕が欲しいのって、もうヒカルちゃんしかないよ」 「篝火さんには私の全てをもう差し上げたはずですが」 「うん、貰ってるね。でも僕は業突く張りだから、ヒカルちゃんの時間も感情も全部独占したいんだ」  こてんと額をくっつけて、ゼロ距離の真っ正面で篝火はヒカルに告げる。ヘーゼルアイには黒髪で垂れ目の女が球面で映っている。篝火が見ている、ヒカルの星降る宵のような瞳の正面にも、篝火だけが丸く歪んで映っている事だろう。ヒカルには篝火だけで、篝火にはヒカルだけで、それは確かな事なのに、篝火はそれだけでは足りないと訴える。 「大叔父様」 「なんてね!」  ヒカルが口を開く前に、からっからに明るい声が遮った。 「もちろん冗談さ。今年はネクタイがいいな。ヒカルちゃんが選んでくれた物は評判いいんだよ」  篝火は普段通り穏やかに続ける。ふうと息を吐いて、ヒカルは一つの事を決意した。 「七十歳のお誕生日おめでとうございます。プレゼントです」  言葉と共にテーブルに置かれたのは雑誌の切り抜きだった。誕生日ディナーの後、まったり落ち着いたティータイム、毎度お馴染プレゼント交換の時間である。 「どうしたのヒカルちゃん。何か面白い記事でもあったかい?」 「こちらが、私の転職先ですわ」 「転職?」  篝火は鸚鵡返しに聞き返した。誕生日プレゼントと転職に何の関係があるのだろう。耳を疑った篝火は記事を読む。 『今期のホラー小説大賞は神風夜空の著した『虫籠の中の心臓』に与えられた。この本は既に二十万部を売り上げ、今まだなお部数を伸ばしている。神風夜空は他にもミステリや紀行文なども発行しており、どちらも評判が高い――』 「……ヒカルちゃんいつの間に本出してたの」  『神風夜空』はヒカルの学生時代のペンネームである。彼女の職業は図書館司書だったはずだ。確かに、本に関わる仕事を経て作家になる人は少なくないが……。 「教えてほしかったなぁ、お祝いしたのに」 「誕生日プレゼントはサプライズの方が喜びも増すでしょう? 『誕生日プレゼントは監禁がいい』と仰ったのは篝火さんではありませんか」  応えるヒカルは「何を分かり切った事を問うのか」と言わんばかりの顔だ。 「言ったけど」 「図書館――というか外に勤めていては出勤の必要が生じます。出勤で家を出ては『監禁』は成立しません」 「そうだね」 「仕事を辞めてずっと家にいるというのは私の性格上生き地獄ですわ。何か手はないかと思っていましたら、いつの間にか通帳の額が八桁になっていましたし、ちょうど良いと思いましたの」 「ヒカルちゃん……」  じわじわと感動がわいて、篝火は涙目でヒカルの手を握った。さっきドヤ顔だったヒカルは今更恥ずかしくなったのか、顔を逸らして横顔で呟く。 「勿論、篝火さんの収入で十分暮らしていけるのは判っておりますが、何もしないで家にいるのは嫌ですの」 「ヒカルちゃん……!」  篝火はヒカルに飛びつくように抱きしめた。途中飛び越えたテーブルがガタガタ音を立てたが、互いだけを見ている恋人達には全く気にされない。 「監禁されてくれるんだね」 「篝火さんのためだけではありません、私の意志ですわ」 「外に出ないで僕の作った食事を食べて風呂も寝る時も僕に全部世話をされるんだよ? それでいいのかい?」 「それは大叔父様にも言える事ですよ」 「僕も早く目標金額まで貯めて引退するからね」  ちなみに篝火の職業は、今のヒカルと同年代の時は外資系投資銀行に勤める金融アナリストであった。四十路リタイア説のある、夜討ち朝駆け二十四時間戦えますかのトンデモ業界にあえて飛び込んだのは、高負荷高収入の職でさっさと稼いで金を貯め、早急に悠々自適な隠遁生活を送るつもりだったからだ。四十代に入ってヒカルと出会い、その人生計画は『二人だけの世界』に大幅に変更されたが。朝から晩まで働いているくせに、未来の伴侶の生活管理を把握しているHSD(ハイスペックダーリン)である。 「私も、これからは在宅ワークで篝火さんを支えます」  今だって掃除は凝り性のヒカルと、毎日地道に床掃除するルンバの担当である。洗濯はどちらか手の空いた方で、ヒカルに夜勤があって不規則だったぶん篝火の割合が高かったが、それが今度はヒカルの担当で固定になると言うだけであろう。 「ヒカルちゃん結婚してくれ」 「もうしております」  しっかりと握りしめあった二人の左手の薬指には、プラチナのリングが光っている。篝火がけじめをつけたいと、ヒカルが就職する前に親戚が勤めているグアムの教会で結婚式を挙げた。流石に知人友人達は呼ばなかったが、両親兄弟は参列している。篝火が二回離婚歴があるのはともかく、恋人の気配も全く見せずに大叔父の事だけを頬を染めて喋る娘に内心諦めを抱いていた両親は、カミングアウトされても「やっぱりね」と思っただけで祝福し参列した。  物心つく前から自分達の都合に振り回してしまったし、友人や同僚、ご近所から、イマドキの社会に溢れる高齢独身の息子・娘の話を聞いていれば、子供がパートナーを見つけてきてくれただけ良い方であろう。しかも相手はよく知った身元も性格も把握ずみの存在だ。別の男をあてがったとして孫の顔は見られるかもしれないが、別の家を買ってべったりになる可能性も高い。最悪海外へ逃げられる。ちょっと男の趣味が変わっている以外は可愛い娘だ。引き離しても他の人間を好きになるとも思えない。  そう、ヒカルの家族は思ったのだった。正直反対したところで、この二人を引き離せるとは考えられない。駆け落ちされて音信不通にされるくらいなら、受け入れて今後も関係を保つ方がましだ。そんな親兄弟からの消極的な信頼もそっちのけで、二人は二人の世界をより強固に独占的にする道を選ぼうとしていた。 「じゃあ、監禁するよ」 「篝火さんのお気に召すまま」  二人は見つめ合った。見つめ合うと素直にお喋りできないのは昔の話。お互いの瞳に映る互いだけを見つめた二人は、この瞬間が永続化するという幸福に心地よく酩酊した。 『愛してる』
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