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だめだ。これ以上立ち続けたら本当に倒れる。他に方法の無い私は、ハンカチを口に当てたまま、その場にしゃがみ込んだ。
「──大丈夫ですか?」
優しい、落ち着いた低音が降ってきた。力を振り絞って、声のした方を見上げた。言葉が出なかった。
だって信じられない。いつも見ているだけだった、あの整ったお顔が、私のすぐ目の前にあるなんて。
「俺、次で降りるから。あの席座って」
野球道具が入っているであろう、大きな鞄が占領しているその席を目で示した。
「え、でも……」
彼から席を奪うなんて。桜通線はいつも混んでいて、席に座るのはいつも一苦労だった。
「いいから。立てる?」
「は、はい……」
差し出された手を、そっと掴んだ。ぐっと引っ張る彼の手に助けられ、ふらつきながらも力を振り絞って何とか立てた。
「すみません、通ります」
彼の先導に続いて、ふらふらとついて行く。しゃがんで動けなくなっていたとき、じろじろと見られているのは感じていた。でも、今は更に周囲の視線が私に突き刺さっているのがわかる。
彼は大きな鞄を簡単に持ち上げ、目線で私に席を勧めた。
「ありがとう」
力の入らない表情筋を総動員して、可能な限りの笑顔を彼に向けた。吊り革を握る彼からも笑顔が降ってきた。何だこれ。幸せ過ぎる。私は夢でも見ているのだろうか?
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