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「好きです、付き合ってください」
「……は?」
放課後、実験室の戸締まりを済ませた俺に告白してきたのは苦手な後輩だった。
長い黒髪に真っ白な肌。睫毛がばさっと乗った黒い瞳。
ぱっと見清楚な女子だが、こいつは性格がヤバイ。
あと薬品調合の腕が相当良い。それもまたヤバイ。
「なお、良いお返事をいただくまで一秒毎に部長の頭髪は十本ずつ抜けます」
ほらな。
「……って、ちょ、なっ……、え!? 待っ……」
俺の眼前を、細いものがハラハラと通り抜ける。
「俺の髪が!」
焦る俺とは対照的に、落ち着いた様子で上品に微笑む後輩。
「ちなみに、良くないお返事の場合、部長の毛根が一気に根こそぎ死滅します」
「それはもう告白じゃなくて恐喝だろ!」
叫ぶ俺の肩に、髪らしきものが降りかかる。
「また抜けた!?」
「ふふ、ハラハラ抜けるも一興、ドサッと抜けるも一興ですね」
「面白いのはお前だけだ!」
一体何をどう調合すれば一秒おきに十本ずつ抜けるような薬が出来るんだ!
「また抜けましたね」
後輩の言葉通り、音も無く落ちた髪は俺の足元にうっすら輪を作りつつある。
「お前、……俺が付き合うって答えたらこの抜けた髪は元に戻せるのか」
「無理難題を。死は不可逆だと私に教えてくださったのは先輩でしょう?」
「それはお前が解剖したカエルを生き返らせようと……って俺の毛根は死んだと!?」
「ええ、未来永劫」
「永・久・脱・毛!」
叫んだ拍子にまたハラハラと髪が舞い落ちた。
なんとなく頭が寒くなってきた気がする。
「四十もの罪無き魂が、部長の優柔不断さの犠牲に」
「お前が殺したんだろ!」
「こんな柄にハゲていては結婚できませんね」
「は!? 柄って……待てお前!」
後輩が手鏡を差し出す。
受け取った鏡にはハート形に毛を残して周囲からハゲ始めている俺の頭が映っていた。
「そんな面白頭の部長と付き合おうなんて奇特な人、この世界に私しかいないと思いますよ」
鏡の中で俺の髪がまた抜ける。
首筋を伝う汗もいつもより抵抗なく垂れてきた気がして怖過ぎる。
「お前、俺の事嫌いだろ?」
「大好きですよ?」
「……理解できないな……」
無情にも抜け続ける髪が俺の指先を掠めて落ちる。
ここで脱毛が止んだところで、俺の頭は元には戻らないんだろ。
「お前とは付き合わない。断じてお断りだ」
「そうですか……残念です」
妙に静かなその声に、鳥肌が立つ。
パン、と軽い破裂音。
握っていた手鏡が割れる。いや、粉を固めた上に銀膜を張っていたのか。
瞬間、狭い廊下に粉が舞う。
慌てて飛び退くも、風の無いはずの廊下で粉は俺を追う。
ってお前が扇いでんのかよっ!
粉塵の向こうにチラリと見えた後輩は、いつの間にか防塵マスクをつけていた。
避難しようにも、周りの戸には全て鍵がかかっている。
呼吸の限界だ。
生命維持活動を優先した結果、俺の毛根は死滅した。
足元へドサっと落ちる俺の髪。
鼻と口は覆ったが、どんな細かい粒子だったのか。それとも頭皮に直接触れて作用したのか。
粉塵に煙る廊下の向こう。遠ざかる足音と小さな笑い声。
「俺は、絶対毛の生える薬を作ってやるからな!」
「それは楽しみです」
この時は考えてもなかった。
まさか、俺の作った毛生え薬で世の中がここまで変わるなんて。
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