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初夏の生温かい風が灰司くんの髪をなびかせる。思わず見惚れてしまいそうな絵になる構図だ。それに、この場所にいるだけで心が安らぐような感じがした。神社っぽくない、どちらかといえば殺風景なところなのに、どことなく神秘的だ。
風を感じながらぼうっとしていると、やがて灰司くんがこちらを向いてニコッとした。
「いいところでしょ? 僕のお気に入りの場所なんだ」
「うん。素敵なところだね。でも、ここってなんなの?」
「うーん、ワン太郎の家?」
「家?」
と言われても、どこを見ても犬小屋らしきものはなかった。そういえば、ワン太郎には首輪がついていない。灰司くんもワン太郎のことを「ペット」じゃなくて「相棒」と言っていたし、ここで放し飼いでもしているのだろうか。
そんなことを考えていると、私のポケットから電話の着信音が鳴った。電話の主はお母さんだった。
「出たほうがいいんじゃない?」
灰司くんがそう言ってくれたので、私は電話に出た。すると、電話越しからお母さんの深いため息が聞こえてきた。
「陽色……今、どこ?」
「え、えっと……いっぱい石像がある神社みたいなところ」
「あー、あそこね。もう荷物を片づけているから、戻ってらっしゃい」
「わ、わかった。今から帰るよ」
それだけ言ってお母さんからの電話を切る。キッズ携帯の画面で時間を確認すると、新しい家を出てからすでに二十分も経っていた。
「もしかして、今の電話ってきみの親から? 送ろうか?」
「う、ううん! 大丈夫! ありがとう!」
紳士的な灰司くんにどぎまぎしつつも、私は咄嗟に断った。出会ったばかりの灰司くんに送ってもらうのも申し訳ないし、何よりこうしてバクバクしている心臓の音を落ち着いてなだめさせたい。しかし、灰司くんは断っても嫌な顔せず、「そっか」と笑ってくれた。
「じゃあ、僕も帰るから、途中まで一緒に行こう」
「う、うん──あれ?」
帰ろうとする灰司くんだったが、さっきまで一緒にいたワン太郎の姿がどこにもなかった。きょろきょろと周りを探してみたが、近くにいる気配もない。まるで、私がお母さんと電話したあのわずかな時間で消えてしまったみたいだ。
「あの……ワン太郎は?」
「ああ、先に帰ったよ」
灰司くんはワン太郎を心配する様子もなく、あっけらかんとしている。「本当に大丈夫なのだろうか」と不安になったが、灰司くんはかまわず私の先を歩いていった。
(なんか、不思議な場所だったなぁ……)
そんなことを思いながら、もう一度辺りを見回す。すると、とある石像にホタルのような淡い青い光が飛んでいた。その石像は犬を模したもので、どことなくワン太郎に似ていた。疑問には思ったが先を行く灰司くんに置いていかれそうだったので、ひとまず何も聞かずにこの神社をあとにした。
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