作家、若き刑事と出会う

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 同じようにプレイヤーを見つめて、村瀬が言った。 「なんで母がディランを好きになったか、知っていますか?」 「いや、知らないな。顔が好き、とか、生き様が好き、とか、詩がいいとかは言ってたけど」 「一九六六年のことです」  そう言って、村瀬は微笑んだ。 「ディランが二十五歳のとき。彼はこう言いました。『セックスや愛は、女とか男とかまったく関係がないんだ。それはふたつの魂の間でたまたま起きること。それは男と女の間かもしれないし、女と女の間かもしれないし、男と男の間かもしれない』。――母には、同性愛者の兄がいました」 「え……? 知らなかった」  村瀬は視線を上げ、坂木を見つめた。  そのとき、坂木は気がついた。これは「騎士が間合いを詰める目」じゃない。「近づきたい目」だ。サーベルのごとき瞳が、祈るような光を宿している。  村瀬は一度大きく息を吸い、続けた。 「その兄は、同性愛者であることを理由に、家から出て行きました。学校にも、職場にも、友人たちにも、自分がゲイだということは隠していたそうです。母は兄のことを片時も忘れたことはなかったそうです。ずっと、兄は間違っていないと感じていた。その思いが、このボブ・ディランの言葉を知ってから確信に変わったと言っていました。だから、たぶん、母はディランのことが好きになったんです。自分の胸の内に秘めた思いを、社会に向かって解き放ってくれた人だから」 「そのお兄さんは、今どうしてるんだ?」 「若くして亡くなったと聞いています」  そうか、とつぶやいて、坂木は照れくさそうに笑った。 「なんだ。そうか。だからか」 「だから、って?」 「おれ、バイなんだ。そのことを知っても麻里亜がなにも言わないでいてくれたのは、だからなんだな」 「……そうですか」 「あ、気にしないでくれよ!」  坂木は慌てて片手を大きく振った。 「おれ、バイだけど、誰でもいいってわけじゃないから。……あ、きみをけなしてるわけじゃなくて! たしかに、清路君はかっこいいよ。男前だし、礼儀正しいいい子だ。でも清路君はおれのこと、警戒しないで大丈夫だからね。襲ったりしないから」 「わかってます」  村瀬はにこっと笑った。 「母が言ってました。意外と奥手だって」 「え、そんなことまで筒抜けなのか。恥ずかしいなー」  はははと笑う坂木に、村瀬も笑う。二人で笑いあえたことが、坂木にはうれしい。  ――麻里亜はおれが知らないところで、おれと清路君の間に橋を架けてくれてたんだな。おれも清路君の笑顔、可愛いと思うよ、麻里亜。  坂木は胸の中の麻里亜に話しかけた。麻里亜も笑ってくれているような、そんな気がした。  村瀬はアイアンの本棚からボブ・ディランのCDを抜き取った。ベスト盤だ。坂木が覗きこむ。 「CDをほとんど全部持ってるのに、ベスト盤も持ってるって、やっぱファンだよなあ」 「母は、『もし倫太郎の小説の全集が出たら、わたし買うわ』って言ってました。本は全部持ってたけど。これ、聴きましょう」 「……そっか。うん。聴こう。お茶、持ってくる。エアコン入れてな」  うなずき、村瀬はCDプレイヤーにCDをセットした。 「あの、倫太郎さん。おれ……」 「ん? なんだ?」  部屋を出ようとした坂木が振り向く。村瀬は一八〇センチの体で微動だにせずに佇んでいた。 「ご迷惑、かけるかもしれませんが」 「え? なんで?」 「おれ、『皆殺しの天使』って呼ばれてるんです」 「……え? ガブリエル・シャネル?」  『シャネル』の創始者、ガブリエル・シャネル。彼女はこれまでの窮屈で装飾過剰だった女性服を葬り去り、新しいスタイルを生み出し、ファッション業界に革命をもたらした。それまでのデザイナーたちを用無しにした。それで「皆殺しの天使」とあだ名されたそうだ。 「清路君って、ファッションデザイナーもしてるのか?」  冗談だったのに、ぴくりとも笑わない。整った眉間に冷たい風が吹いていた。 「刑事の仕事をしてるときに、そうあだ名されました。職務に際して非情で非人間的な切れ味を見せるから、だそうです。たしかに、犯罪者を追い詰めるのはおもしろい。狩りのようで」  笑みを浮かべる。今度の笑顔は全然可愛くない。  透き通った白目にすら冷たい風をたたえ、村瀬は笑った。 「おれに報復したい人間は山のようにいるようですが……累が及ばないよう、細心の注意を払います。あなたのことはおれが守る。だから……おれと、いっしょに暮らしてくれますか?」  ――あ。まただ。また、「近づきたい目」。  三歩近寄り、村瀬の痩せた筋肉質の体をそっと抱き寄せる。 「ん。いっしょに暮らそう。大丈夫」  はい、と村瀬がつぶやいた。声がかすかに震えていた。  お父さんにはなれないけど、と坂木は思った。  ――大事にすることはできる。それくらいなら、できる。  体を離して笑う。 「今夜はタコライスの予定なんだ。作るの手伝ってくれるか? 料理は得意?」 「自炊はたまにしていました。得意ではありませんが、頑張ります」 「おれもそんなに得意じゃないけど、二人で頑張ろう。な。ビールもあるぞ!」  目を細め、村瀬は眩しそうに坂木の顔を見つめていた。  そして、にこっと笑う。 「倫太郎さん、お人好しですね」 「な、なんだよ……その言い方!」  坂木がむくれると、村瀬は笑いだした。気持ちのいい笑い方だった。つられて、いつしか坂木も笑っていた。  ――麻里亜と笑っているみたいだ。  清路君、似てないのに、不思議だなと坂木は思う。 「すべてが終わったんだ、ベイビー・ブルー」  しゃがれた声で歌う若き日のボブ・ディランに、二人で声を重ねた。  こうして、同居生活がスタートした。
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