3/4
前へ
/31ページ
次へ
 その夜、運ばれた夕食には干物に汁物、そして蒸した芋の他にもう一品添えられていた。丸く練られた何かを串に刺したものだ。昼に見た団子の絵にそっくりだった。 「試しに芋を練って作ってみたのだがうまくいかないな。甘味は蜂の巣から採れる蜜くらいしかない。砂糖があればいいのだが、この島で調達するのは難しい」  黒鉄が自分のために作ってくれたのだと思うと嬉しくて仕方がない。手を合わせて食事の挨拶をした後に団子に手を伸ばす。口に含むと甘さともっちりとした食感に思わずうっとりとした。 「こんなに美味しいものが世の中にあったなんて」 「本物はもっと美味いぞ」 「いえ、これが私にとって最高のお団子でございます。毎日でも食べたいくらいです」 「お前は本当に甘味が好きなようだな。ならば今度はふかし芋でも出すか。この島のさつま芋は耀に出回っているものよりも甘い」  最近は黒鉄も眞白の好みを把握したのか眞白の好物を必ず一品添えてくれるようになった。自分のことを知ってもらえて嬉しい反面、申し訳ない気持ちになってくる。 「黒鉄様。今度、私にも食事を作らせて下さい」 「お前に刃物や火を使わせるのは危なっかしくて見てられん。駄目だ」 「読み書き以外にも色々なことを知りたいのです。黒鉄様、どうしても駄目ですか?」  懇願の眼差しを向ける。黒鉄は渋い顔をしながらため息をついた。 「分かったからさっさと食え。手伝いくらいならさせてやる。ただし刃物と火には触らせないぞ」 「黒鉄様のお役に立てるのなら、なんでもします」  自分の手で黒鉄の好物を作りたい。上手く作れたら新月の夜が明けても黒鉄は眞白を側に置いてくれるかもしれない。淡い期待が漏れ出ないように顔に力を入れたがそれでも嬉しさで口元が緩んでしまう。 「それを平らげたら湯浴みにいくぞ」 「湯浴み?」 「ああ、俺一人だったので気が向いた時にしか湯浴みをしていなかったが……お前も身体を拭うだけでは気持ち悪いだろう。少しかかるが森には温泉がある」 「温泉……湯が湧き出る場所って本当にあるんですね」 「なんだ。温泉のことは知っていたのか」 「はい。村を囲む山を一つ越えた場所な湯が湧き出る泉があると聞いたことがあります。私は入ったことはもちろん見たこともありません。村の池は見たことがあるのですが……」  渡されていた桶と麻の布で毎日身体を拭ってはいたが、そろそろ頭を洗いたいと思っていた。この島に風呂はないと思っていたので我慢していたが、入浴できる場所があると聞いて心が躍る。 「風呂とはまた違う風情がある。入りたければさっさと飯を食え」  黒鉄が温泉の準備をしているうちに急いで夕飯を平らげた。空の碗を海で洗いながら鼻歌を歌っている自分に気付いて、浮かれているのが少し恥ずかしくなった。  黒鉄と共に森の奥の温泉へ向かう。  夜の森は昼とは違う顔をしていた。虫の鳴き声に混じって獣の足音が聞こえる。風に揺れて木々がさざめく。だがそれらも黒鉄がいるので不思議と怖くない。 「ここだ」  森が開けると湯気がもくもくと立ち込めていた。嗅いだことのない独特な香りが充満している。よく目を凝らすと岩場の中に小さな池くらいの大きさの水溜まりがあり、そこから湯気が立ち上っていた。眞白は黒鉄の肩から降りると恐る恐る水面に触れる。それは紛れもなく湯であった。 「すごい……これが温泉なのですね」 「さっさと入れ。身体を拭く布はここに置いておく」 「黒鉄様は入らないのですか?」 「俺はお前が出たら軽く湯をかける」 「でも……」 「裸は本当に大事な者にだけ見せるものだ」  黒鉄はそう言うなり岩陰に腰を下ろしこちらに背を向ける。やはり自分は黒鉄にとって番の候補として見られていないのかと悲しくなったが、いつまでも黒鉄に辺りを見張らせるわけにもいかない。手早く服を脱ぐと湯に浸かる。  僅かに緑がかった湯は浸かると気泡が身体に纏わりついた。少し熱いが久々に湯に浸かったせいもあり、みるみるうちに身体の力が抜けていく。この島に来てから緊張の連続で身体もこわばっていたのだろう。心身の凝りが解れるといつもより視界が広がって見える。ふと空を見上げると星々が瞬いていた。月はあともう三日もすれば完全な新月になりそうだ。 「星が綺麗ですね」 「ああ。ここのところ天気もいいからな。星がいつもよりよく見える」 「村にいた頃は窓の隙間から星を眺めるのが好きでした。空の果てが見たいと何度願ったことか」  贄になる為の稽古は生易しいものではなかった。ひどく叱られた日は決まって夜空を見上げながら星々の光に慰められていた。あの頃の眞白は鬼守の掟を叩き込まれていたから気付かなかっただけで、本当は外へ飛び出していきたかったのかもしれない。 「俺の生まれ故郷では空一帯を覆い尽くすように玉虫色の羽衣が靡く夜があった」 「玉虫色の羽衣……?」 「極光と言ってな。俺には審美眼というものが欠如しているようだが、あれは美しいと思った。今も目を閉じればはっきりと思い出せるくらいには心に残っている」 「黒鉄様が美しいとおっしゃるものを見てみたいです」  顔を見なくても声で黒鉄が極光を懐かしんでいるのが分かった。眞白は空を見上げたまま見たこともない極光に思いを馳せる。 「黒鉄様は生まれ故郷に帰りたいのですか?」 「この島も豊かだが……生まれ故郷は特別なものだ。お前が村を大切に思うように、俺もあの白銀の大地が恋しくなる時がある」 「黒鉄様もこの島から出て故郷に帰れたらいいのに……そうだ! もし私が堕鬼の花を全て摘んでしまえば黒鉄様も外に出れるのではないでしょうか? それなら黒鉄も自由になれます!」  幕府に背く行為だが、黒鉄が自由になれるのなら眞白はなんだって出来る気がした。この短い期間で黒鉄は眞白に沢山のことを教えてくれた。世界の広さ、歴史、読み書きの大切さや頬が落ちるほど美味しい甘味。そして誰かのために役に立ちたいと思う気持ち。 「やはりお前は大馬鹿者だな。人喰い鬼が島の外に出たら世の中がめちゃくちゃになるかもしれんのだぞ?」 「黒鉄様は人喰い鬼と呼ばれているけれど……少なくとも私にはとても良くして下さいます」  何故彼が世間から人喰い鬼と呼ばれ、恐怖の対象になっているのかが分からなかった。こんなに優しい人がむやみやたらと人を殺めたりはしない。 「俺は、俺の意志でここにいる」 「黒鉄様の意志?」 「そう。俺の意志だ。俺は他の鬼よりも身体が頑丈だ。普通の鬼であればこんなに長く堕鬼の花に囲まれていたら死んでいるだろう。触れずとも飛んでくる花粉は鬼の肺を蝕む」  気泡が沸々と湯の中で生まれては弾ける。眞白はそれを見つめながら黒鉄の言葉を聞くことしか出来ない。 「だが、俺は死なない。いや、死ねないのだ。どれだけ毒に囲まれようと俺は生きている。とは言っても徐々に傷の治りも遅くなっているがな。この毒に囲まれて、ゆっくりと死に向かっていく。それが俺の望みだ」 「そんな……」 「俺は罪人だぞ? 情けは無用だ。とにかく俺はここから離れられない理由が沢山ある」  その言葉から固い意志を感じた。眞白に出来ることは何もない。現実を突きつけられて黙り込む。 「俺は途方もない年月を生きて世界を知った。だからこそ、終わりにしたいのだ。世界を知った上でこの選択を選んだ」  黒鉄は立ち上がると麻の布をこちらに投げて寄越す。 「そろそろ上がれ。湯冷めしてしまう」  言われるままに湯から出て大急ぎで身体を拭く。来ていた着物を着ようと手を伸ばすとその隣に綺麗に畳まれた質素な着物があることに気付く。 「これは……?」 「お前の着物だ。麻の布が余っていたのでこしらえた。形が不恰好だが文句は受け付けんぞ。絹の着物では動きにくいだろう」  確かに縫い目が粗いし大きさも眞白の身体には少し大きい。しかしそれらは黒鉄の不器用な愛情をそのまま形にしたようだった。帯を締めるとまるで守られているような安心感に包まれる。身支度を整えるとすぐに黒鉄の元へ駆け寄った。目の前でクルリと回ってみせた。 「どうでしょう? 似合いますか? 着心地もすごくいいです。村のみんなが持たせてくれた正絹の着物も好きだけれど、黒鉄様が作って下さった麻の着物も大好きです。汚さないように大切に着ます」  黒鉄は眞白の襟を整えながら、着物のあちらこちらに目を向ける。裾の長さや縫い目を確認しているようだった。 「汚してもまた新しいのをこしらえてやる。しかし実際に着てみると粗が出るものだな。次はもっと上手く作ろう」  はしゃぐ眞白を宥めるように頭をぽんぽんと撫でる。相変わらずの仏頂面だが確かな慈愛を感じて、眞白は思わず目を伏せた。 「さて、俺も湯を浴びてくるとするか。何かあったらすぐに俺を呼べ」  着物を脱ぎ、黒鉄は温泉に向かった。投げ捨てられた衣服を畳んでいると黒鉄の香りが鼻をかすめる。それだけで胸がぎゅうっと締められるように苦しくて、どれだけ夜風が吹き付けても身体から熱が引かない。黒鉄の湯浴みの音を聞きながら眞白は込み上げてくる熱を必死にやり過ごした。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

318人が本棚に入れています
本棚に追加