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「眞白様」  食事を終えた後も落ち着かず、潮風に当たっていると紫苑が声をかけてきた。見知らぬ顔に囲まれ緊張していたので、何かと親切にしてくれる紫苑の存在はありがたい。 「もし気分が優れないようでしたら遠慮なく仰って下さい。それ以外にも困ったことはありませんか?」 「お気遣いありがとうございます。今のところは何もありません。ですが……」  百華の島を出て少ししたところであることが頭をよぎった。そのことを考えていたらだんだんと不安が膨らんで落ち着かなくなってしまった。 「私がいなくなったら、黒鉄様の元に新しい贄が嫁ぐのでしょうか?」  眞白の本来の目的は黒鉄の番となることだった。将軍は「人喰い鬼を鎮めるため」と言っていたが、黒鉄は眞白が番にならなくても耀の国に仇をなすことをしない。共に過ごした時間は少ないが黒鉄の優しさは本物だ。現に彼は償いとして百華の島で耀の国を守り続けている。  だがそれを将軍は知らない。眞白が異国に行ったことが分かればまた新たな贄を用意することだろう。眞白以外にも年頃の鬼守はいる。きっと黒鉄は眞白の時と同じように突っぱねるだろうが、それでも眞白は心配で仕方がなかった。 「そこはご心配なく。百華の島および黒鉄様の監視は全て私の管轄です。この視察隊は私の信頼する者しか在籍しておりません。将軍が直接百華の島へ向かうこともないので、虚偽の報告でも事実が明るみになることはないでしょう」 「将軍様への報告を偽って罰せられることはないのですか?」 「黒鉄様が罪人として幕府から追われた後も、私は幕府に残り地位を確立しました。全ては黒鉄様の汚名を返上するために」  長い間黒鉄に仕えてきたのだから、紫苑も黒鉄の優しさを知っている。だからこそ危険な橋を渡ってでも黒鉄のために行動するのだろう。 「その為にも私は眞白様を安全な場所に送り届けなければならないのです。眞白様の幸せは黒鉄様の願いであると同時に、私達の願いでもあります」  黒鉄や村のみんな以外にも幸せを願われるなんて思ってもいなかったので驚いた。 「今日、久しぶりに黒鉄様にお会いして驚きました。百華の島に流されてからは笑うことなどありませんでした。黒鉄様はずっとお一人で自責の念に襲われていたのです。それが眞白様と出会われてから変わった。きっと眞白様が黒鉄様を救って下さったのですね」 「そんな、救うだなんて……」 「私達鬼にも人間や鬼守の一族と同じく心があります。鬼は長生きもしますし身体も頑丈です。黒鉄様はその中でも飛び抜けて強い鬼ですが……心まで強いとは限りません」  長年黒鉄が抱え続けた痛みを少しでも和らげることが出来ただろうか。もし出来ていたのなら眞白はそれだけでこの世に生まれてきた価値があると思えた。 「眞白様が幸せに生きているのが分かれば、黒鉄様も前を向けるでしょう。そうだ、眞白様が良ければ文を送るのはいかがですか? 黒鉄様から読み書きを習ったのならば、それを生かさない手はございません」 「それは良い案ですね。黒鉄様、喜んでくれるかなぁ」 「きっと喜ばれますよ。文字は言葉とはまた違った力を持っていますから」  自分の目で見た異国を文にするためにも沢山のことを見聞きしたいし、読み書きの練習にも励みたい。この先やるべきことが見えてくると眞白の心は奮い立った。 「紫苑様、異国は……」  眞白が話を続けようとした瞬間、紫苑の背後に影が現れた。紫苑も気配に気付いたのか咄嗟に後ろを向く。 「……何奴だ?」  そこにいたのは顔を仮面で隠した大男達だった。頭に生えた角から彼らが鬼だということが分かる。全員が刀を構えており、明らかに不穏な空気に眞白は硬直してしまう。そんな眞白を庇うかのように紫苑は男達の前に立ち塞がった。  紫苑の問いに男達は何も答えない。ジリジリと間合いを詰めていったと思ったら一斉に切りかかってきた。しかし紫苑は黒鉄が認めた手練れだ。自身も刀を抜くとあっという間に男達の急所を狙い仕留める。 「眞白様、お怪我はありませんか?」  突然の襲撃に眞白は声も出せず頷くことしか出来なかった。紫苑は眞白の様子を見ようと刀をしまいしゃがみ込んだ。 「紫苑様っ!」  男達を倒して注意が眞白に向いた紫苑に潜んでいたのであろう鬼が斬りかかる。寸前で受け止めようとした紫苑だったが交わしきれずに右肩に刃を受けた。 「がはっ……」  それでも紫苑は必死に眞白を守ろうと立ち上がろうとする。大男は急所を狙うように思い切り蹴り上げた。強烈な蹴りに紫苑は呻き声と共に床に転がった。慌てて紫苑の元へ駆け寄ろうとしたが大男に阻まれる。腕を掴まれるとあっという間に拘束されてしまった。 「離して下さい! 誰か助けて!」 「……無駄だ」  男がつけていた仮面を外す。眞白は素顔を見て思わず息を飲んだ。その男は紫苑が率いていた鬼の一人だった。昼間に見た時とは違う冷たい表情に恐怖を覚え、眞白は身体を震わせる。 「他の者も始末した。紫苑には少し手こずったが……お前を捕らえられればなんでもいい」 「なんで……貴方は紫苑様の、黒鉄様の味方でしょう?」  すると鬼は顔を顰めながら吐き捨てるように口にした。 「お前のような箱入りには分からんさ。悪く思うなよ。これも将軍様の命令だ」  無理矢理に手を引かれ海の方へと引っ張られる。遠くから一隻の船が近づいてきた。どういうわけか分からないが、眞白はあの船に乗せられ異国ではない別のところにつれていかれるようだ。突然のことにただ恐怖するしかない。 「待て……」  力尽きていた紫苑が男の足首を掴んだ。自身も相当の傷を負っているはずなのに必死の形相で眞白を守ろうとする。 「しぶといな」  男は紫苑の手を振り払うと傷を負った肩を狙い、何度も踏みつけた。それでも紫苑は必死になって男に食らいつく。苦痛に歪む紫苑の顔を見て、男の腕を掴んで制止を試みる。しかし眞白の力では鬼に敵うはずもなく、男は紫苑への攻撃をやめない。 「おやめ下さい!」  それでも眞白はどうにかしようと今度は男の腕に思い切り噛みついた。さすがにこれは効いたらしく男の動きが止まった。しかし逆上した男は今度は眞白に牙を剥く。 「いってぇな!」  バチン! と鈍い音と共に頬に痛みが走る。初めて頬を殴られた。口の中に鉄の味が広がった。ポタリと何かが垂れる。鼻血だと気付くのに少し時間がかかった。 「くそ……大人しくしてろ!」  男が懐から何かを取り出した。そしてそれで口元を塞がれる。僅かに湿った布であることに気付いた頃には視界がグニャリと歪んだ。 (怖い……気持ちが悪い……黒鉄様、助けて)  遠くで紫苑が何かを叫んでいるが、朦朧とした意識では何を言っているか分からない。身体に力が入らず抵抗が出来ないまま、男に担がれてどこかへ連れ去られていく。  黒鉄と約束をした。新しい地で幸せになると。黒鉄の願いであり、村のみんなや紫苑に対しても幸せになることが恩返しである。だが眞白の意志に反して身体は動かないままだ。  段々と意識が曖昧になっていく。男に運ばれる最中で眞白は力尽き、新月のように真っ黒な世界へと落ちていった。
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