2/4
前へ
/31ページ
次へ
「とりあえずこの白いのを連れて行け」  動けずにいると鬼が眞白の手首を掴んだ。鬼の力に敵うはずもない。それでも必死に抵抗する。すると鬼の力がいきなり緩んだ。 「おい! どうした!」  仮面の鬼は自身の手を凝視していた。手のひらは赤く腫れている。 「申し訳ありません。手がいきなり痛んで……」 「血液に触れたのか。あれほど気をつけろと言われただろう。おい、お前」  もう一人の鬼が眞白に刀を抜いた。鈍く光る切っ先に眞白は後ずさる。 「俺らの後に着いてこい。もし少しでも逃げるような仕草をしたら斬るぞ」  喉元に刀の先端が触れそうなほどに近付いてくる。このままでは本当に殺されてしまいそうだ。ここは彼らに従うしかない。囚われたままの鬼守の方を振り返る。彼らは心配そうに眞白を見つめていた。 「早くしろ。あの者達も道連れにするぞ」 「行きます! だから、あの方々には手を出さないで下さい」  眞白は観念して歩き始める。仮面の鬼は刀を眞白に向けたままだ。眞白は黙って大きな背中を追った。  眞白は歩いているうちにこの建物に見覚えがあることに気付いた。  ちょうどひと月前。眞白は駕籠に乗せられここに連れてこられた。将軍の住まう双銀城だ。鬼守達が囚われていたのはどうやら地下だったようで階段を上がると廊下が続いていた。 (双銀城に鬼守が捕えられているなんて……一体何故? 将軍様は私達を守っているはずじゃ……)  外に目を向けると暗闇が広がっていた。星は見えるが月の姿はない。眞白が襲われてからまだ夜は明けていないようだ。 「ここだ。この先は一人でいけ」  金屏風の向こうは謁見の間。またこの部屋に足を踏み入れることになるとは思ってもいなかった。恐る恐る戸を引くと将軍──刃鉄の姿がそこにあった。刃鉄は眞白を捉えるとうっすらと笑みを浮かべた。眞白は心の内が読めない笑みに恐怖を覚える。 「眞白よ。随分と元気そうじゃないか」  刃鉄はゆっくりとこちらに近付いてくる。まるで獲物を見据え間合いを詰めるように這う蛇のようだ。 「刃鉄様、沢山の鬼守達が地下に捕らえられていました。あの様子だと贄として鬼の元に行くようには見えませんが……」 「あれは保護をしているだけだ」 「かつて鬼が行った鬼守……いや、碧の一族への虐待や虐殺がまだ続いているのですか?」  眞白は刃鉄の圧に負けないように睨みつけた。しかし刃鉄には全く効いていない。 「黒鉄に余計な知恵を吹き込まれたのか。では逆にお前に問う。この国は資源にも溢れ、他国が羨むほどに幸福だ。……眞白よ。民が幸せになるために必要なものはなんだと思う?」  急に問いをぶつけられて眞白は困惑した。刃鉄はそんな眞白を小馬鹿にするように笑った。 「金だ。兵を強くするのも、民を豊かにするにもとにかく金がなければどうにもならない。そして金を得るために我が国は貿易に力を入れている」 「それと、囚われの鬼守達に何の関係が……」 「貿易をするには相手に売るものが必要だ。我が国は鉱石の他にも巨額の富を生む資源がある」  刃鉄は眞白のすぐそばまでやってくるとそっと頬に触れた。その手には革の手袋がはめられている。 「それは……お前達、鬼守の一族だ」  すぐに意味を理解出来ずにいたが、それが人身売買を示唆していると気付くと一気に血の気が引いた。村で起こっていた神隠しが幕府の仕業だったなんて、眞白はもちろん他の鬼守や人間も気付かなかった。 「なんてことを……」 「仕方ないだろう。政には金がいる。耀の国のものは全て鬼の一族の、いや、私のものだ。私のものを政治に役立てて何が悪い?」 「私達はものではございません! 心を持った、血の通った人間です!」  眞白の反論に刃鉄は眉を顰めた。金色の瞳には温度がなく、不快感が滲んでいた。 「過去に同じようなことを言った大馬鹿者がいたな。綺麗事では飯は食えぬ。お前達鬼守は鬼のために生きて鬼のために死ぬのだろう?」 「私達にも幸せになる権利があります! そんな都合のいい掟、無くなってしまえばいい!」 「生意気な!」  刃鉄は思い切り眞白の頬を叩いた。眞白はあまりの勢いに吹き飛ばされる。他の鬼とは比べ物にならない衝撃だった。 「お前が幸せを願う? 片腹痛いわ! 馬鹿げた綺麗事を語りおって。自分の生まれた理由も知らずに!」  刃鉄の激昂は止まらない。今度は腹を蹴られた。そして頭を踏みつけられる。加減はしているのかもしれないが、それでも頭が割れるほどに痛い。 「お前がどのように生まれたのか教えてやろう!」 「私は……母が命を賭して産んでくれたとしか」 「ああ! あの女が逃げなければこんな手こずることもなかったのになぁ!」 「母を知っているのですか?」 「知ってるも何も、お前の母を捕らえお前を産ませる準備をしたのは私だ!」  育ててくれた村のみんなは母は身重の状態で村の近くで倒れていたのを保護され、村が総出で母を看病したが眞白を産んですぐに力尽きたと聞いている。それがこの男と何の関連があるのだろう。 「お前の母親は器量がいいのと同時に体格もいい、健康的な女だった。これなら毒にも耐えられるとあの女を選んだ」 「毒……?」 「お前も知っているだろう。玄の国が生み出した堕鬼の毒だ。それを孕んだお前の母親に飲ませ続けた」  人間や鬼守に堕鬼の毒がどう効くのかは分からないが決して身体に良い訳がない。もし母の死が堕鬼の毒のせいだとしたら……そう考えると怒りで頭がおかしくなりそうだった。 「子を宿した鬼守に堕鬼の毒を朝晩飲ませるとお前のような白髪に赤い目をした鬼守が生まれる。その血や体液には堕鬼の毒が宿る。毒を宿すお前は……鬼を殺める為に生まれてきたのだ!」 「まさか、貴方は……黒鉄様を」 「そうさ。斬っても煮ても死なない黒鉄を殺す為にお前を作った。お前が生まれるまで二百年。白髪の子供が産まれても堕鬼の毒ですぐに死んでしまう。中には子を産む前に命を落とす母体もあった。私はお前をずっと待ち侘びていた。ずっと、ずっと、気が遠くなるほど……」  自分が黒鉄の贄に選ばれた理由がこんなにも残酷な理由だと知り、ただ絶望した。先ほどの縄が朽ちたのも己の血に宿る堕鬼の毒のせいだ。もし黒鉄と番になった時に深く交わっていたら、黒鉄は命を落としていたかもしれない。 「やっと堕鬼を宿した鬼守がここまで成長したと言うのに、まだ黒鉄は生きていると言うではないか! おまけにお前を異国に逃す? 私をどこまでコケにすれば気が済むのか!」  怒りを露わにする刃鉄に踏み躙られながら眞白はただ静かに泣いた。自分が生まれる前から全てが仕組まれていて、愛した人を殺す為に今まで生きていたのだと思うと己の生まれを呪うしかなかった。 「役に立たないなら金にするまでだ。幸いにもお前は器量がいい。おまけに珍しい色をしている。さぞかし高く売れるだろう」  金色の目が値踏みするように眞白を見下ろす。もう眞白には抵抗する気力もない。眞白はただ黒鉄と共に幸せに生きたかっただけなのに、運命が邪魔をする。 「そうと決まれば早々に売り払うぞ。今回はどの国に売り飛ばすか……」  刃鉄が卑しく目を細めた。そして足を退けると眞白の首を掴み立たせる。眞白は虚な目で目の前の大悪党を見つめた。  黒鉄に会いたい。  どんな運命を背負っていたとしても、心が黒鉄を求めた。  願ってはいけないと分かっている。  それでも自然と口が開いた。誰よりも愛しい人の名を祈るように呼ぶ。 「黒鉄様……」  しかしそれは襖の向こうから聞こえてきた叫び声にかき消された。その声は先ほど眞白をここに連れてきた仮面の鬼のものだ。突然のことに刃鉄は眞白を投げ捨てると刀を抜き構えた。 「何奴⁉︎」  刃鉄の声と同時に襖が蹴破られた。そこには倒れる二人の鬼。そして今まで見たことのない形相をした黒鉄の姿だった。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

318人が本棚に入れています
本棚に追加