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 黒鉄が向かったのは城下町を抜けたところにある港だった。沢山の船が泊まっており、そこに紛れて見覚えがある船が並んでいた。 「黒鉄様がお戻りになられだぞ!」  船の上で見張りをしていた鬼が黒鉄の姿を見つけるなり船を降りて駆け寄ってきた。それに続いて次から次へと鬼が降りてくる。 「黒鉄様も眞白様もご無事で!」 「怪我はございませんか?」 「俺はどうともないが眞白がところどころ傷を負っている。俺が手当てしよう」 「ちょうど近くに紫苑様がお休みになられている旅籠がございます。こちらへ」  黒鉄は眞白を抱えたまま近くの旅籠まで歩いて行った。中に入ると店主が出迎え、そのまま奥の座敷まで案内される。敷いてあった布団に眞白を下ろすと黒鉄も腰を下ろした。 「怖い思いをしただろう」  部屋に置いてあった薬箱から傷薬を取り出すと指で掬い眞白の傷口に塗り込んだ。慌てて眞白は身を離す。 「……痛むか?」 「いえ、そういう訳ではないのですが……黒鉄様の方こそ私に触れた箇所が痛みませんか?」  眞白の血に触れた鬼の肌は赤く腫れていた。黒鉄にも眞白の血は有毒に違いない。しかし黒鉄は不思議そうに首を傾げる。 「何ともないが」  最初は強がっているのかと疑いの目を向けたが黒鉄の指先は特に腫れておらず、本当に何もない様子だった。 「本当に何もないのですね?」 「見ての通りだ。何故そんなことを聞く?」 「将軍様から私の出生の秘密を全て聞かされました。私は……黒鉄様を殺めるために造られたようなのです」  眞白は刃鉄から言われたことを全て話した。自分がどのように生まれたか。白髪や赤目を持つ理由、実際に鬼が眞白に触れた反応まで事細かに説明する。黒鉄は険しい顔をしながらも最後まで眞白の話に耳を傾けた。 「だからお前からあの花の匂いがしたのか」 「匂い?」 「お前が百華の島で膝を擦りむいた時に手当てをしてやっただろう。あの時、お前の傷口から堕鬼の花によく似た匂いがした」  黒鉄がそっと眞白の頭を撫でた。嬉しいと思う反面、自分が持つ毒に黒鉄が冒されてしまわないかとヒヤヒヤした。だが黒鉄の様子は特に変わらない。 「だが、お前の命はお前のものだ。出生にどのような思惑が絡んでいても、お前の人生を縛っていい理由にはならない」  大きな手が眞白についた小さな傷一つ一つに丁寧に傷薬を塗っていく。その指先は優しく眞白を労わった。 「眞白よ。お前は、お前の生きたいように生きろ。俺も同じように自分の思うように生きる。お前の存在が俺に目指す道を示してくれた」  金色の瞳が煌めく。そこには確かな覚悟が宿っていた。百華の島で出会った時のような冷たさや諦めはない。 「お前が望む人生に進めるよう、出来ることならなんでもしよう」 「私は……」  自身の望みを問われ、眞白は口を開く。 「私の望みは、黒鉄様と共に生きることです」  部屋の片隅で行灯の光が小さく揺らいだ。眞白は先ほどまで自身を労ってくれた黒鉄の手を握るとその手の甲に頬を寄せる。 「黒鉄様と出会い、数えきれないほど多くのことを学びました。掟や種族、過去を知ってもなお、黒鉄様の隣で生きていきたいと思うのです」  自身の境遇に隠された真実を知った。毒を身体に宿している以上、黒鉄と深く交わることは出来ないだろう。それでもいい。許されるのであれば黒鉄の側で共に世界を見たい。 「お前は本当に諦めが悪い」  黒鉄は憎まれ口を叩きながらもどこか嬉しそうに目を細めた。 「その諦めの悪さに俺も感化されてしまったようだな」  黒鉄は眞白の手を解き、自身の胸へと抱き寄せた。黒鉄の大きな身体に身を委ねるのが何よりも好きだ。眞白の幸福はいつだって黒鉄と共にある。 「しかし、愛しいという気持ちだけでは乗り越えられないことも事実だ」 「……やはり、黒鉄様のお側にいることは叶わないのですか?」 「今のままではな」  黒鉄の意図が分からずに不安げな瞳で見上げる。それを宥めるかのように優しい声で黒鉄は続けた。 「将軍である兄を斬った。このままいけば俺は百華の島へ送り返されるどころか、もう二度と耀の国へ戻れない場所まで流されることだろう」 「そんな……!」 「だが、もし兄が今までしてきた行いが明るみに出ればまた見方も変わってくる。俺は自分のしたことを後悔していない。このまま兄が将軍の座にいる限り、鬼守の一族は人知れぬところで犠牲になり続けていた」  将軍をはじめとする一部の鬼達の手によって隠されてきた不当な侵略が明るみに出れば、耀の国の歴史はひっくり返る。そうすれば黒鉄に着せられた汚名も返上出来るだろう。 「過去の罪を悔いているだけでは罪を償うことは出来ない。百華の島にいた頃の俺はそれに気付くことも出来なかった。それを教えてくれたのは……眞白、お前の存在だ。どんな状況でも諦めずに前に向かって励む姿に俺の心は癒された」 「私は……その時に出来る精一杯のことをしたまでです」 「俺もお前のように、どんな状況になっても腐らず前を向く。俺にしか出来ない形で罪を償おう。そのために、お前の力を貸してほしい」  その言葉に眞白は力強く頷いた。眞白は黒鉄のためならばなんだって出来る。そう思わせてくれるほどに黒鉄の存在は眞白を強くする。 「明日、再び双銀城に乗り込むつもりだ。今頃幕府は将軍が討たれたことで大騒ぎになっている。幕府の重役はもちろん、豪商など幕府以外の権力者も城に集まるはずだ。そこで今まで将軍が行っていたこと……鬼の一族の罪を白状する。あとはお前が将軍から聞かされたことや地下牢で見た様子などを話してくれ。先方の判断に委ねることになるが、黙っているより遥かにマシだ」 「きっと大丈夫です。眞白はいつだって黒鉄様の味方です。それに紫苑様のように黒鉄様を慕う人も沢山います。本当のことが分かれば他の人達もきっと分かってくれます」 「不思議だな……お前がそう言うと本当に大丈夫だと思える」  全てを言い終えて力が抜けたのか、黒鉄は敷かれていた布団に勢いよく身を横たえた。抱き抱えられたままだったので一緒になって眞白も横になる。ぴったりと黒鉄に寄り添うと寒くないようにと足先にまで布団をかけてくれた。 「……本来ならばもっと早く兄を討っていなければならなかった。それが出来なかったのは俺の弱さだ」  黒鉄は天を見つめたまま言った。その横顔はどこか物悲しげに見える。 「俺と兄は双子で、生まれた時からいつも一緒だった。鬼守の一族と出会う前の鬼は鬼同士で子を成すしかなかったから、俺達が生まれる頃には親はこの世にいなかった」 「私とまるで同じ境遇だったのですね」 「当時の鬼にとっては当たり前の状況だから特別なんとも思わなかったがな。とはいえ俺にとって、兄は唯一の家族だ。どんな外道であれその事実は変わらない」  この世にたった一人の肉親を自身の手で葬った黒鉄の心の痛みは眞白に理解することは出来ないだろう。だが寄り添うことは出来る。 「私では役不足かもしれませんが、これからは眞白が黒鉄様のお側にいます」 「ああ、きっとお前が居てくれたから兄を討つ覚悟が出来たのだろう。感謝してるぞ」  黒鉄に助けられてばかりだったのが、自分も黒鉄を支えることが出来て泣きたくなるほど嬉しかった。この喜びが伝わればいいと黒鉄の胸に額をくっつけた。 「俺はこの耀の国を、差別も偏見もない自分の意思で人生を選べる……そんな国にしたい」 「黒鉄様が望む世界を眞白も見てみたいです」 「ああ、俺が望む世界でお前と共に生きるのが俺の望みだ」  黒鉄の腕が眞白を抱き締める。肌と肌が密着するほどに二人の距離が近くなった。 「これからもお前と共に過ごすために、尽力しよう。全てが無事に終わったら……その時、お前に伝えたいことがある」 「ずっと黒鉄様の言葉を待っています。どんなにかかっても眞白は黒鉄様のお側を離れません」  黒鉄の腕の中は暖かい。この腕に守られるように抱かれていたらどんな困難も乗り越えられる気がした。隙間もないくらいに二人が一つになる。ときおり二人の動きに合わせ布団が擦れる音がした。 「眞白、頼みがある」  少し気恥ずかしそうに黒鉄は目を伏せた。 「お前の歌が聴きたい」  黒鉄の願いを聞いて眞白はゆっくりと息を吸う。そして瞳を閉じ、眞白の知る歌の中でも一番に気に入っている歌を口ずさんだ。それは母親が赤子を眠りにつかせるために歌うために作られ、鬼守の一族の間で代々受け継がれていた歌だ。  幼い頃、眞白が眠れない時に村の大人達が歌ってくれた。どんなに眠れぬ夜もこの旋律を聞けば不思議と眠りにつくことが出来た。黒鉄の心が安らげるようにと一つ一つの音に祈りを込める。  眞白の歌に合いの手を入れるように眞白の背を優しく叩いていた拍子が、少しずつ遅くなっていき、やがてピタリと止まった。歌い終えると黒鉄は健やかな寝息を立てていた。 「おやすみなさい、黒鉄様」  来たる明日に向けて眞白も目を閉じた。  いくら黒鉄が正しいとはいえ、幕府に刃鉄や鬼の一族の罪を認めさせるのは至難の技だろう。だからこそ、その困難に向かう黒鉄を支えたい。黒鉄が眞白の身を案じ尽くしてくれたように、眞白も出来ることを全てやり尽くしたい。  どんどんと夜が深くなる。今は宵闇に姿を隠す月も夜を重ねる度に満ちていき、完全な姿を表す。音のない夜も黒鉄がいてくれるから怖くなかった。黒鉄の寝息を子守唄に眞白は眠りに落ちた。意識を手放しても、眞白は繋いだ手を解くことはなかった。
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