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「黒鉄様!」  騒ぎの原因は突如現れた黒鉄だった。夜の闇に溶けてしまいそうなほどに濃い黒鹿毛の馬に跨りこちらを見下ろしていた。村人達はそれを好奇の目で取り囲む。人の波を掻き分けて黒鉄の前に歩み寄る。突然の来訪に驚きを隠せず、心の準備が出来ていなかったせいか声が少し上ずってしまった。 「眞白、元気にしていたか?」 「満月の夜まではあと三日ほどあるのに、どうして……」 「思ったより早く事が済んでな」  嬉しくて仕方がなかったが村人達の手前、はしゃぐことも出来ずに呆然と黒鉄を見つめていた。 「そちらはどうだ? 碧の村を一通り回ったと知らせを受けたが」 「あの手紙に書いた通りでございます。終わった後はこの村で羽根を伸ばしておりました」 「ご苦労だったな。詳しくは城で聞こう」  黒鉄は馬から降りると眞白を抱きかかえた。周りの村人達から歓声が上がる。今まで贄を吟味しにきた鬼は何人もいるが、村人達もこれほど立派な体躯と角を持った大鬼を見るのは初めてのようだ。 「やり残したことがなければ城に向かいたいのだが、どうだ?」 「私はいつでも出れるのですが……」  眞白は村長の方に目をやるとこちらに向かって深々とお辞儀をした。黒鉄もそれを見て頷く。 「黒鉄殿、眞白をどうぞよろしくお願いします」 「もちろん。今後については二、三日中に便りを入れる。眞白の荷物はその時に受け取るとしよう」  黒鉄は眞白を抱きかかえたまま馬に跨った。馬は闇夜に嘶きを轟かせながら駆け出す。どんどんと加速していく中、眞白が振り返ると村人達がこちらに向かって大きく手を振っていた。 「眞白! 達者でな!」  村人達の声に応えるように大きく手を振る。生まれ育った村が小さくなっていくのを眺めていると、黒鉄が少し気まずそうな口調で言った。 「いきなり来てすまない」 「少し驚きましたが……黒鉄様の迎えを待ち侘びていたので嬉しかったです」 「そうか」  蹄の音が響く。夜を軽快に駆け抜ける。心音がどんどんと早くなる。 「月が満ちるまで、待ちきれなかった」 「……え?」 「全てが片付いて一番にお前のことを考えた。お前に会いたくて、しかたなかった」  熱くなった頬を夜風が撫でた。心が急速に満ちていくのを感じた。  双銀城に着くと、黒鉄の臣下達が出迎えた。迎えられるままについていくと奥にある立派な御殿へと通された。既に布団が敷いてあり、内装も本殿と遜色のないくらいに豪華で圧倒される。 「着いてすぐだが、今後のことを話させてくれ」  黒鉄が腰を下ろすのを見て眞白も姿勢を正した。碧の村を回るという役目を果たした後のことを聞かされていなかったので、黒鉄の神妙な面持ちに心が落ち着かない。 「お前が碧の一族への経緯説明に回っている間、前将軍と一部の老中を国外追放した。奴らはもうこの国にいない」  話によると彼らは全てを奪われた状態で北の果てに追放されたらしい。かつての生まれ故郷は以前よりも雪が吹き荒ぶ過酷な環境のようだ。生きるのにはかなり厳しい環境だろうと黒鉄は遠い目をしながら口にした。 「さらに人の一族の代表が決まった。そして俺達、鬼の一族の代表……新しい将軍もな」  黒鉄が背筋をシャンと正す。それを見て眞白も緊張で身体をこわばらせた。 「この俺、黒鉄が耀の国の将軍に就任した」  その顔は将軍としてこの国を背負う男の顔をしていた。百華の島で罪を悔いて人生を諦めていた頃の面影はない。 「黒鉄様以外に将軍に相応しい方はいません。誰よりも国のことを想い、真の平和を望む……眞白は心から嬉しく思います」 「鬼からも人からも……そして碧の一族の村長達もお前と同じように言ってくれた。期待を裏切らないように、命を懸けてこの国の為に尽くそう。……そしてもう一つ。お前に言いたい事がある」 「……はい」  黒鉄は瞳を閉じて深呼吸する。そして心が決まったのかゆっくりと目を開いた。 「眞白、俺の番となってくれないか」 「番、ですか?」 「ああ。罪人の汚名を払拭し、将軍としての国を動かす立場となった。今ならきっと、お前を幸せに出来る」 「でも……私には堕鬼の毒が……」  今すぐに抱きつきたい。しかし眞白は黒鉄の命を奪うためにこの世に生まれた。側にいることは出来ても、黒鉄と交わることは出来ない。 「……あと一つ、お前に言っておかなければならないな」  そう言って取り出したのは見覚えのある白い花だった。百華の島を囲むように生えていた堕鬼の花だ。こともあろうに黒鉄は素手で堕鬼の花に触れている。 「黒鉄様、肌が腫れてしまいます」 「いいから見ていろ」  黒鉄は堕鬼の花のめしべを摘み取った。そして指についた花粉をペロリと舐める。さらには花弁を口に含むと咀嚼してゴクリと飲み込んだ。 「く、黒鉄様っ⁉︎」  慌てて立ち上がり黒鉄に駆け寄る。しかし当の本人はケロリとして得意げな顔をしていた。 「大丈夫だ。一昨日も花弁や花粉を口にしたがピンピンしている」 「堕鬼の毒は鬼にとって有毒なはずでは……」 「他の鬼なら確実に死んでいただろうな」 「では何故、黒鉄様はご無事なのでしょうか?」 「仔細は分からん。著名な医師や学者でも原因を突き止めることは出来なかった。だが、連中は一つの仮説を立てた」  眞白の頬をそっと撫でる。黒鉄に触れることを恐れなくてもいいのだとしたら、こんなに幸せなことはない。 「俺は他の鬼と違って身体が頑丈だ。そして何百年もの間、微量ではあるが堕鬼の毒を吸い込んでいた。……その結果、身体が順応したのではないかと」 「黒鉄様のお身体がそんなにも強いなんて……」 「お前との接吻で、身体が完全に毒に順応したのだろうな。最初は具合を悪くもしたがそれを乗り越え、俺はお前の毒に対する抵抗力を授かった。自分の頑丈さに感謝する日がくると思わなかった」  黒鉄は大きく口を開いて笑った。眞白も釣られて笑う。嬉しくて涙がポロリと溢れた。それを黒鉄の指が拭った。 「眞白よ。お前が涙を溢すその時は、俺がその涙を拭おう」  涙に濡れた指先で唇をなぞる。 「毎日を笑って過ごせるように尽力する」  眞白は何度も頷いた。 「お前がここに生まれてよかったと心から思えるような国を作る」  黒鉄ならきっと大丈夫。生まれ変わる耀の国を黒鉄と共に歩きたい。 「俺はお前のことも、理想の国を作り上げることも絶対に諦めない」  黒鉄の顔が近づく。 「眞白」  吐息が頬を撫でた。 「どんなときも俺の側にいてくれないか」  唇が触れた。柔らかで温かい感触に眞白は全てを委ねた。何度も唇を重ね合わせても足りないくらいに、眞白の心は黒鉄を欲していた。 「眞白の全部は最初から黒鉄様のものです。この命が尽きるまで、私は黒鉄様のお側にいます」  黒鉄は眞白を抱き寄せた。黒鉄の匂いに身体が反応して身体の芯に火が点いたように熱くなった。黒鉄の目が餌を前にした獣のようにぎらついてる。目線で射抜かれて呼吸もままならなくなる。早く触れてほしいと目だけで訴えた。 「こんなに強烈な色香を出されては、加減できなくなってしまうぞ」 「黒鉄様の思うままに、眞白を愛して下さい」 「……その言葉、後悔するなよ」  再び、黒鉄の唇が眞白の唇を塞ぐ。口内を味わい尽くすように舌が動き回る。それに応えるように眞白も舌を絡めた。呼吸するのも忘れて黒鉄を求める。受け止めきれずに溢れた唾液が口元を伝い、顎先へと零れた。
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