4. 聞いてない

4/5
前へ
/189ページ
次へ
 採用が決まったという連絡は、期限ぎりぎりの一週間後に来た。  他の人と比べられていたのか、他にめぼしい応募者がいなかったのかはわからない。  準備に際しての諸々の経費は後で支払うので、領収書を取るようにしておいてくれ、とまで言われ、なんだか至れり尽くせりなのが、喜んでいいのか裏を勘ぐればいいのか判断に悩む。  しかしとにかく目先の問題を解決できるかもしれないし、もうこの際なにごとも経験だ! と思って飛び込むしかない。 (最悪、なにかあったらすぐに逃げ出す心構えだけはしておこう)  あたしは自衛の念を強くした。  採用の連絡の一週間後、仕事初めの前日には、車がわざわざ迎えに来てくれた。  牧園さんの家は郊外にあるそうで、駅からも遠いから、ということだそうだ。  あたしのアパートがある、ごみごみとした小さな建物が並ぶ路地にはそぐわない、黒塗りの大きな高級車がやってきた。のはいいけど、まるで小さな人たちの世界に紛れ込んでしまって、困って身を縮こまらせた巨人のよう。 (レッドカーペットに乗りつけるのが似合う車だってのに)  あたしは恐縮しながら、当座の身の回り品を入れた、膨らんだボストンバッグをトランクに積んでもらった。  後部座席に乗りこむと、車はたいした振動もなく発進する。快適、を実体化したような乗り心地だ。  まるで別世界から来たような鉄の乗り物は、今まで慣れ親しんだ小さな箱庭のような路地を、あっという間に背後へと消していった。
/189ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加