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勤め先だった小さな町工場が倒産、経営者一家は夜逃げ、という突然のトラブルに見舞われたのは、先週のことだった。
(いや、突然じゃないか)
頭のなかで訂正の言葉が響く。
(そうだ。実は予兆はあったんだ)
経営がうまく行ってないことは、事務やっていたあたしには、よくわかってた。
勤め先は中小規模のメーカーを相手に、食品のフィルム包装を請け負っていた会社だった。
けど、経費節減や脱プラスチックの影響で、どんどん仕事が減っていた。資材の値上げも痛い。
実は、給料の支払いも、三ヶ月前から滞ってる。
資金繰りにまず回すから、後で必ず払うから、どうか待ってくれと泣きつかれて、断れなかった。
(だって)
それまでは、一家で本当に良くしてくれてたから。
シングルマザーだった母を小さい頃に亡くしたあたしは、施設で育った。そのせいで、家庭というものをあまりよく知らない。
そんなあたしを、一家は頻繁に食事や行楽に誘ってくれた。ひとり息子の小学生、章くんもよく懐いてくれてた。
(家族や兄弟って、こういう感じなのかな)
なんて思ったこともある。
(でも、そんなの、ただの幻想だったんだな)
そう考えるのは、とても苦々しいことだったけど。
(なにせ、ひと言も告げられず、あっさり置いてけぼりにされたんだから)
(まあ、夜逃げするのに社員に事前説明なんて、できるわけないだろうけど)
残ったのは、古びた設備が残された空っぽの工場と、怒鳴り合う三人の老齢の工員さんたち。
そしてあたしの事務机の引出しに入ってた、宛名だけ書かれた一万円の入った封筒。
それだけだった。
(三ヶ月ぶんの給料が、一万円かい)
あたしは、涙すら出なかった。
賃金だけじゃない。
感情も、思い出も、全部踏みにじられてしまったわけだ。
結局その一万円は、工員さんたちと四等分して終わった。
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