13. 境界のどちら

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 それから、あっというまに一ヶ月が過ぎ、あたしはどうにか本採用ということになった。  なにが理由かはわからないけど、雲雀さんもあたしのことを気に入ってくれたらしく、前の人たちのように追い出そうとはしないでくれた。  そのおかげだろう。  日常生活や移動の介助も、我ながらなかなか手慣れてきたと思う。昼食前に河川敷に散歩に行くのも、日課になった。  別になにもお喋りもせず、お互いにスマホを覗いていたり、持っていった本を読んだりしてるだけのことも多かったけど、逆にそれが心地よかった。  外の空気のおかげか、食事の量も増えてきたと、志麻さんにも好評だ。  気候もだんだんと春らしく暖かくなってきていて、草花も綺麗な色に変化してきている。  眺めが日に日に賑やかに移り変わっていくのを、こんなに目の当たりにするのは、実は、初めての体験だった。  今まで住んでいたところは、緑といえばせいぜい近所の家の鉢植えや、ひょろりとした幹の庭木程度で、視界いっぱいに広がっているのを眺めるなんて機会はなかった。  こういう景色のなかに身を置いていると、なんだかちまちましたことにこだわっていてもしかたないような気がしてくるから不思議だ。  これにあいまって、家賃の心配や、日々の細々とした身の周りの家事なんていうのも、任せられる人がいると思うと、だんだん精神的な余裕も持てるようになってきた。  給料がものすごくいいわけでもない。  雲雀さんが言ったように、キャリアになるわけでもない。  それでも、あたしにはまるで楽園のような職場だった。
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