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 昨年の北潮高校野球部は準々決勝で敗退したので、エスコンフィールドでの準決勝には進めなかった。当然ながら柿崎の応援ノートにエスコンフィールドの記載はない。健人はそこに北潮高校野球部応援・エスコンフォールド北海道版を書き足した。  ちなみにエスコンフォールド以前の円山球場でも、健人の意見をもとに北潮高校の応援には様々な改善があった。もっとも大きなものは、野球部以外の一般生徒の服装を制服から学校指定ジャージに変更したことだ。北潮のジャージは学年ごとに色が違うので、目に鮮やかに色分けされるし、夏の暑い最中、制服姿で球場にやってきて歌って踊ってメガホンを振り上げるのは現役高校生であっても結構きつい。ジャージならば動きやすくて洗濯も楽だと、生徒達の間で極めて好評だった。  相手の守備のタイムの時、演奏をぴたっとやめるのではなくボリュームを最小限に抑えて、再開と同時に再び最高潮へ盛り上げる――応援の新たなスタイルについては、現在、鋭意工夫・検討中である。どこで音量を下げて、どこから元に戻すのか。野球部員だけであればそう難しくないかもしれないが、全校応援の生徒達への伝達方法も含め、一歩間違うと守備を妨害したと批判を浴びかねないだけに、タイミングが非常に難しい。実際に楽器を演奏する吹奏楽部とも協議の上、甲子園までには是非とも形にしたいと考えている。  エスコンフィールド北海道二年目の二〇二四年夏、北潮高校は準々決勝・準決勝を勝ち抜き、二年ぶりに南北海道大会の決勝戦に駒を進めていた。  決勝戦の相手は、室蘭支部の代表・北海道桜が丘高校である。  鮮やかなオレンジのスクールカラーが目に眩い学校で、春の全道大会でも決勝は同じ北潮高校対北海道桜が丘高校の対戦だった。当然のことながら高校野球は毎年選手が入れ替わるから、勢力図もめまぐるしく変わる。昨年、北潮が敗れた小谷学園高校も、昨年の優勝校である札南第一高校さえも今年は南北海道大会に出られなかった。そんな中で毎年当然のように南北海道大会に出場している北潮高校は、実はものすごい学校なのではないかと最高学年になった今年、改めてしみじみと実感した。  今年の南北海道大会決勝戦は、緊迫した投手戦となった。得点差は一対〇――北潮が三回の表に一点を先制、その後は両チーム得点のないまま五回裏の攻撃が終了。グラウンド整備の時間を迎えている。  北潮高校の先発マウンドは背番号一番をつけたエースの佐原大樹である。奴は根室の隣・釧路市の出身で、一年の時に同じクラスだったので、野球部の中ではかなり親しく付き合ってきた。よくいえば陽気なムードメーカー・悪くいえばお調子ものの明るい男で、北潮のエースナンバーを背負う自分にどうして彼女ができないのかを、日々真剣に思い悩んでいる。性格はまごうことなき馬鹿なのだが、ピッチャーとしてはえげつないボールを投げる左投手だから、最少得点の一点を最後まで守ってくれるだろうか。いや、さすがに佐原であっても一点ではきついか――と思っていたら、健人のすぐ隣で応援ボードの整理をしていた二年生の岡部が顔を上げ、健人の名を呼んだ。 「高橋さん」 「おう、どうした?」 「そろそろみんな戻りますから、高橋さんもトイレ休憩行ってきて下さい。もし試合が始まるようなら、戻るまでは自分がやっときますから」 「――そうだな、頼んだぞ」  エスコンフィールド北海道は円山球場とは違い、屋内球場で冷房が効いているのが非常にありがたいのだが、ペットボトル持ち込み禁止と言う応援団泣かせのルールがある。飲み物は無料の給水場に並ぶか、売店で金を出して買うしかない。しかしドリンク一杯の値段が三百円を超えていて、しかも現金払い不可という、現役高校生にとってはなかなか厳しい球場である。  ユニフォームの尻ポケットにスマホとワオンカードを収めて、三塁側内野席の階段を上がりながらちらりと振り返った時、休憩から戻ってきた二年生部員と岡部が白い歯を零しながら談笑していた。  二年生部員の岡部祥吾は、南北海道大会が始まる時に、健人が応援副リーダーに任命した。つぶらな瞳をきらきらと輝かせて「俺、高橋さんみたいな応援リーダーになりたいんです!」と言ってくれた可愛い後輩である。その後の言動や応援に対する姿勢を見る限り、おべっかやヨイショを言っているのではなく、百パーセント本気らしい。憧れの先輩として慕ってくれるのはありがたいのだが、言われた健人の方は少々――否、かなり複雑な気持ちになってしまった。  柿崎は挑み続けて、結局一度もベンチに入れなかった。健人は一度だけ、ベンチ入りして試合に出た。そんな応援リーダーになりたいと言い切るそのマインドは、さすがは最近の若者――年齢は一歳しか違わないのだが――と言うべきなのか否か、正直、正解がわからない。  トイレと水分補給を終えてスタンドに戻ろうとした時、背後から誰かに呼び止められた。 「――よお、健人。久しぶりだな。元気だったか?」 「柿崎さん!」  懐かしさを覚えて振り返った時、先の北潮高校野球部応援リーダーで、今は札幌市内の大学生となった柿崎洋介が、満面の笑みを浮かべて立っていた。  昨年の準々決勝敗退後、大学でも野球を続ける先輩達は練習に参加していたのだが、柿崎は引退後まったくグラウンドに姿を見せなくなった。プレーヤーとして活躍していた先輩とは違い、ずっとベンチ入りできなかった柿崎には野球に対して複雑な思いがあるのだろう。健人に応援ノートを手渡した時の様子といい、この人は綺麗さっぱり野球と縁を切ってしまうのではないか――何となく、そんな気がしていた。  しかし今、柿崎の身体はたくましく鍛えられていて、顔も白いシャツから伸びた両腕もこんがりと日焼けしている。昨年の夏、応援ノートを譲り受けた時には野球の色が抜けかけていたというのに、今、目の前にいる若者の肉体は、明らかに野球選手のそれだった。  健人の視線の意味に気が付いたのだろう。坊主ではない、普通の短髪程度に伸びた後ろ髪をかき分けて、柿崎は照れくさそうに笑った。 「俺さ、大学でも野球続けることにしたんだ。準硬式だけどな。少し離れてみて、やっぱ野球って楽しいんだってよくわかった――ガチでやる野球は卒業したけど、楽しみでやる野球ってのも案外、いいもんだぞ」  ――そうか、そんな道もあるのかと思う。  六月にベンチ入りメンバーから外れ、応援リーダーとして活動しながらも、健人はまだ密かに野望を捨て切れていなかった。そうあることではないが、甲子園出場が決まった後にメンバーが入れ替わって、それまでベンチ入りしていなかった選手に出番が回ってくる――なんてことも、まったく聞かない話ではない。冷静に客観的に考えて、内野手控えの一番手くらいには位置しているから、もしかしたらまだ機会があるのではないかと、選手としての練習もやめてはいなかった。  我ながら諦めの悪いことだと思う。考え出すとじりじりと胸が焦げるような気がして、眠れずに寮のベッドの上で寝返りを打ち続けていた時期もある。きらきら光る目でこちらを見ている後輩の顔を直視できずに複雑な気分になってしまうのは、岡部ではなく健人自身の問題だと自覚している。  諦めるのか足掻くのか。挑むのか別の道を選ぶのか。きっと多分、正解なんてどこにもない。自分の正解は自分で見つけるしかない。柿崎も健人も――そして恐らく岡部もまた。  ――六回の表、北潮高校の攻撃は、七番、ピッチャー佐原君。  そうこうしている間にグラウンド整備の時間が終わって、北海道桜が丘のナインが守備位置に散って行った。健人の今の役割は北潮高校野球部の応援リーダーである。頭を下げて客席の階段へ向かう健人を、柿崎は軽く手を挙げて見送ってくれた。  見下ろす先では、岡部が大きく「サウスポー」と書かれた応援ボードを掲げている。北潮高校吹奏楽部の面々が、高校野球でおなじみのサウスポーの前奏を演奏している。  健人もまた足早に最前列に戻って、北潮高校のメガホンを手に取った。  この試合に勝つのか負けるのか。甲子園に行く時に健人がベンチ入りできるのか。それはまだ誰にもわからないことだ。今、健人が行うべきは応援だ。だからこの試合終了まで目いっぱい応援して――そしてどんな形であれ、今年の夏が終わる時には、柿崎から譲り受けた応援ノートを岡部に渡そうと健人は思った。
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