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 七回裏二死一塁。  最後の打球がセンターのグラブに吸い込まれた時、その人は一瞬、その場で棒立ちになった。  スコアボードには南北海道大会準々決勝第一試合、札幌小谷学園高校対北潮高校の試合経過が残酷なまでにくっきりと刻まれている。得点差は十三対六――七点ビハインドの北潮高校の七回裏のスリーアウト目は、コールド敗けを告げるこの夏、最後の打球だった。  円山球場一塁側応援席の最前列で、選手の名前と応援歌を記した応援ボードを掲げていた北潮高校野球部二年・高橋健人は、この夏、ずっと共に野球部の応援を指揮してき三年生の野球部員・柿崎洋介の横顔を仰ぎ見た。  健人と同様、背番号のないユニフォームが真っ白なのは、柿崎が試合に出ていない控え部員であることの証明だ。高校野球がまだもう一年残されている健人とは違って、三年生の柿崎にもう残された夏はない。健人は一瞬、柿崎もまたその場に蹲って泣き出すのかと思った。事実、試合に出ていた三年生達は皆、グラウンド上で涙を流してむせび泣いていて、健人と同じ二年生の中にも泣いている者がいる。しかし今、控え部員の応援リーダーの目に涙はなかった。一瞬、棒立ちになった後にすぐに顔を上げ、これまで通りの張りのある声を、青く澄んだ北海道の夏空の下に響かせた。 「吹奏楽部は撤収準備!他の生徒は即撤収!野球部員はこれまで通りゴミ拾いと忘れ物チェックしてから撤収だぞ。――健人、俺らも小谷学園とのエール交換が終わったらすぐに出るぞ」 「はい!」  今日の北潮の試合は第一試合であり、既に外野の芝生席にはこれから第二試合を戦う札南第一高校の吹奏楽部と応援団が、北潮高校応援団の撤収を今か今かと待ち構えている。  柿崎のポジションはキャッキャーである。中学時代は空知管内でそれなりに名の知られた選手であり、将来の背番号二番を期待されて、全国最多甲子園出場を誇る名門・北潮高校野球部に入部したと聞いている。一学年下の健人はその頃まだ入学していなかったので聞きかじった情報ではあるのだが、一年秋の大会で一度、背番号十二番を掴みかけたことがあったらしい。だが結局、柿崎が高校生活三年間で、背番号のあるユニフォームに袖を通すことは一度もなかった。不幸にも秋の大会直前に肩を故障し――治療とリハビリ期間中に現在背番号二番をつけている同級生の川西が急成長した為、完全にポジションがベンチ外の応援席に落ち着いてしまった。  当の本人は腐ることも妬むこともなく毎日きっちり野球部の練習に参加し、昨年秋の全道大会から野球部応援リーダーを務めている。どこをどう買ってくれたのか知れないが、一学年下の健人を応援副リーダーに任命して、今年の夏は札幌地区予選からずっと伝統ある北潮野球部の応援をずっと二人で取り仕切ってきた。コロナ禍によって二〇二〇年には南北海道大会自体が取りやめとなり、その後も人数制限や声出し応援禁止など、満足な応援ができない年が続いていた。柿崎がOBや卒業した先輩のところに訪ねていって、吹奏楽部員との連携や声出しのタイミング等、二〇一九年までの応援の仕方を確認してきてくれなかったなら、声出し解禁となった今年、二〇二三年夏の北潮高校野球部の応援は、もっと静かで味気のないものになっていたことだろう。  対戦相手であった札幌小谷学園高校応援団との試合後のエール交換を終え、他の控え部員達と一緒に応援で使った荷物を抱えながら外の駐車場までやってきた時、球場敷地内にサイレンの音が響き渡った。円山球場の外野席と内野席の隙間越しに、これから第二試合を戦う札南第一の選手達の勇ましい掛け声が聞こえ、一番から二十番までの背番号を付けたユニフォームがグラウンドに散って行く光景が見える。  球場関係者も観客も、北海道新聞の記者も北海道テレビのアナウンサーも円山動物園の動物たちも、既に終わった試合のことなど眼中にない。つい先ほどまで第一試合のアナウンスをしていた当番校の放送部員の女子生徒の声が変わっている。どうやら彼ら・彼女らも試合ごとに役割を分担しているらしい。  ――札南第一高校、ノックを行ってください。時間は七分です。  側面に北潮高校野球部と記された馴染みのマイクロバスに乗り込んだ時、柿崎が運転手後ろの窓側の席に座っていた。夏の大会が始まって以来ずっとそうして来たように、健人が隣に座った時、扉が閉まってバスがゆっくりと動き始めた。円山球場のコンクリートの壁が――二〇二三年の夏がゆっくり遠ざかって行く。  ああ、もう北潮高校のユニフォームを着たこの人と一緒にスタンドで、応援ボードを掲げて声を張り上げることはないのか――と思った瞬間、はじめてほんの少しだけ、泣けてきた。
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