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朝起きてリビングに入ったら、テーブルの上に雑誌が置いてあった。
明らかに成人男性向けの。
「柳か……」
凛の視界に入ったらどうするつもりだ。
片付けようと手に取った表紙には、バニーガール姿の女性が微笑んでいる。
それだけなら何も感じなかった。
この程度で俺の理性は揺るがない。
だが。
「……凛?」
モデルの顔があまりにも凛に似ていた。
いや。顔だけではなく小柄で華奢な身体も。
凛じゃないのか?これは。
俺たちの知らないところで、こんな、けしからんことを……。
思わずページをめくる。
凛に似た彼女は肌を露わにして悩ましいポーズをとっていた。
残念ながら凛の裸は見たことが無いが。
きっと、こんな感じなのだろう。
まるで行為の最中のような構図や表情。
気付いたら夢中になって読み進めていた。
だから、凛が2階から下りて来たことにも気づかなかった。
「及川さん、おはようございます」
声を掛けられ慌てて本を閉じる。
目の前に居る本物の凛に本の中の淫らな彼女が重なり直視出来なかった。
「……どうしたんですか?」
「いや……何でもない」
「なんか、怒ってます?」
「怒っていない」
「……ならいいですけど」
「ちょっと柳の部屋に行って来る」
「はい」
首を傾げている凛を残し、リビングを出て廊下を歩く。
ノックもせずに柳の部屋の扉を開けた。
「柳!貴様……」
柳は「待ってました!」とばかりに手を叩いて俺を迎えた。
「お。見つけたかソレ。どうだった?俺からのプレゼント」
「ふざけるな!凛に見つかったらどうするつもりだったんだ!」
「その子、似てるよなー凛ちゃんに」
「……読んだのか?」
「読むだろ?俺が買ったんだし」
……このモデルは凛じゃない。
凛じゃないから他の男が見ても問題無い。
問題無いんだが。
柳には見られたくなかった。
「っつーか、それだけ怒るってことはオマエも読んだんだろ?」
「それは……」
「凛ちゃんとエッチしてる気分になるよな、ソレ」
確かにそうだ。よく出来た雑誌だと思う。
「何かイケナイことしてるみてーでさ。興奮するよな」
「柳。まさかお前……」
「抜いてねーよ。さすがにソレは犯罪だろ」
「……だな」
俺は雑誌を柳に押し付ける。
「お前が預かっていてくれ」
「え。いいのかよ」
「この部屋は凛が出入りする心配が無い。一番安全だ」
「そうだけどよぉ」
「頼む」
「わかったよ。使いたくなったら取りに来いよな」
「必要ない」
ニヤニヤしている柳を無視してリビングに戻ると、凛がテレビを見ていた。
夏休みだからのんびりしている。
「あ、及川さん」
「はい」
大丈夫だ。もう普通に顔が見られる。
「及川さん。今日は何の日か知ってますか?」
「今日は8月2日……ですよね。何の日ですか?」
「バニーの日です」
「バニー……」
「バニーガール」
……落ち着け。凛には見られていないはずだ。
たまたまテレビでそんな話題になっていたんだろう。
「……そうなんですか」
「及川さんは、どう思いますか?」
「どう……と言いますと」
「バニーガール」
これはどう答えるのが正解なんだ?
難易度が高すぎる。
「えぇと……」
「正直に言ってください」
「……そうですね。嫌いではありません」
正直に答えたら凛は明るく笑った。
「私も好きです!いいですよね!」
それは、【着てもいい】ということか?
「でもなかなか買えなくて」
「そうなんですか?」
「私には似合わないと思います」
「……そんなことはないですよ」
「そうですか?」
凛は自分の胸が小さいことを気にしている。
だが、それはそれで良い。
グッとくる。
「凛さんが良ければ、私が買いますよ」
「え……でも……」
「どんなデザインがいいですか?」
凛は目を輝かせて、マガジンラックから雑誌を取り出しページをめくる。
彼女が開いたページには可愛らしいデザインの腕時計の写真が並んでいた。
「これは……?」
「バニーガールですよ?」
文字盤にはウサギを象ったエンブレム。
どうやら【バニーガール】という名前の腕時計のブランドらしい。
「紛らわしい……」
「及川さん、何か言いました?」
「いえ」
冷静に考えれば、凛が自分からあの衣装を着る訳が無い。
少し身体が触れただけで頬を染めるような娘だ。
全部、柳が悪い。
後で説教だな。
「この中ではコレが好きです」
「いいですね。凛さんに似合います」
水色のベルトの腕時計の写真の下に、小さく書かれている価格は予想を上回っていた。
払えなくは無いが。
これは確かに、高校生にはなかなか買えないだろう。
「いつ買いに行きましょうか」
「……やっぱりいいです」
「どうして」
「お小遣いを貯めて買います」
「このモデルは今年限定ですよ」
「そうなんですけど……」
俺はそんなに貧しく見えるのか。
それなりの収入はあるんだが。
「プレゼントさせてください」
「でも……」
「でも?」
「私、何もお返し出来ません」
「そんなことは気にしなくていいですよ」
凛は俯いてしまった。
真面目で甘えるのが下手だからな。
「どうしてもと言うなら……」
「はい」
「身体で返してください」
もちろん冗談だ。
彼女の気持ちを軽くする為の。
なのに。
「……はい」
凛は承諾した。
「……え?あの、凛さん。冗談ですよね?」
「……本気じゃダメですか」
待て待て待て。
「……いいですか凛さん。腕時計が欲しいからと、こんなオジさんとそういうことをするのは問題が」
「何がいけないんですか?」
「もっと自分を大切にしてください」
「大切にしてるから言ってます」
「……どういう意味でしょうか」
凛は雑誌で口元を隠しながら恥ずかしそうに言う。
「及川さんなら……優しくしてくれると思うから」
……ちょっと待て。
それはつまり。
「……いいんですか。本当に」
「はい」
心の中でガッツポーズをする。
凛と出会って4ヶ月。
遂に【この時】が来た。
しかしガツガツしたところは見せられない。
俺は大人だ。余裕のある大人だ。
凛の視線が床に向けられた。
俺もそちらを見る。
そこには写真のようなものが落ちていた。
写っている人物を確認した俺は青ざめた。
あの成人男性向け雑誌のモデル。
そう。凛に瓜二つの彼女がバニーガールの衣装で、あられもない姿を見せている写真だった。
慌てて回収したが、時すでに遅く。
凛はショックで硬直していた。
「……凛。違うんだ。これは」
「……何が違うんですか?」
「だから……」
「……こんな……私のこと何だと思ってるんですか!?」
「落ち着け。誤解だ」
「最っ低!」
そう言い残して凛は2階へ駆け上がって行った。
完全に誤解された。
恐らく凛はこの写真をコラージュだと思ったのだろう。
それも俺が作った。
「……はぁ」
困ったことになった。
あれくらいの年齢の娘は潔癖だ。
しばらく目も合わせて貰えないだろう。
天国から地獄へ突き落とされた。
腕時計くらいでは許して貰えそうに無い。
俺は立ち上がり柳の部屋へ向かう。
説教をする為。
それから。
柳の部屋を出た俺の手の中で、凛に似たバニーガールが微笑んでいた。
【 完 】
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