11 さぽーとねこ

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 帰宅後、夕食を済ませてから、スマートフォンに登録している母の情報を呼び出した。携帯電話番号をタップする直前に指が止まった。  ずっと逃げ続けてきた。今更話せるだろうか。  ――でも、新山社長と約束したから。  一回深呼吸をして、人差し指を五ミリ前に進めた。呼び出し中の画面がすぐに通話中のものに切り替わった。  春姫がスマートフォンを耳に当てるよりも早く、母の焦ったような声が聞こえてくる。 「春姫、もしかして入院してた?」 「え、なんで?」  予想外の問いかけに、いろいろ用意していた言葉がふっとんでしまった。 「この一年間、電話は出ないし、ラインも数時間後に『うん』とか『へえ』とか返ってくるだけだし、ケータイが使えないところにいるんじゃないかと思って」 「心配かけてごめん。私は健康だよ」 「それなら良かったけど。春姫から電話くるなんて珍しいからびっくりしたよ」  母がほっとしたように息を吐いた。それを引き継ぐように、春姫は深く息を吸った。 「うん、今日は伝えたいことがあって」 「何?」 「実は、去年の十一月で会社辞めてた。一月にいろいろあって今の会社でアルバイトとしてスカウトされて、四月からは契約社員になったんだけど、来年度から正社員として雇ってもらえることになった」  言い終わっても母の声は聞こえてこない。怒られるかも、と思ったその時、母が深い深いため息をついた。 「なんでそれ全然言わないの?」  呟くように母が言うから、気が抜けてしまった。 「心配かけるかなと思って」 「何も言ってこない方が心配するでしょう! ちょっと待って、今からお父さん呼ぶから、順を追って全部説明してちょうだい」  母の口調が強くなった。どうやら怒りが遅れてやってきたらしい。  ぱたぱたと足音がして、遠くの方で「おとうさーん、春姫!」と言っているのが聞こえる。  春姫はほっと一息ついた。年を越す前に言えて良かった。肩の荷が下りて、なんだか肩こりまで治ったような気がする。  これから長丁場になりそうだと思い、スマートフォンをこたつテーブルに置き、イヤフォンを刺した。  母に連れてこられた父に「春姫、入院してたのか?」と聞かれた時に夫婦だなあと笑ってしまって、「笑い事じゃない!」と怒られたが、それ以降は淡々と、この一年で起こった出来事を全て話した。
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