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「そうだ、一回試してみない?」
「試す?」
夏木は自分の背中に手を回すと、黒い折りたたみ式のクリップボードを取り出した。机に乗せて、春姫に向けて開いて見せる。A3のカラフルな資料が一枚挟まっていた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、「あなたをお助けします」という、チラシにも書かれていた文言だった。
「あいつ、初期は家事や育児の補助のために開発されてたんだ。だからそういう仕事は得意だよ。応援とか、励ますとか、そういう抽象的なのはまだ苦手みたいだけどな」
夏木は、ボールペンで該当箇所を指し示しながら、詳しい説明をしてくれた。
初回限定三千円で三回好きな時間に「ねこ」を呼べること。予約は専用アプリで行い、利用可能時間は朝七時から夜十時まで。夜九時開始のコマが最終。
「今なら三千円ぽっきりで一時間かける三回分。その後のしつこい勧誘はございません。どうかな?」
「うーん、いや、でも私、そういうのは……」
春姫が言い淀むと、夏木がクリップボードをパタンと閉じた。春姫の体が硬直する。
数ヶ月前に一緒に働いていた同期の言葉が脳裏をよぎった。
『あとは契約書書いてもらえば終わり、ってとこまで行ったのに断られると、めっちゃ腹立つんだよな。客のためにこんなに時間を使ってやったのに、結局断るのかよ、断るなら商品説明をする前にしろよ、時間の無駄だった損したって』
春姫はワンピースの裾を両手でギュッと握り込んだ。夏木は予想に反して微笑んだままだった。
「俺もたまに『ごはんねこ』にハンバーグ作ってもらうんだけどさ、うまいんだ、これが。ぜひヤナギサワちゃんにも食べてもらいたい」
「え? 怒らないの?」
思わず口から漏れていた。
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