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「何の話?」
夏木がきょとんとした表情で春姫を見る。
「いえ。なんでもないです」
「そう。それならいいけど。一応これが契約書。書きたくない時は書かなくてもいいよ。断ってくれても怒んないから」
夏木がクリップボードの隙間から、A4の紙を抜き出して、先ほど説明に使っていたボールペンをその上に置いた。春姫はそのペンをじっと見つめる。
なんだ、さっき私がぽろっと言ってしまった言葉の意味、分かってたんじゃんと思う。
正直に言えば、「ねこ」に興味がないわけじゃない。三千円だって出せなくはない。
「ねこは『はげましねこ』なので、あなたをはげますのがおしごとです。がんばってください。みなさんがんばってます。えらい」
「ねこ」の声がする。再び資料を見る。「あなたをお助けします」。どうやって助けてもらえるのだろう。
春姫はボールペンを手に取った。
「契約します」
「本当? ありがとう。じゃあ、名前と生年月日と住所、それから電話番号を書いてくれる?」
夏木がまぶしいくらいの笑顔を浮かべ、契約書を指し示した。
見られていると緊張する。震えそうになる手を力でおさえながら、「柳沢春姫」と書いた。
反対側から見ていた夏木が呟くように言った。
「春の姫って書くんだね。かわいい」
「名前だけはかわいいんです。見ての通り、私って全然『姫』って感じじゃないから、恥ずかしいんですけど」
春姫は俯く。
「そうかな。春姫ちゃんかわいいと思うけどな」
ドキッとさせられて、ボールペンを持つ手にますます力が入った。からかわれているだけ、からかわれているだけ、からかわれているだけ……。
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