10 なぐさめねこ

3/8
前へ
/104ページ
次へ
「なんも言えないの? その口は飾りなの?」 「すみません……」  この人が帰ってこの場から立ち去ったとしても、気持ちを切り替えられる気がしない。今日も絶対に契約は取れないだろう。  上司が机に両腕を置き、身を乗り出してきた。 「契約取れてんの?」 「いえ……」  思わず俯いてしまった。視界の端で意地悪く上がる口角が見えた。 「お前のために契約してやるよ。良かったな、今日契約ゼロ(ボウズ)は避けられるぞ。この会社では潰れんなよ? ま、うちの会社でだめなんだから、一年もつかどうか疑問だがな」  せせら笑う声が聞こえた。まったくもってその通りだ。前の会社から逃げ出した自分が、結果を出せるはずがない。夏木も押村も新山も優しいから勘違いしていたのだ。結果を出さなければ自分自身に価値などないのに、認められたと思い込んでいた。変わるための努力などしておらず、シロネコの三人から引き上げてもらっただけなのに、自分は変わったし、成長したと思い込んでいた。  涙が出そうな気配がした。上司に見られるわけにはいかない。強く思った。息を止める。「泣けばいいと思っているのか。泣いても何も解決しないぞ」と嘲笑されるに決まっていた。 「あの、お客様」  夏木の声が頭上から聞こえた。顔を上げると、夏木は見たことがないくらい硬い表情で、上司に冷ややかな目を向けている。 「私の方からお断りします。お客様ご自身が『ねこ』に興味を持って、契約するとおっしゃっているようには見えませんでしたので。『ねこ』を利用したいと心から思えていないのでしたら、お互い良くありませんよね? まずは商品説明を聞いていただき、本当にご利用したいと思ってからの契約を――」  上司が椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がった。大きな音が響き、周囲の人が何事かとこちらの様子をうかがっている。
/104ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加