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あの日、動物園から帰ってくると、麻凪くんは私にお絵描きをせがみ、悠宇さんに動物ごっこをせがみ。
それが嬉しくて、答え続けていたらいつの間にか夜になり。
麻凪くんがなかなか寝付かず、やっとのことで寝たその後のこと。
リビングで待っていた私に、寝室から出てきた悠宇さんは唐突に口づけを落としたのだ。
「え、ちょっ!」
思わず大きな声が出て、慌てて両手で自分の口元を塞いだ。
「家ならいいと、さっきは言っていた」
悠宇さんはなぜ私が驚いているのか、まったく分からないという顔をした。
(まさかの無自覚~!?)
「それは言葉のアヤです!」
「言葉の……アヤ……」
言いながら肩を落とし、しゅんとする悠宇さん。
なぜかものすごく申し訳ないことをしたような気分になる。
「あ、あの、別に私だって嫌なわけじゃないんです。でも、何て言うか、こういうのは心の準備が必要っていうか……」
慌てて弁明を試みる。
すると、悠宇さんは突然私から距離を取り、「悪い」と一言呟いた。
「そういえば、奈紡は前の彼氏にひどいことを言われたんだったな」
そう言って、悠宇さんは私に手を伸ばし、その手を私の頭にポンと乗せた。
(覚えてたんだ……)
ほっとしたような、残念なような。
嬉しいような、悲しいような。
昔の恋人のことも相まって、なぜだか涙が溢れてしまった。
途端に目の前の悠宇さんは、はっと目を見開く。
「悪かった、そんなに嫌だったのか……」
「違……」
悠宇さんとのキスが、嫌なわけじゃない。
けれど、その言葉は届かずに。
「奈紡の心の準備ができるまでは、触れないと約束する。人生はまだ長いからな」
そのまま、悠宇さんがキッチンに行ってしまうのが、どうしようもなく寂しくて。
「あの、ぎゅってするだけとかだったら……嫌じゃ、ないですから」
「本当か?」
振り向いた悠宇さんは、困ったような嬉しいような、とても複雑な顔をしている。
「きっと、悠宇さんなら私の嫌なことはしないって、そう思うから……」
言いながら恥ずかしくなり、俯く。
すると、私は突然大きなぬくもりに包まれていた。
悠宇さんの両腕に、閉じ込められていたのだ。
「……もし嫌だったら、俺のこと引っぱたいていいからな」
冗談交じりにそう言う悠宇さんの腕の中で、私は幸せを感じていた。
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