2人が本棚に入れています
本棚に追加
「安宿なら靴も買えるだろ。悪いがこれから仕事だ。家にあげるわけにはいかない」
そう言いながら小遣いには多い1.000リラ紙幣を手渡される。
宿にも、靴にも困りはしないが彼の優しさに素直に甘んじる。
「本当にありがとうございます。
アドゥマン!ボンヌソワレ!あっ、」
わざと母国語で礼を言ったのは思わず彼に聞かせてみたくなったからだ。
もし、ほんの一瞬でも懐かしさを感じる事があればと。しかし、言った後でそれは浅慮であったと後悔した。
もしも、彼女が過去を思い出したりなどすれば、それはとてつもなく酷なことだ。
「ア・ドマーニ
...シニョリーナ」
そう言い去っていく背中に大手を振って別れた。
teo、そう名乗った彼の身元は大体は把握していた。世界各地にいる『家族』から情報は得やすい。
「シニョリーナ、長旅でお疲れでしょう」
そう言いながら歩み寄って来た中年男性にエマは振り向き、笑顔で駆け寄る。
「バルトロ!ドミニクも元気そうで!」
40代後半の男性は賑やかに笑顔を向けると見覚えのあるブーツを足元に置いた。
「普段は誰が近づこうが気づくのに、どうしたら噴水に落ちるんですかね。盗られた鞄も無事取り戻しましたよ」
「ありがとう。助かったわ、私のことはエマと。バルトロ、今夜はお世話になるわ」
髪も髭もバッチリ整った50代の紳士はエマが失くした旅行鞄を一度地面に置くと彼女の手をとり甲へ口づけした。
「またあなた様に会えるとは。今夜だけと言わずぜひゆっくりと滞在なさってください」
「そうしたいのだけれど、カミーユが許してくれないわ。」
フランスを立つ際に留守番を頼んだ青年のことを話すとドミニクは歯を出して笑った。
「あれが素直に留守番をするとは思えないが、誰かさんに似て向こう見ずだし」
「誰のことかしら。ねえバルトロ?」
案内するように一歩先を行くバルトロは目を細くして首を傾げた。
「さて、私の口からは何も。ですが…自由奔放な主人というのは些か困りものです。」
「まさかあなたにまでそんなことを言われるとは思わなかったわ」
頬を膨らませる。
バルトロはこの街の権力者フランチェスカの家老だ。この家は代々一族の『協力者』であり、今夜の宿泊先。
現在屋敷の主は不在とのことだったが、若く未婚のこの主人は仕事柄か単に旅行好きか屋敷にいる方が珍しい。
「それに、あのカミーユが一週間もシニョリーナと離れられる忍耐を兼ね備えてるとも思えないな」
「はは…」
カミーユが聞いたら激怒するかもしれない。教会での拗ねた顔を思い出し思わず苦笑いを返しながら、バルトロが用意した車で屋敷へと移動した。
最初のコメントを投稿しよう!