田口一君と僕

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田口一君と僕

ここから遠いある国からミサイルが発射され隣国に落ち人が沢山殺されて、それで今朝、その報復に隣国からミサイルが発射され、また人が沢山殺されて。何やってんだよ。誰も得なんてしない。お互いエスカレートして核戦争なんかにならなければいいけど。人間の理性って、どの位信用できるんだろうな。人類の叡智って、こういう時、信頼していいんだろうか。 「鈴木君、聞いてます?先生の言ったこと簡単に説明できる?」 おっと。ここは、5月の中学校の教室。今は一年生の理科の授業。僕は今朝のニュースのことを考えていたのだった。でも、物思いにふけってても、ちゃんと先生の言ったことは聞いてたよ。僕は立ち上がった。 「昔、白い木に擬態して鳥に捕食されるのを逃れていた白い蝶がいました。でも、環境汚染で木が黒くなった。それで、擬態が利かなくなった白い蝶は鳥に捕食されるようになった。そんな中で、白い蝶の突然変異種である黒い蝶が黒い木に擬態して捕食を逃れるようになり、今度は黒い蝶が増えた。白い蝶はいなくなった。というお話でした」 「完璧だね。鈴木君、授業聞いてないと思ってたらちゃんと聞いてるのね。すばらしい。そうですね、今の話は、生物の進化って長い時間をかけて起こることのように思われてるけど、すごく短い時間でも起きるんだよ、って例です。はい、座ってください」 僕は座り、窓際の席で気持ちよさそうに差し込む日の光を浴びている隣の田口一君を眺めた。僕と目が合った田口君が口を開いた。 「授業って楽しい。ためになる」 「そっかあ。そう思える君がうらやましい」 「ふふ」 そう言って笑う田口君は、学ランを着た中肉中背の中学一年生。でも一か所だけ僕らと明らかに違う。それは、彼の肌が薄いきれいな緑色をしているってことだった。 彼は先週、担任に連れられ、突然このクラスにやってきたのだ。 彼をみんなに紹介する時、担任の先生も流石にちょっと困ったようだった。なにせ、名前がない。それで、僕が彼に名前を付けてあげた。話すことや聴くことは普通にできるけど、読み書きが全くできないらしいから簡単な書きやすい名前がいい。それで、田口一。僕が彼の名付け親だ。彼は初めて持つ鉛筆で手本を見ながら自分の名前をノートに書き、僕に言った。「ありがとう」 「田口君。気分は?」 「うん。席が窓際に移って大分いい。ここ最高。ありがとう」 さっきからちょっと辛そうだった田口君を窓際の席に移動させてもらえるよう、先生に頼んだのは僕だった。田口君は、体に葉緑体を持っている。体を回復させるには日の光を浴びるのが何よりいい。 田口君は、休み時間になると蛇口から驚くぐらい水を飲み、そのまま腕まくりして校庭に走って出て行く。日光浴だ。日光が彼の栄養素だった。給食はほんの少ししか食べない。それで充分らしい。 そんな田口君と、僕は親友になったのだった。 そんなこんなで10月になり、田口君の手首から先の色が変わった。 きれいな紫。紫色に染まる左右二本の手の平。 「右手がね、オス。左手がメスって、ことみたい」 「ああ。雄花と雌花だ」 「そろそろなんだ。こうして、右手と左手を組み合わせて。ほら」 「なんにも起こらないけど、もしかして受粉?」 「そう。ふふふ」 そしてその日を境に、田口君は学校に来なくなった。家はたしか河原の方。でも、河原に行っても、田口君は見つからなかった。こうして僕は親友を失ったと思っていたのだった。でも、翌年の5月。 「鈴木君。初めまして。田口まりです」 中学二年生になった僕の目の前に、ブレザーを来たかわいらしい女の子が立った。かわいらしいけど、肌は薄い緑。もしかしてこの娘って。 「はい。父が鈴木さんにすごくお世話になったって。親切な人だから仲良くしなさいって」 「言ったの?」 「まさか。伝わるんですよ。たねを通して」 驚いたことに、この年、突然入学してきた田口さんは田口まりさんばかりではなかったのだった。一年生にも、三年生にもいる。弟の通う小学校にも、姉の通う高校にも、田口さんは入学してきたらしい。 でも、そんな沢山の田口さんも、10月にはどこかに消えてしまった。 そして、70年が経った。 僕はいつしか病床にいて最期の時を待つ老人だった。傍で僕の介護をしてくれているのは。 「田口さん、お世話になってばかりで」 「繭美って呼んでくださいね。なにせみんな田口なんだから。ふふ」 緑色の肌の繭美さんは田口一君から70代経った田口家の末裔だった。 僕たち旧人類は、度重なる核戦争の影響で絶滅に瀕していた。70年前、地球の片隅で起きた二国間の紛争はやがて全世界を巻き込む核戦争へと発展した。人類の叡智なんて初めからあてにならなかったのだ。 そして、その中で、自らの体の中に葉緑体を持つ個体が生き残り増殖した。彼らは休眠ができる「たね」で種を守った。この能力のおかげで彼らは核戦争の影響を旧人類ほどには受けずに済んだのだった。 白い蝶が黒い蝶に進化したように、人間もこうして進化した。今、世界に生き残っている人間は、葉緑体のある個体ばかりだ。 そしてそのすべてが、田口さん。 「田口一君が、初めの一人だったんだね」 「はい。鈴木さんに名前を付けてもらった私たちの始祖です。始祖の伝言。鈴木さんの事はくれぐれもって、代々伝わってるんですよ、たねで」 「だから僕は、君たちに守られてここまで生き延びられた。田口さんの家族に感謝です」 「家族というには多いですけどね。今、日本に、田口は3千万人いるそうです。世界では3億」 「これからはいい地球になりそうだ。君たちは環境を壊さない。争いごとも嫌いだし」 「家族同士争うなんて、馬鹿がすることです。でも」 「はい?」 「鈴木さんたち旧人類だって、誰かを始祖にする一つの家族じゃなかったんですか?」
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