46人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
一章 おしっこ中に転移した
わたしこと聖美杏は今、大変なピンチに陥っていた。
今日は大好きなマンガの発売日。早く読むために絶対に何があっても定時で上がって帰宅すると決めていたのだ。
しかし世の中っていうのはすんなりいかないようにできてるもので、こんな日に限って「これ今日中」と書類を山積みに積み上げられたりするものなのだ。
火事場の馬鹿力的な馬力でもってその書類の山を定時の三分前に片付け、そそくさと片付け終えるとちょうどチャイムが鳴って。
立ち上がったら、上司と目が合ってしまった。
ヤバい!
あの目は何か仕事(“どうだねこれから一杯”も含む)を押しつけようとしているときの顔だ!
頭の中で警報が鳴る。
「お疲れ様です! お先に失礼します!」
奴が口を開く前に大慌てでオフィスを出るとそのままの勢いで会社も後にする。
早く会社を出てしまわないと、追ってこないとも限らない。
オフィスを出ただけでは安心できないのだ、奴は。
けれど、重大な問題があった。
慌ててたもので、トイレに行き損ねた。
誠に残念なことに、我が社はバスに乗らないと駅にたどり着けない辺鄙な土地にある。
そして、一旦意識するとどんどん尿意は高まり、このままバスに乗ったのでは駅に着く前に惨事が起こる可能性が高い。
定時で上がるために根を詰めすぎた。
そして本当に辺鄙な我が社、周辺に何もないのだ。コンビニすらもない。一番近いコンビニは徒歩で片道十分かかる。
ダメだ、保たない。
小股でチミチミ歩いてるから、多分時間はそれ以上かかってしまう。
バスの車内での惨事を避けても今度は路上で惨事だ。
その時、まるで神の導きのようにわたしの目はその一角に吸い寄せられた。
高速道路の高架下、薄暗い所になぜか作られた児童公園。そこに、あったのだ。公衆トイレが。
一瞬躊躇った。
公園のトイレなんて、掃除が行き届かずに汚れ放題なのが普通だ。
けれど、それがどうした。
二十三歳という大人になって、人前で粗相をするという大事故を起こすことに比べたら、汚いトイレで用を足すことを我慢するほうが何倍もいいに決まってる。
零コンマ数秒ためらった後、わたしはそこに飛び込んだ。
鼻を刺す、刺激臭。
うう、涙出てくる。
頑張れ自分。ほんの少しの辛抱だから。
一番手近な個室に飛び込んだ。
今じゃこういったところでしか見かけない、和式便器。
お尻を着けずに済むのは有り難いけど、大概和式は的を外す人がいて周囲が汚れているので、まあ一長一短。
こんなところではどうせどこの個室も一緒!
そう言い聞かせて扉を閉め、ショーツを下ろしてしゃがむ。
いや、汚くてきちんとしゃがめない。
やや中腰気味で、全力で衣服を守りつつさあ用を足そうとしたその時、いきなりぐらりと揺れた。
──地震?
こんな状況でえぇぇ?!
そして視界が漆黒に包まれる。
停電まで?!
心臓がバクバクしてる。
びっくりしすぎておしっこ引っ込んだよ。
いや、意識するとしたい。
停電中でもいい。とりあえずしておこう。
全力で締めていた括約筋を緩める。
その時、明るさが戻った。
限界まで溜めていたそれを解き放ちだしたその時、わたしは気づいてしまった。
ここ、違う!
あの汚い公衆トイレじゃない!
そして足元はトイレじゃない。
苔むした敷石が円形に並ぶ石畳。そして辺りは森。
ストーンヘンジみたいに石の柱が何本も並んでる。
頭上は澄み渡った青空。ああ、雲が流れてるな‥…じゃなくて。
そのストーンヘンジの真ん中にわたしはショーツを下ろしてしゃがみこみ、そしてもうそれを解き放ってしまっていたのだ。
だめだぁ、もう止まらない!
ここどこ~?!?!
静かな森にある謎の遺跡の中、わたしの放つ放水音と心の叫びがこだましていた。
最初のコメントを投稿しよう!