それぞれの道へ

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千里は、どうしたら良いのか皆目見当が付かなかった。 何が間違っていたというのだろう。 一生かけて償う… どうすれば… どう考えても、もう一度城に戻って若殿様の御子を上げることが一番という考えから抜け出ることができなかった。 確かに、何人産んだとて、我が子は、藩主とはなれず、藩主の補佐役で甘んじなければならない。 甘んじる、その考えが間違っているのだと言われても、どうしてもそう思ってしまうのだ。 千里は侍女を伴って、その様なことを考えながら、街の中をそぞろ歩いていた。 ふいに、向こうから必死になって走って来る子どもが見えた。 避けようと思ったが、気づくのが遅く、 子どもは、千里にぶつかってしまった。 「無礼者。 若殿様のご側室であられるぞ!」 「申し訳ございません。 母が急に産気づいて、急いで産婆を呼びに行くところでございました。 時間がございません。 どうか、ご容赦ください。」 「お召し物を汚しておいて…」 「よい、急いでいるのであろう? 早う参れ。」 「ご側室さま。ありがとうございます。」 頭を下げると、子どもはまた、駆けていった。 その子を見送って、家に戻ろうと歩きだした。 だが、ふと思い立って、千里は立ち止まった。 「ご側室さま、どうかなさいましたか?」 「さっきの子どもの家はどこなのかと気になってな。しばし、ここで待ってみよう。 また、ここを通るのであろうから。」 「子どもの家を確かめてどうなさるのでございますか?」 千里は、それに答えず 「そなたは、ここで待つのだ。子どもが産婆を連れてきたら、後を追って家を確かめなさい。見失ってはならぬぞ。 私は先に家に戻って居るから、家を確かめたら、私に教えなさい。 よろしいですね。」 「はい、畏まりました。」 千里は、少し早歩きで家に戻った。 そして、家人を呼んで 「お産に立ち会ったことがある者、 赤子を取り上げたことがある者はおらぬか?」と、尋ねた。 「おります。 およねさんなら、何度かお産に立ち会ったり、赤子を取り上げたことがあるはずです。」 「何かあったのか?千里。」 「父上さま。 街を歩いておりましたら、子どもがぶつかってきまして、尋ねたら母が急に産気づいて産婆を呼びに行くところだったと。 その様子が尋常ではなかったので、 気になったのです。 侍女に、その子どもの家を確かめるように言っておきました。 侍女が戻ったら、その家を訪ねてみようと思います。 よねが、赤子を取り上げたことがあるそうなので連れて行きます。」 「そうか。それなら、よねだけでなく、 薬を煎じられる者もひとり連れて行くが良い。何が必要かは様子を見なければ分からぬから、私も一緒に行こう。」 有功は、取りあえず必要となりそうな薬草をいくつか用意して、侍女が戻るのを待った。 少し経つと、侍女が戻ってきた。 「子どもの家は分かったか?」 「はい、ここからはそう遠くございません。ですが、たいそうな苦しみようで、 難産になりそうでございました。」 「そうか、では急がねばな。戻ったばかりでご苦労だが、その家まで案内を頼む。 よね、仕事の途中ですまぬな。 千里は準備はできておるか? 喜平は、この荷物を持って共に来るのだ。」 「父上さま、では参りましょう。」 案内の侍女を先頭に5人は急いだ。 「どうやら逆子のようなのでございますが、へその緒が首にでも巻き付いているのか、中々出てこぬようでございます。」 「尚更急がねば。破水してなければ良いのだが…」 有功たち5人が着いた。 産婦に付いている産婆に尋ねた。 「もはや、破水したのか? 逆子かもしれないと聞いたが。」 「いえ、まだ子宮口も狭く、破水もしておりません。 ただ、痛みが強く苦しんでいます。」 「そうか。ならば、間に合うかもしれんな。 湯たんぽを用意して、下腹を温めるのだ。 それから、お灸と針の用意を。 千里は、産婦の手を握って、いきみを逃すように息をゆっくり吐く手助けをしなさい。」 有功は、周りの者にテキパキと指示を飛ばした。 「お前は、これと、これを煎じておきなさい。 お産が済んだら飲ませる薬だ。」 「おじさん、おっかあ大丈夫だよね。」 「大丈夫だ。心配しないで待ってなさい。」 そういうと、有功は、逆子が治るツボに、お灸をすえ、針を打っていった。 「もう少しで、逆子が治る。 いきむのを我慢するのだ。」 大きく膨らんだ腹が動きだした。 有功は、その動きを手助けして、頭と足を腹の中で逆転させようとしているのだ。 「痛い!」 ぐるんと赤子が腹の中で回った時、 痛みが走ったようだった。 産婆が腹を触ると 「逆子が治ったようです。 子宮口も柔らかくなって、だいぶ開いてきました。」 有功は、針を取り、お灸の後を払って片づけた。 「では、産婆殿、後は頼む。 私は、産後の薬を用意してくる。 千里は、産婦を見守ってやりなさい。」 いやいよ本格的な陣痛がやって来たようだ。産婆の 「ほら、いきんで~。そう、上手だよ。 頭が見えてきたよ。頑張って。 ほい、もう一度いきんで~」 「オギャア、オギャア…」 「おかあさん、女の子だよ。お疲れさま。」 「産婆殿ご苦労様。後産(胎盤)は出たか?癒着してないか?」 「軽く臍帯を引きましたが、出て来ません。癒着しているのかもしれません。」 「では、後は私がやろう。 下手をすると産褥熱を出し、産婦の身体が危険だ。 だれか、沸かし立ての湯をタライに張って持ってきておくれ。」 有功は、平戸で買い求めたオランダ渡りの産科の道具を取り出した。 それらを熱湯に浸して消毒し、 人肌になるまで冷ました後に、 慎重に子宮口に入れ、ゆっくりと癒着した胎盤を剥がしていった。 どうやら、幸い癒着しているのは部分的だったようだ。 臍帯を引くと、後産が出てきた。 清潔なさらしを当てて、出血の量を確認する。 「産婦どの、後産が直ぐ出ずに少し身体に貼り付いていた。剥がしたので、傷口から出血するかもしれん。 しばらくは余り起き上がらない方が良い。 吸い飲みに、傷を治す薬と、身体の力をつける薬を用意した。 これを煎じて一日二回飲みなさい。 朝のうちに一日分煎じて、2回目は人肌に温めて飲むと良い。 出血が止まらぬようなら、大野屋に人を寄こしなさい。 では、私たちはこれで失礼する。」 「ありがとうございます。旦那様。」 「千里、人助けをしたな。そなたが気付かなけらば、母子共に命を落としていたかもしれぬ。」 「それほど大変だったのでございますか?」 「逆子であったからな。 足が膜を破って破水していたら、危なかったのだ。 足から出てしまうと、頭が出にくく時間がかかるだけでなく、産まれても死産になることも多い。 母親の身体にも負担が大きくなる。 だから、お産は命懸けなのだ。 母親が命を落とすことも多い。 今日は、幸い子宮口が開いていなかったから、腹を温め柔らかくすることで逆子を治せたから無事産まれることが出来たのだ。」 「私は、お城にいて、常に医官が身体の異変がないか診てくれている環境でお産が出来たので、何人でも御子を上げることが出来るなどと傲慢な考えをしていたのですね。 父上さま、先ほどの母者は、大丈夫でしょうか。しばらく養生が必要なのですよね。ちゃんと身体を休められたら良いのですが。」 「そうなのだ。みな、貧しさ故に、産後の肥立ちが良くなる前に動いてしまうことで、命を縮めてしまう者も多い。」 「私、若殿様にお願いして、子を身籠もった女子が安心してお産が出来る 場所を設けようと思います。 私が側室としていただいている金子をそれに充てます。 望む者やお産に不安のある者が、無料で産婆に身体を診てもらえる場所を作ります。 ゆくゆくは、難産だった者がゆっくりと養生出来る場所も作りたいと思います。」 「さっそく、若殿様にお願いするがいい。私も、出来ることは力になろう。」
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