償い

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償い

千里は城に使いをやり、若殿様にお目通りを願った。 数日後、史乃か有功と共にならば目通りを許すという知らせが来た。 千里は史乃と共に登城した。 若殿様は、上段に端座され御簾が下ろされていた。 側室は、元々家臣の扱いではあるが、千里は男子を上げているので、本来ならば御簾で隔てられることはない。 あくまで謹慎中の身であるという扱いであった。 「本日は、謹慎中の身でありながらお目通りのお許しを頂きありがとう存じます。」 「して、今日は、何用で参ったのだ。」 「はい、誠に身勝手ながら、側室としての役目をご遠慮させていただきたくお願いに参りました。」 「奥女中ならともかく、子のあるなしに関わらず、一度側室になった者は生涯城で暮らすのが定めであることは存じておろう。 万が一にも、実家に戻り他の男と通じるようなこととなれば、藩の恥でもあり、加藤の名前にも泥を塗ることになる。 今、加藤家に居るのは、あくまで謹慎処分としてなのだ。 身を慎み、一日も早く息子と共に城に戻れるようにするのがそなたの勤めではないのか?」 「はい、それは充分に分かっております。 ですが、私は愚か者故、お城に戻りましたならば、また、同じ間違いを侵してしまうやもしれませぬ。 先日、父上さまにいつまでここで無為な日々を過ごせば良いのかと愚痴を申し上げました。父上さまは、無為にするかしないかは、己の考え方次第だと諭されました。 ですが、私にはどうしたら良いか分かりませんでした。 その後、侍女を連れ気を晴らすために街をそぞろ歩いておりましたところ、子どもが走ってぶつかって参りました。 母者が急に産気づき、慌てて産婆を呼びに行くところだったようです。 そのまま帰ろうとしたのですが、その子どもの事が気になり、侍女に家を確かめるように言って、家に戻りました。 赤子を取り上げたことがある者はいないか確かめ、その子の家に行く準備をしているところに侍女が戻って参りました。 聞くと、どうやら逆子で難産になりそうだと。 それを聞きつけた父上さまが、家人をもうひとりとご自分も行くと仰って共に参りました。 母親は大層苦しんでおりましたが、 幸い父上さまが適切な処置をして下さり、逆子を治して無事産まれることができました。 後産も直ぐに出なかったのですが、それも父上さまのお陰で事なきを得ました。 ひとりの子をこの世に産み出すのはこれほど大変な事とは知りませんでした。それと同時に、私は若殿様の側室であるが故にいかに恵まれていたか分かったのでございます。 私は、若殿様の大事なお子を殺めてしまうかもしれないという大罪を犯しました。 それを償うために、これからは、 民が安心して子を産めるよう手伝っていきたいと思ったのでございます。 貧しい民は、産むまで産婆にも医者にも診て貰うことなく、お産で命を落とす者も多いと聞きました。 今回の私が立ち会った産婦も、産婆か医師に診てもらっていれば、逆子を治しておくことができたのです。 産後も充分に休むことができない者も多いと聞きました。 ひとりでもお産で命を落とすことがないよう、母子共に健やかに産むことが出来るように、その様な場所を作りたいと考えました。 それが、若殿様と民に償う道なのではと考えたのでございます。 どうぞ、お許しをいただきたくお願いに参りました。」 「合い分かった。 千里は、謹慎を解くゆえ、城に戻るが良い。 そして、藩内の妊婦・産婦の健やかな出産と産後を見守る施設を熙子と相談して進めるが良い。 そのように、領民へ心を配るのは、 本来領民の母たる正室の役目であるからな。 だが、実際に熙子が庶民の暮らしに触れることは難しい。 だから、千里が熙子と共に領民のために働いて貰いたいのだ。」 若殿様のありがたいお言葉に千里は深く頭を垂れて 「ご配慮、まことにありがとうございます。御正室さまの御指導の下、誠心誠意勤めさせていただきます。」 「史乃、そちは、近いうちに城に参るよう有功に伝えてはくれぬか。 また、加藤家の手を借りることになりそうだからの。」 「畏まりました。」 千里はその日のうちに謹慎を解かれ、 城に戻ることとなった。 父である有功からは、 「今度こそ、若殿様のお慈悲を裏切ることなく、しっかりとお勤めに励むように。」と厳命されたのはもちろんのことであった。 そして、 「あの時、母を案じる子どもの姿に千里は心を動かされた。黙って通り過ぎることも出来たのに、そうしなかった。 その理由を聞いてもよいかな。」と 聞かれた。 「はい。私は、あの子どもにであう前は、謹慎という御処分を受けたのに、 反省することなく、早くお城に戻りたいと、そればかりを考えておりました。ただ、無為な時間を過ごすだけだと。 父上さまよりお叱りを受けても、まだ分かっていなかったのです。 あの子が、母のために必死に駆けて産婆を呼びにいく姿を見て、この世に子を産み出すことは、大変な事なのかもしれないと、やっと気づき放っておいてはいけない気がしたのです。 それで、侍女にその子の家を確かめるように申しました。 そして、父上さまが必死に母子を救おうと奮闘される姿を間近に見て、自分のした事の愚かさをやっと分かることが出来たのです。 それで、若君様と若様への償いをしなければと思いました。 それは、ひとりでも多くの領内も住む 子を宿している女人を守り、母子が共に健やかに出産できるよう手助けすることではないかと考えたのです。 あの子どものお陰で、私にも生きる目標が出来たのでございます。」 「そうか。それで良いのだ。 人には、その者にしか出来ない役目がある。若殿様の御子を上げる側室としての役目も千里にはあったのだろう。 しかし、それだけではなかったのだ。 若が、次男として産まれたことにも意味があるのだ。 今は、まだ分からないかもしれない。 それは、誰かに教えて貰うことではなく、自分自身で掴み取るものだからだ。 今は、自分の出来ることを精一杯やれば良いのだ。父も母も出来るだけのことは力を貸そうぞ。」 「はい、父上さまありがとうございます。」
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