かけたひと

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かけたひと

 かけたひと。  それがこの国を統べる者の呼び名。そう思い込んでいた彼は、後に自らの思考を否定することとなる。  統べるとは政治に関わり、国を動かすこと。  この国では、かけたひとと呼ばれる者が政治に関わることは許されていない。かけたひととは神を宿す入れ物の呼び名で、かけたひとに選ばれてたら、選ばれてしまったら、もう人間として生きることができなくなる。  そんなかけたひとが死んだ。またしても短命で死んだ。  短命という宿命、と言うよりは四肢を切り落とされて人肉を食べることを義務として課せられていては、必然的に短命にならざるを得ない。  短命なかけたひとの死に慣れている人たちの行動は早かった。  政治を動かす人々は、すぐさま国中の十七歳の青年をかけたひとの住まう骸堂のすぐ近く、胴場と呼ばれる処刑場に集める。  有無を言わさず服を脱がせて全裸にし、一人づつ胴場に座らせる。普段は処刑の際に使われる棒に括り付けられた横向きの車輪。その車輪の上にぽつんと骸骨が置かれている。  骸骨の前に座らせられる全裸の青年。異様としか言いようのない光景が、この国には必要な儀式。  それを一人の男が見つめる。男は監視役。何か、が起こるのを監視するのだ。男の目に映るのは骸骨と全裸の青年が跪く姿。何人もの青年の姿を見送り続ける。  ふと、彼の順番が来た。男が待ちわびた人物だ。  男が彼を盗み見に行った時のままだ。  小さな港町、降り注ぐ太陽の光をそのまま浴び続けているのを表す健康的な肌色。漁師である父親の手伝いを毎日しているからだろう。他の人と比べると、茶色く焼けた肌色だ。  肌色に似た茶色い髪。豪快に大きく口を開けて、がははと笑う薄い唇。そして、青い目。焼けた肌色にその青い目は美しく映えている。  職人気質の険しく気難しい表情の父親と共に、彼は毎日楽しそうに笑い声を港町に響かせ、汗を拭いながら家業を手伝っていた。  そんなどこにでもいる普通の青年。男はそんな彼に目を付けたのだ。  理由はただ一つ。港町の誰しもが知っている、彼が生まれつき持っている不思議な力。  男が偶然聞いたその不思議な力の話を男の女主人、前かけたひとの妻に聞かせたのだ。  二人は口角を怪しく吊り上げて笑い合う。これを使わない手はない。そう言い合うと、すぐさま行動に移す。 「見た、見たぞ! 彼が次のかけたひとだ!」  男は声を張り上げる。骸骨の前に跪いていた彼はびくりと肩を震わせて男の方に顔を向ける。 「骸骨が、前かけたひとが反応した! 彼こそが我らをお救いくださる神を宿すものとして、我らのために生きてくださる神の入れ物、かけたひと!」  男の興奮冷めやらぬ言葉に、彼は体を縮こませる。  彼は骸骨の前に跪き、何か、が起こった人がかけたひとになると聞かされていた。  その何か、が自分に起こったと言うのだろうか? いいや、何も起こっていない。風すら吹かず、木々が揺れることもなく、静寂に包まれていただけだ。 「……待ってく「さぁかけたひととなる儀式に取り掛かりましょう。まずはかけたひとの義理の母となる前おんなひとへのご挨拶。そして次は」  男は興奮状態のまま、口早に彼の今後の話を進める。  待って、僕の話を聞いて、お願いだから僕にも話させてくれ。  彼の思いなど全く汲み取られない。話をさせてももらえない。  あれよあれよと彼以外の青年は帰らされ、彼は全裸のまま馬車に乗せられ、初めての場所に連れていかれる。  この国にこんな建物があったのか。数々の島を有するこの国の最北端。小さな港町から出たことのない彼にとっては、見知らぬ土地と建物ばかり。その中でも彼が降ろされた建物。この建物はこの国に似合わない豪華絢爛さだ。  貧しく、隣国や他国に比べて時代遅れと言われることが多い国なのだが、その豪華絢爛で大きな建物は時代遅れという言葉は似つかわしくない。 「今日からは私があなたの母となります。前おんなひとの私が政治を動かしますので、かけたひととなるあなたは何も気にせず、ただかけたひととして必要なことだけを行ってください」  初老の女は彼と目を合わそうともせず、椅子に座ったまま、彼と距離のある状態で必要事項だけを伝え、すぐに部屋から出ていく。  あの女が、これから僕の母親。  そんなことを言われても、そんなことを勝手に決められても、そんな簡単に出会ったばかりの他人を家族だとは思えない。  彼には愛すべき家族が既にいるのだ。優しい母と寡黙な父。面倒見のいい長姉とうるさいと思えてしまうほど元気溢れる次姉、そして甘え上手な妹。この五人がいるのに、これ以上愛すべき家族など求めてはいない。 「では、明日からさっそくかけたひと就任の義を執り行います」  彼はそのまま豪華絢爛な建物で一晩を過ごし、明日にはかけたひとになる為の儀式が執り行われる。  なんで、僕は、ただ。  嫌だと拒否してみようか。故郷に帰りたいと、ただ愛すべき家族のもとに帰りたいと願ってみようか。  そう思って部屋を出ようとした。何度も、立ち上がってはドアノブを捻った。  だが、彼は部屋から出ることはなかった。  誰かがかけたひとにならなくてはならない。かけたひとが不在になってしまったら、彼の見えているものたちはどうなるのだろうか。誰がそのものたちを救ってくれるのだろうか。導いてくれるのだろうか。  彼にしか見えないものたち。このものたちを彼が救う立場になるのは、きっと神命だ。生まれる前から定められていた、彼が生を受けた理由なのだろう。  だから、彼はこのものたちが見えるのだ。そう言い聞かせ、心優しい彼は受け入れることに決めた。  自分よりも、他の人を、この国を。彼はそれを選択してしまえる優しい心を持っている人なのだ。  だが、彼は次の日にこの選択を酷く後悔することになる。 「   」  母が彼の名を呼ぶ声は包み込むように優しい。 「   」  彼の名を呼ぶ父の声はぶっきらぼうだが、しっかりと愛されてることは伝わってくる。 「   」  彼の名を呼ぶ長姉は必ず目を細めて、しょうがないなと世話を焼いてくれる。 「   」  次姉と妹が彼の名を呼ぶ時は何か頼みごとがある時が多いが、嫌ではない。むしろ頼りにしてくれると嬉しく思える。  これが彼の日常。優しく、愛し愛される穏やかで大切な日常。  そんな日常はもう二度と訪れない。願っても叫んでももうどこにも存在しない。彼は目の前の惨劇を見て悟る。  四肢を切り裂かれ、地に転がされる家族だった物。さっきまで生きていた家族は、今はもう動くことも話すこともない。このまま置いておけば野生動物の食料になるのか、それとも腐り続けて土に還るのか。  どちらになるかはわからないし、もうどちらでも良かった。  やめてくださいと叫び続けた彼の喉は限界を迎えていた。もう声を出そうとしても出てはくれない。声ではなく、息の音だけが虚しく響く。  家族を失った。たった今目の前で殺された。  もう彼が望むものは何もなくなった。帰る場所、帰りたい場所、居心地のいい落ち着ける場所、無条件に彼を受け入れてくれる家族。全てなくなった、消え去った。  力なく、されるがままの彼も家族同様に四肢をなくす。切り落とされる。  この胴場(どうば)と呼ばれる処刑場は血の染み込んだ処刑道具、処刑後に死体を晒す棒が立ち並ぶ。かけたひとが誕生してから、はたまたそれよりも前から、何百、何万もの人がここで血を流したのだろう、命を奪われてきたのだろう。彼の家族、そして彼自身もその数に含まれることになる。  彼がまず失ったのは右手、右足、左足。初めは声が出ないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。叫び声は出なかったが、喉は震わせた。だが、四肢を切り落とされ続けると、次第に痛みすら感じなくなる。切断面が熱を帯びていて意識はそちらに向いている。そんな中切られても新しい切断面の痛みが訪れるのは熱が引いた後。  だが、その熱が冷めるのも待たずに、焼きごてで切断面を止血。肉が焼ける匂いが胴場に広がる。  あまりの痛みに気を失っている彼を、取り囲む人々は無理矢理起こす。気を失うことすら許されない、原始的で悲惨で非人道的な儀式を終わらせなければならないのだ。  今の彼の体で動かせる部分は左手と首しか残されてはいない。そこを動かすと全身を鋭い痛みが襲う。それでも、人々は無理矢理彼の左手を動かし、石製の杵を握らせる。その下には杵と同じく石製の臼。その中には骸骨が入れられている。彼のやるべきことは手に持たされた杵でこの骸骨を砕くこと。  痛い。熱い。そんなことができる体ではない。状態ではないのだ。だが、これは必要なことだと、この国とこの国に住む全ての人々にとって必要なことだと。周りの人々は次々に囃し立てる。  彼は言われるがままに涙と鼻水と涎で顔をぐしゃぐしゃに濡らし、痛みに耐えながら骸骨を砕く。跡形もなく、全てを砕く。  砕き終えた臼に水を入れられ、彼の左手の杵は取られ、水入りの臼を握らされる。  石製の臼だけでも重いのに、水が入っていて重さは増している。右手足と左足を失ったばかりでバランスが取れない彼は懸命に握ろうとするが、上手く握れない。痺れを切らした男が臼を支えながら彼の口元に臼を付ける。そして一気に水を流し込む。  ごほっ、がぼっ、ぐふっ。  彼が苦しそうにしていることなど気にも留めず、さっさと終わらせたいという態度だ。  砕かれた骸骨を溶かした水を全て飲み干し、やっと自由に呼吸ができるようになり、彼は必死に酸素を取り込もうと胸を大きく動かす。  周りが見えていなかった彼の体に残る唯一の四肢、今臼を手放すことを許されたばかりの左手は彼の死角、後ろから振り下ろされた斧によって切断される。  そして先程同様、焼きごてで止血。肉の焼ける匂い。その様子を退屈そうに見ている人々。  頭と胴だけにされた彼は倒れ込んでも動くことができない。受身を取ることも先に手を出すこともできずに、顔から地面に倒れる。  死にたい。殺された方が苦しまずに済む。  そう思って顔を濡らしていても、誰も優しくはしてくれない。優しい態度も言葉もない。ここにいる誰もが彼を人としては扱っていない。  乱暴に起こされた彼は質素な硬い椅子に置かれる。そして、家族と同じ惨状が目の前で行われるのを見させられる。  小さな子供。彼はその子供が誰なのか知らない。目隠しをされて、不安そうな声を出しながら子供は手足を縛られて拘束されている。  泣き出した子供に対しても容赦はない。次々に手足を切断され、胴と首、頭と首も切断。  手足と胴は胴場に晒され、頭は燃え盛る炎の中に入れられ、首は手馴れた男が細切れにしている。 「さぁ、かけたひとが最初に救う罪深き者。前かけたひとの子と同化し、彼をお救い下さいませ」  口をこじ開けられ、細切れにされた肉を次々に口に入れられる。  人の肉など食べたくない。食べれるはずがない。そうは思っても次々と口に入れられ、吐き出すことも許されない。息が苦しくなってくる。  彼は無意識に咀嚼を始めていた。飲み込みやすい大きさにまで噛み砕き、喉を通る大きさになったら飲み込む。本能的にそれを繰り返す。 「今ここに、新しいかけたひとが最初の罪人をお救い下さいました」  誰かが張り上げる声を聞き、今彼のすべきことは一旦終わった。聞かされていなくても彼はそれを感じとり、意識を手放そうとする。  ねぇ、君は僕を食べたんだよ。僕を殺したんだ。それなのに、どうしてすぐに楽な方に進もうとするの? 君のせいで家族は死んだってのに、僕は死んだってのに。ねぇ、教えてよ。今の君が何を考えて眠ろうとしてるのか。  脳内に響く声に導かれ、彼は閉じかけていた目を見開く。目の前には見知らぬ男の子。歳は四、五歳と言ったところだろう。  僕は君に食べられた子供。君の目の前で殺された前かけたひとの子供。  絶えず聞こえてくる声と、徐々に近づいてくる子供の姿。  彼はどうすれば許されるのか、どうすればこの子供を救うことができるのか。わけもわからずに奇声を上げ続ける。
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