治験の仕事

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治験の仕事

 高橋 直人は健康だけには自信があった。  でも、その他は何もない人間だった。  生まれた後すぐに病院の前に捨てられ、児童養護施設で育ち、今年、高校を卒業したので、児童養護施設も出なければならなかった。  健康には自信はあったが、勉強はまったくできなかった。興味を持てる教科もなかったし、習い事など児童養護施設にいたら望むべくもない。  サッカーや水泳、英語の塾、クラスメイトがそれらに通っていても、羨ましいとも思わなかった。負け惜しみではなくて、本当にそんな気持ちがわかなかった。  友達もいなかった。児童養護施設にいると言うだけで、自然と直人の周りには人が集まらなかった。  そういう訳なので、高校を卒業した後はすぐに働きに出た。ただ、元々友達もいなかったので人間関係を築くのも下手だったし、勉強にも興味がなかったので、仕事で新しいことを覚えると言うのが、どうにも煩わしかった。  先生に教わっていても興味が持てなかった色々の勉強を、いきなり知らないおじさんや、ちょっと若いお姉さんが仕事に必要な事だからと教えてくれてもまったく興味が持てない。  結果、すぐに転職し、次に行く。段々とまともな社員ではどこの会社も採用してくれなくなり、アルバイトも長くは続かなかった。  直人はいつも金欠だった。日雇いの体力仕事しか勤められる場所がなくなっていたからだ。日雇いの仕事がないとお金も入ってこない。  そんな直人がコンビニで無料の求人誌を手に取って、これならいけるんじゃないか?と思ったのが製薬会社の新薬の治験者の募集だった。 ※健康な方 ※18歳以上25歳以下の方 ※3か月間~6か月間もしくはもっと長期(新薬の成果による)の間、弊社指定の病院で過せる方(外出は不可能) ※3食付き ※給与はすべての治験が終った時に一か月あたり40万円で換算してお支払いいたします。  直人はすぐにこの求人広告を出している製薬会社に連絡をした。  条件をすべて満たしていると言うと、身分証明書をもって翌日面接に来るように言われた。  翌日、指定の場所に行くと30名ほど直人と同じような年恰好の集団が同じ会場にいた。指定された会場は治験が行われる予定の病院だった。  一人ずつ名前を呼ばれ、診察室に入っていく。  まず、採血や身体測定が行われ、翌日に採用結果を連絡すると言われた。  驚いたのは、採血などを行ったのでその日も日当として1万円がわたされたことだった。  翌日、直人の元に採用の連絡が来た。  新薬の治験は1か月後から始まり、長期間に及ぶので、もし、アパートなどの人は一旦解約することを勧められた。  そして、それまでの一か月の間、できる事ならば体調を崩さないように毎日、治験が行われる病院の食堂で食事をするように言われた。  直人は、確かに3か月から6か月、いない間の家賃を考えて、アパートの解約手続きをした。一か月後に退去する旨を不動産屋に伝えた。  病院の食堂ででる食事は病院の管理栄養士が作ってくれたバランスの良いものでこれまでにないほど健康的だった。3食食べるのに今現在仕事がない直人はアパートに帰るのも面倒で、夜寝る以外は、病院で過ごしていた。  自分が治験の時に使うベッドが既に決まっていて、そこで昼間過しても良いと言われていたので、自分の少ない着替えなどの荷物を徐々に運びながら長い治験生活に備えた。  すると、それを見た薬品会社の担当者が下着や病室着はすべて支給されるので、自分の荷物はとりあえず、病院の倉庫で預かる旨を伝えられた。  治験者のベッドは4人一部屋で、明るい空色の壁紙が貼られた広めの病室だった。  そんな病室が5部屋。あの日に集まっていた30名の中から健康に問題のない者だけが20名集められたようだ。  さて、治験までの一か月間、バランスの取れた豊かな食生活で直人の身体は更に健康さを増し、治験にはもってこいの身体になったようだ。  いよいよ治験の始まる日が来た。    
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