悪運の令嬢と死にかけ王子の結婚

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8  茶色の髪や優しげな目、その顔立ちや表情から純朴そうで悪い人物には見えなかった。中流階級らしき少し皺の寄った木綿の服に、少しくたびれた三角帽を被っていた。二十代半ばだろう。 「アルフレード殿下」 「お前は……」  どこかで見たことがあるのだろう。アルは考えこみ、そしてぱっと顔を上げた。 「兄上付きの侍医の息子だろう。兄上と幼なじみの⁈」 「はい。クリスと申します」 「どうしたんだ、こんなところで……」  王族のみが入れる墓園で髪に葉っぱをつけて医師の息子がいる。なにをアルに言いに来たのだろうか。セリルはアルの横に並んだ。 「ファン王太子からこれをお預かりしていたのです」  クリスは胸ポケットから手紙を一通、アルに手渡した。王冠のついた王家の封筒である。アルは急いで封を切る。 「セリル」  アルはセリルにそれを見せた。絵が描かれてあった。 「これは――」  赤いバラの花のデザインだ。蔦が絡まり、円く輪になっている。 「金の懐中時計の意匠です」 「懐中時計の?」 「はい。実は、王太子殿下がアル殿下が庭で殺されそうになったのを偶然、側を通りかかられたそうです。倒れたアルフレード殿下に慌てて走り寄ると、犯人は逃げ、このバラの懐中が落ちていたそうです」 「で、現物は?」 「それが……」  クリスは言いにくそうにする。 「王太子殿下は拾われなかったのです。代わりに人を呼びに行き、殿下を助けようとされました」 「俺を見つけたのは兄上だったのか……」 「それが、弟を殺そうとした疑いを掛けられた一つの理由でした……」  クリスは悔しそうに地面を見た。アルは彼の顔を覗き込む。 「それで、時計は?」 「ああ、そうです。王太子殿下が、もう一度、駆けつけた時には懐中時計はなかったようです。犯人が取りにもどったのではないかと」 「でも兄上は絵心があった――」  アルも絵を描くが兄のファン王太子も絵を得意としていたらしい。一度見たデザインを覚えていて、描き起こしたのだろう。セリルがアルに言う。 「犯人は懐中時計を見られたことを気づいていない可能性があるわね」 「ああ。重要な手がかりになりそうだ」  アルはクリスの腕を掴む。 「それで、クリス。兄上は他になにか言っていなかったか。毒についてなど」 「毒については食事でないことは確かです。ただ、どんなに注意していても、茶会や晩餐会ともなると食べ物を拒めません。まさか毒味係を連れて歩くわけにはいかないのですから。そしてそういう場に出た後は特に具合が悪くなっておられました」 「公の場か……」  アルは考えこんだが、セリルは遠くに護衛官がこちらを窺っているのを見た。慌ててクリスを生け垣に押し込み、花を摘んでいるふりをする。アルも花をセリルの耳元にさしてやるふりをしながら地面を這いずっているクリスに言った。 「クリス、毒は俺も調査してみる。近いうちに連絡する」 「かしこまりました」  クリスは身が軽いのか飛ぶように生け垣を跳び越えたかと思うと、這うようにして見張りを交わして去って行った。アルの手には先ほどの絵がまだあった。 「どこかで見たような気がする」 「だれかの持ち物だってこと?」 「犯人は誰かに殺すように依頼したのだろうか。それとも自ら手を下したのか……」  セリルは推理する。 「犯人は王族か貴族ね。凝った細工のある懐中時計を庶民が持つはずはないし、金なら尚更。赤いバラっていうのも貴族らしい趣味だわ」 「そうだな」  アルは同意し、考えこんだが、長居は怪しまれる。セリルたちが帰れば警備も薄くなるからクリスの逃げる道を作ってやれる。セリルはアルをひっぱり坂を下り出した。「お帰りだ」と侍従の声がして、皆が持ち場に帰り、馬車のドアが開かれた。 「さて、セリル。どうするか」 「毒について調べましょう」 「そうだな」  二人は墓地を後にすると、馬車に乗り込む。王宮のライブラリーに行けばなにかヒントが分かるかもしれない。アルがまだぼんやりと窓の外を見た。今起きたことを考えているに違いない。セリルはそんなアルを慰める言葉を知らない。  ――励ますのも難しいし、ただ、横にいるのが一番だわ。きっと必要になったら向こうからなにか言ってくれるはず。  セリルは、アルを邪魔しないように、小さなバックの中から鏡を取り出すと、その中を覗き込んだ。すると、酷く肌荒れした自分の顔を見つけたではないか。長期にわたって部屋に閉じ込められたせいで手入れが行き度々か無かったのと、ストレスが多かったのが原因だろう。  セリルは慌てて乱れた化粧を直し始めた。馬車の中で化粧を直すのはマナー違反だが、アルと一緒に化粧室に喪服のままいくのはよろしくない。 「すっごい粉だな……」  ぱふぱふと顔に白粉をはたき込んでいると、アルが唖然としていた。 「王宮のは特にものがよくていいわ。保ちがよくて艶やか」 「そうか……気に入ってもらえてよかった……」  アルは吸い込んでしまったのか、ごほごほいいながら、手で飛んだ白粉を払う。セリルは笑った。 「殿方だって化粧するのに、あなたは一度も白粉をしたことがないの?」 「そういう流行には疎いんだ」 「つけたらぜったいいい感じになると思うけど?」  セリルがおふざけで、アルに化粧をしようとして、彼は急にセリルの腕を掴んだ。そしていきなりハンカチを取り出したかと思うと、彼女の手首を掴んだまま、その顔をゴシゴシと拭い始める。 「ど、どうしたの?」 「忘れたのか。兄上も化粧をしていたじゃないか。白粉が原因だったのではないか」 「あ、ああ!」 「可能性はある」 「じゃ、まだファン王太子の部屋に証拠があるかもしれないわね」 「さあ、どうだろう。回収はそれほど難しくない。俺たちですら部屋に入れたのだから」  アルの目の付け所はいい。  ――王太子殿下は化粧品を調べたかしら……。  白粉が怪しいのなら、香水も怪しいし、風呂に入れる香りつきのオイルも疑うべきだ。クリスに聞けばなにか分かるかもしれない。 「バラの意匠にはなにか思いあたることはない?」 「ないな。他人の懐中時計など見ていないから」  貴族たちは他人の持ち物に敏感だ。誰が高価なものを持ち、あるいはおしゃれなものをみせつけているかは重要な問題だ。アルのように他人に無頓着な王族はこういうときに困る。セリルは鏡をバックの中にしまうと、代わりに扇子を手に取り広げる。背筋をただし、貴婦人を演じるのは、王宮が見えてきたからだ。馬車は王子のために開かれた王宮の門扉に吸い込まれるように入り、噴水を半周してから玄関前へとつけた。 「殿下」  馬車を迎えたのは王の側近だった。名前は――そう――リンズ卿。セリルは、この人が子爵で有能な王の右腕だと知っていた。会ったのは一、二回ほど、郊外の別荘に招待されたときに挨拶した程度だ。相手は覚えていまい。 「セリル妃殿下」  しかし、リンズ卿はセリルを覚えていた。愛想のない顔に少しだけ微笑みを浮かべ、馬車から降りるのに手をアル共々貸してくれた。 「リンズ卿。どうかしたのか」  アルが意外な人物の登場に眉を寄せた。 「ここではその――」 「かまわない」  リンズ卿は小声になった。 「王太子殿下の件です」 「俺の疑いは晴れたと父上から聞いたが?」  どうやら、一連の事件の調査を正式に指揮しているのがリンズ卿のようだ。 「陛下がお待ちです」 「そうか……」  三人は玄関ホールを右に回り、王がこよなく愛する本のコレクションがあるライブラリーに入った。半円ドームの屋根の部屋は吹き抜けで、壁には本が天井まで並べられてある。中央に長椅子やテーブルがあり、そこに王はいた。リンズ卿はセリルにも席を外してもらいたそうであったが、アルはそれを無視した。 「セリルとは秘密を持たないと誓っている」  リンズ卿は王に伺いをたてる視線を向けた。王は頷き、セリルとアルに向かいの席を指差す。 「座れ」 「はい、父上」  重苦しい空気が流れる。王の手には毒に関する本があり、真っ直ぐに息子を見つめた。アルはそれに瞳を揺らすことなく見返した。なんのやましいことが自分にはないと。兄を殺してはなどないと瞳で訴えた。王は不意に言った。 「お前が、自由になって一番にどこに行くのか気になっていた」  気になっていたというより、試されていたのだ。 「兄の墓所に向かったと聞いて安心した」  そのまま隣国に逃げれば、手が回っていたのかもしれない。 「当然です。弟として兄を失った悲しみは……言い表せません」 「うむ」  王は組んでいた足を戻し、茶を一口飲んだ。  小さな沈黙ができ、気を利かせたリンズ卿が取りなすように言った。 「陛下、調査結果のご報告をしてもよろしいでしょうか」 「うむ」  リンズ卿は手帳を取り出し、鼻眼鏡を掛けた。 「アルフレード殿下の馬車を襲った賊の一人が誰であるか分かりました」  アルは目を大きく広げ、身を乗り出した。 「兄上の手のものだと聞いていたが」 「そうではなかったのです」  アルが憤った。 「誰だ。誰が、あんなことを。セリルももう少しで殺され掛けたんだぞ」 「……それが、近衛隊の元隊員、ゼザル・ホッソ。三十六歳でした」  王が茶器をテーブルに戻した。がちゃりと、少し荒らげる音がした。 「もったいぶって言わずともいい」  王は怒りを押し殺して声で言い、腕を肘掛けにおいてから、おもむろに言った。 「エレーだ。エレーの護衛を五年ほど務めたことのある男だった。エレーはファンの命令でアルを殺そうとしたと自白するように指示していた」  セリルの胸が鼓動を大きく一回打ち、彼女は驚愕で動けなくなった。
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