悪運の令嬢と死にかけ王子の結婚

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9 「王妃さま?」  セリルには、やはりという思いと、まさかという気持ちもあった。彼女は状況的には怪しいが、一見、非常に優しい人に見える。アルの母とのいざこざがなければ、すっかり信用していただろう。 「どういうことですか、陛下」 「言った通りだ。王妃の元護衛の近衛武官がアルの刺客だった」  つまり――今、分かっているのは、近衛の武官が犯人だったということだけで、王妃が関与しているとは限らないということのようだった。アルが自分のことより亡きファン王太子を気遣う。 「兄上のことはなにか分かったのですか」  なにか判明したから、アルは軟禁を解かれたはずだ。 「ファンは死の間際にお前が犯人ではないと何度も言っていた。それに倒れた時に、都にいなかったし、その前も誤診とはいえ、死んでいたではないか。それにこの十日ばかり怪しい行動にもでなかった。そなた付きの使用人たちの行動にも不審な点は見つからなかった」 「兄上は半年も前から毒に犯されていたとおっしゃっていました。毒であると思われるから調べさせているとも」 「いつだ」  セリルは慌てた。まさか霊のファン王太子に会ったとは言えない。すぐに、アルの横から言葉を挟む。 「アルが意識を取り戻し、わたしと庭を散策した時です。迷路の側で――」 「襲われた場所を見に言ったのか」  王はアルに尋ねた。 「はい。なにか思い出すことがあるかと思いまして」 「うむ」  王は黒い髭を撫でて考える。 「兄上は調査させていたが、調査していた人物が謎の死をとげたとも仰っていました」  「ファンの死因は明らかに毒である。症状からして『悪魔の接吻』ではないかと医者は言う」 「『悪魔の接吻』? なんですか、その毒は」 「異国でつくられた薬だ。嘔吐や下痢、喉の渇き、腸の焼けるような痛み、ベラドンナや鉛、アンチモンなどが主成分だ。粉末状も液状も存在する恐ろしいもので、十年ほど前から巷ではどうやら出回っているらしい。口にしても触れてもいけない。未だ突き止めていないが、売買組織があるようだ」  ファンは疑念を言う。 「粉状のものもあるなら化粧品ではありませんか」 「それはまず一番に調べたがそうではなかった」 「お願いがあります、父上」 「なんだ?」 「兄上の部屋を見させてください」  王は考えこんだ。アルが犯人だと思う人はまだいる。王は一つだけ条件をつけた。 「リンズを連れていくならよい」  リンズ卿が立ち合ってくれるなら、こちらとしても疑われずにありがたかった。  アルは立ち上がり礼をすると、ライブラリーを後にしようとした。しかし、それを王が止めた。 「一つ言っておくことがある。教会がそなたたちの結婚の無効を告げてきた」  アルとセリルは顔を見合わせて驚いた。今更、無効とはどういうことだろう。アルがすぐに不満を露わにした。 「いったい、なぜですか」 「白い結婚は結婚として成立していないというのが理由だ」  セリルはかっと顔が赤くなるのを止められなかった。初夜を迎えていないのを王はしっかりと把握し、それは教会にまで知られているのだ。アルが憤慨した声になる。 「それに関してはご存じでしょう。結婚したのは、俺がほぼ死んでいた時のことですし、生き返っても体調が思わしくなかった。機会を得たくても、夏の宮殿に行く途中に賊に襲われ、セリルと俺は命からがら逃げたのです。宮殿に帰れば兄上が危篤で俺は犯人扱い。いつ、そんな中で婚礼をまっとうせよというのですか」 「余も同じことを教会に言った」 「では――」 「だが、男爵家の方でも突然の結婚を面白く思っていないようだし、ファン亡き後、次の王妃はそなたの配偶者だ。セリルはふさわしくないという者も多い」  男爵令嬢では身分に差がある。この国でいままで男爵の娘が王妃になった前例などない。皆、公爵や侯爵でたまに伯爵がいるくらいだ。本当のことを王は言っているが、セリルには腹が立つほど理不尽で納得のいかない話だった。 「納得できません」  その言葉を先に言ったのはセリルではなかった。アルだった。 「セリルは俺の妻です。兄上の喪が明けるのを待ってから、結婚は完全に成立させます。今は、俺を狙った刺客と兄上を殺した犯人を捕まえることが重要かと存じます」  王は再び茶器を取る。 「だが、確かな後ろ盾がない者が王妃になって苦労するのは、お前だ、アル」 「苦労をさせているのは、俺の方です。死者だった俺と結婚さえしなければ、殺されそうになることも、宮殿に軟禁されることもなかったんです、父上。それでも一緒にいてくれるセリルを今更、どうして家に帰すことなどできるでしょうか」  王は手を振った。熱くなったアルと議論したくない、下がれということだ。  セリルは頭を下げ、泣き出したいのをぐっと我慢してドアを足早に通り過ぎた。アルがハンカチを握り締めているセリルの肩を抱く。 「心配するな、セリル。離婚などしない」 「でも――あなたが王太子になったらきっとあたしたちは離婚させられるわ」 「俺がセリルを守るし、守り切れない時は、王太子の座はロクオールに譲る。それに王族は離婚できない。反対者が訴えているのは無効だ。婚礼の手順を踏めば教会とてなにも言えない」 「アル……」  二人は見つめ合った。そして初夜の話を思い出して共に赤面する。アルは髪をかき分け、セリルは髪の毛先をくるくると指で巻く。そしてもう一度、見つめ合い、「ここはキスする場面だ」と互いに思うと顔をゆっくりと近づけた。しかし――、 「ごほんごほん」  わざとらしい咳払いがして、振り向けば、リンズ卿だ。 「王太子の部屋をご案内したします」 「あ、ああ……」  慌てて二人は手を離し、しかし、六フィート以上離れると魂が完全に離れてしまうので、大急ぎで手を握り合った。 「お二人は仲がよろしいですね」 「セリルと結婚させてもらったこと。それだけは父上に感謝しているよ」  三人は玄関フォールに立った。上を向けば、ウイード公爵が歩いていたが、こちらには気づかなかった。通り過ぎた第三王子のロクオールは、公爵に頭を少し下げてから、アルとセリルを視界に捕らえ、階段を駆け下りてきた。 「兄上!」 「ロクオール」 「母上が――」  彼は半泣きでアルにすがった。 「母上が兄上を殺そうとしたなど本当ではありません」 「ああ、もちろんだ。そんなはずはない。父上もそんな風には思っていないよ」 「しかし、父上は母上に部屋にいるように言いつけて――」 「疑いを晴らすまでのしばしの間だ。俺だってこうして自由の身になっただろう? 少し使用人たちのことを調べているだけに決まっている」 「ですが……」  ロクオールは肩を落とす。アルは兄らしく弟をきつく抱きしめ、 「心配するな。大丈夫だ」 と、背中を叩いた。ロクオールは少しそれに安心したのか、ほっとした顔をし、兄を見上げて小さく微笑んだ。 「ありがとう、兄上。少し安心しました」  セリルはロクオールはセリルと年も変わらないが、非常に多感な人物で、純粋だと思った。母親を思う気持ちが人一倍の優しい性格でもある。彼はセリルにも「ありがとうございます、姉上」と感謝の言葉を述べてから、王ともう一度話してみるのだと言って階段を下って行った。 「殿下」  振り向けばリンズ卿が難しい顔をしている。 「ロクオール殿下には捜査に関してのことをおっしゃらないでください。王妃さまに伝わる可能性があります」 「べつに何も言っていない。一般的な話しかしていないだろう? それより兄上の部屋に急ごう」  リンズ卿は頷き、ファン王太子の部屋へと急ぐ。  ドアの前には赤い制服の近衛兵が剣を帯びて立っていた。  セリルは不思議に思う。今朝はそんなことはなかった。問う目を向けると、リンズ卿は申し訳なさそうな顔になった。 「陛下のご命令でした。アルフレード王子がファン王太子の部屋からなにかを持ち出さないかを試させて頂いたのです」 「……父上は用心深い」  用心深いというより猜疑心が強いというべきではないか。セリルはそんな為政者に好感が持てずに内心、鼻を鳴らした。 「入ろう、セリル」 「え、ええ……」  アルはセリルがリンズ卿に文句を言う前に、ファン王太子の部屋へと促す。朝、見たのと同じ部屋だ。セリルは、鏡の前の化粧品の前に立った。 「化粧品は調べたと陛下はおっしゃっていましたね」  セリルの問いにリンズ卿は頷く。 「はい。毒は検出されませんでした」 「香水も?」 「はい。今の所、部屋から毒らしきものは見つかりませんでした。  セリルは顎に手を置く。ファン王太子は茶会や晩餐会に行くと具合を悪くしていたと、クリスが言っていた。つまり、盛装するときにそれは使われるのではないか。セリルは引き出しを開けてみる。手袋、絹の靴下。ステッキも持つだろう。部屋を見回す。そして、アルが手に持っていた帽子を見て、はっとする。 「帽子は?」  アルの代わりにリンズ卿が答えた。 「帽子は衣装部屋にございます」  セリルは帽子を探しに扉を開いた。さすが洒落者と言われただけあり、色とりどりの服が部屋の左右に所狭しと並べられている。煌びやかな絹の靴がまるで店のガラスケースかのように棚に筆一つ置かれ、ステッキも二十本ほどあった。セリルは高いところにある帽子の箱をアルに手伝ってもらって取ると開けてみた。ビロードの三角帽に大きな白い羽根がつけられたものが入っていた。香水の匂いがし、セリルは内側を見た。 「見て――」  セリルは帽子の内側にある白い粉に気づく。帽子が黒であったので、わずかな粉に気づいた。 「これはなにかしら?」 「髪粉ではないか。髪を白く見せる――兄上は愛用されていた」  セリルは立ち上がってリンズ卿に帽子を渡した。 「髪粉は調べたのですか」 「少々、お待ちを」  リンズ卿は手帳を出し、調査した項目を確認する。そして髪粉がなかったことに気づくと、はっとセリルを見た。 「ございません」  アルが問う。 「ない? それは調査がされていないということか。それとも、この部屋にないということか」 「室内の化粧品類は調査されたはずですが、リストにないということは、もともとなかったのかもしれません」  セリルは衣装部屋を見渡し、棚に括り付けの引き出しを見つけると、すぐに開けた。そこにはまばゆいばかりの宝石の指輪やピン、懐中時計のコレクションがあったが、髪粉はなかった。ファン王太子付きの侍従を呼び、いつもはどこに保管していたのか尋ねてみると、寝室のチェストの上だったという。そこで王太子は身支度をいつも調えていたらしい。 「ない」  しかし、やはりそこにも髪粉はなかった。セリルはリンズ卿を見た。 「ファン王太子が亡くなる前にこの部屋に入ったのは誰ですか」 「両陛下とロクオール殿下他、お別れに来た王族方に友交のあった貴族の方々、教会関係者、医師団、お仕えする侍女と侍従です。私もお別れに参りました」 「つまり――たくさんの人ってことですね? そして部屋が閉鎖されたのは、亡くなった後だったということですね?」 「そういうことです……申し訳ございません」  アルは他の帽子の箱を全部開けて、粉がついたものがないかを確かめたが、王太子の侍従が汚れがついたままの帽子をそのままにするはずがない。どれも綺麗で、粉が残っているものはなかった。 「髪粉が怪しいことを父上に報告しよう」 「そうね」  そこにおずおずと侍従が頭を下げた。 「実は、修理のためにお預かりしている帽子が一つございます。まだ手つかずですので、少々お待ちください。見て参ります」 「そうしてくれ」  期待がふくらみ、セリルとアルは戸口で侍従とリンズ卿を見送った。  が、赤い絨毯が敷かれた廊下の奥から、壮年の男たちが十人ばかりやってくるのが見えた。いずれもセリルも見知っている大物貴族たちだ。  伯爵が四人、侯爵が二人、公爵が三人、枢機卿が一人。いずれも先日、夏の宮殿に行く許可を負うに求めに行った時、王の執務室で見た顔ぶれだった。  彼らは慇懃にアルに礼をしたが、セリルのことを無視した。アルは苛立ったのを極力おさえながらも、わずかに嫌みがこもった声で言った。 「紹介はまだだったか。妃のセリルだ」 「存じております」  誰もセリルを見なかった。言いに来たことは分かっている。 「結婚の無効を教会が承認いたしました」  アルが顎を上げた。 「セリルは我が妻だ。誰がなんと言おうと、彼女より他に妻はない」  アルはセリルを抱きしめ、セリルもできるだけ毅然と顎を上げた。
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