悪運の令嬢と死にかけ王子の結婚

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2  階段を下り終わると、王太子の侍従とリンズ卿が難しい顔をして話し合っていた。帽子を鑑定に出すようだ。しかし、それよりも、アルは興奮していた。セリルは訳がわからず、彼とともにリンズ卿の横に並んだ。 「絵ですよ、リンズ卿」 「絵?」 「兄上は母上の絵を描いていた。それに使った白い絵の具に毒が入っていたのではありませんか」 「あっ」 「口に入るものではないですが、手にはつきます。何者かが『悪魔の接吻』を絵の具にまぜて兄上の健康を害したのではありませんか!」  セリルはあっと声を上げそうになった。  可能性は高い。食べるものだとか、身につけるものだとかとばかり思っていたが、確かに絵が趣味の王太子は毎日のように筆を持っていただろう。そのうち中毒となり、なにが悪いとも知らないまま、母親の美しい姿を描き続けていた。 「可能性は大きいです」  リンズ卿は王太子の部屋にあるもののリストを取り出し目を通す。そして一つ一つを指で追いながら見てから、はっと顔をセリルたちに向けた。 「絵の具は王太子の居間にあるはずです」 「もう一度、行ってみよう。ああ、兄上が描いたすべての絵も調べたい」 「かしこまりました」  にわかに宮殿は騒がしくなった。侍従達が絵を壁から取り除き始め、鑑定人たちが呼ばれる。近衛軍の武官は警戒態勢を敷く。リンズ卿もアルも確信があるようだった。  三人は王太子の部屋に戻る。  描きかけの絵があり、絵の具が整然と箱に詰められている。しかし、箱を開けてみるとなぜか白だけが三本欠けていた。セリルはそっと絵に描かれた前王妃の顔に触れようとした。 「セリル!」  その手はアルに阻まれた。 「毒かもしれない」 「あ、ああ……」  そこに医者と毒を鑑定する学者が現れ、絵の白い部分を注意深く削っていく。話を聞きつけた国王もまた長いローブを引きずって姿を現し、前妻描かれた絵の驚くほどの白い肌を見つめ、それ以上に顔を青白くしていた。 「いったいどういうことだ」  アルが答えた。 「兄上が身につけていたものに問題がなければ、あとは日常のなにかに毒が隠されていたと思ったのです、父上」 「……兄上は絵がなによりお好きだった。公務の合間に絵を描いておられた。『悪魔の接吻』が絵の具に潜んでいても不思議ではないと思ったのです」 「あ、ああ……」  王は柱を掴んだ。医者が駆け寄る。 「いかがされましたか、陛下」 「なんでもない。それより首尾はどうだ」 「すぐに調べます……しかし可能性は高いかと」  学者もその言葉に頷いた。  セリルは偉大なる王が狼狽している姿にごく普通の父親を見た。長男を失い、それが毒であったのを正直、深く悲しみ、また疑心暗鬼にかられていた。今、少しずつ謎が解き明かされていくと、その気持ちを隠しきれなくなってしまっているのだ。  そして――結果は二時間ほどで出た。 「確かに、『悪魔の接吻』が含まれています……」  居間で固唾を呑んで結果を待っていた王とセリル、アル、リンズ卿に、学者と医者は顔を上げられないまま報告した。  おそらくそうだと思っていたアルもとっさに立ち上がって一歩後ずさり、王は「フィンよ……」と長椅子に座り込んだまま頭を抱えた。セリルも二人を思うと悲しくなり、王太子の霊が最後にきらきらと消えて行く様子を思い出して涙が出てきた。 「陛下……」  セリルは王を案じた。しかし、義父は涙を指で拭って気丈にも立ち上がると、アルを見る。 「犯人は必ず見つけなければならない」  王は強い語気で言った。アルが頷く。 「必ず」 「頼むぞ」 「では父上。画材屋を調べにいかなければなりません。これで失礼したします」 「お前、自ら行くのか」 「リンズ卿にもご一緒していただきますのでご心配なく」  アルと離れるはわけにはいかない。王に一礼したアルの横でセリルはスカートの端をもって頭を下げると部屋を出た。そして幾何学模様のモザイク床でできた玄関ホールを横断し、太陽が眩しい宮殿の外に出た。 「さあ」  すぐに馬車が横付けされると、従者の手を借りずに自らセリルが馬車に乗るのを助ける。アルが乗り込み、最後にリンズ卿が熱々夫婦に当たられたような顔で乗り込んだ。 「リンズ卿、どこの画材屋か知っていらっしゃるのですか」  彼は口髭を一撫でしたから答えた。 「ええ。王室御用達の画材屋は一つしかありませんから。バーニス画材店といいます。二百年の歴史のある画材屋で信用のおける者が経営しているはずです」  当たり前のことを聞いてしまったとセリルは思ったが、絵が好きな王太子が他のところで絵の具を調達してもおかしくないように思った。 「侍従はなんと?」 「画材は、バーニス画材店が宮殿まで運んでいるので、余所から買うことはないと申しておりました」  なるほど。王太子が買い物に出かけるわけがない。店が商品をもって王宮にやってくるのは当然だ。ならば、そのバーニスとやらの画材店が怪しいということだ。  馬車は南へと向かい、大聖堂に近い大通りの一等地の前で停まった。「バーニス画材店」と鉄製の袖看板に白い字で書かれているのは、老舗を感じさせる古風なデザインだった。  アルは馬車から下りると戸を引いた。リンリンとドアのベルが鳴り、セリルがレディーファーストで一番に入ろうとしたが、それは止められた。危険と判断されたのだろう。リンズ卿がまず中に入ってから、アルとセリルも店に入る。  見回せば、それほど広い店ではない。  ただ、整然と商品が並び、絵を描く者も描かない者も興味が湧くようなディスプレイだ。かくいうセリルも素敵な空色の羽根ペンに心を奪われ、ガラスペンの美しさに惹かれた 「いらっしゃいませ」  白髪に白髭の品のいい老主人が現れた。アルも客の一人だ。見知っているのだろう。わざわざ店に来たことに驚いて目を見開く。息子とおぼしきよく似た四十代の黒髭の男も同様に驚きを隠さず頭を下げる。 「殿下。お呼びくだされば、いつでも参りましたものを――」  アルはそれには答えずに言った。 「兄上に売った絵の具と同じものが欲しい」 「かしこまりました」 「白だ。白をすべて持って来るように」 「…………」  老主人は意味がわからぬように、「はい」とだけ答えて奥に行く。そして一ダースほどの絵の具を持って来た。いずれも白だ。絵心のあるアルは、ガラスケースの上に置かれた絵の具を少し紙に出して、筆でならしてみた。 「これだ。この白い色だ」  老主人はただならぬアルの雰囲気に不安を覚えたようだった。アルは絵の蓋をハンカチを使って手につかないようにして閉めた。 「リンズ卿」  アルが王太子殺害事件の責任者を呼んだ。リンズ卿は、すべての白絵の具を店から没収するようにと近衛兵に合図して、赤い制服を着た男たちが細心の注意を払って絵の具を没収し始める。リンズ卿は老主人をまっすぐに見据えた。 「一緒に来てもらいたい」 「なにゆえですか」 「王太子殺害容疑だ」 「はい?」  老主人はぼんやりした返事をしたが、同時に息子の方が裏へと走った。アルがステッキをもったままそれを追いかける。 「アル!」  アルがセリルに触れないまま生きていられるのは五分程度だ。その間に捕まえなければならない。が、アルは足が速かった。セリルが追いかけるとずっと向こうに見え、男の背をステッキで強かに叩く。 「うっ」といううめき声とともに画材屋の息子は地面に転んだ。しかし、相手は立ち上がり、アルに体当たりでぶつかって来た。アルは膝でその腹を蹴ったが、ステッキを落としてしまった。拳で相手の顔を殴るも、向こうもアルの肩を強打した。 「なんとかしないと!」  後ろから近衛隊が走って来ていたが、アルの時間切れは近い。ここで霊になられても困る。セリルは、ステッキを拾うと突進し、アルに跨がって今にも殴ろうとしている男の後頭部をステッキで叩いた。 「う……」  男はそのままぐったりとアルの体に倒れかかる。セリルは手をアルに差し出した。彼は男を地面に転がすと、手を掴む。 「ぎりぎりだった」 「こんなところで死なないでよ」 「わかっているさ」 「怪我はない?」 「拳が痛いくらいさ」  アルは立ち上がり、近衛隊の隊長、ケールスに男を引き渡した。これで首謀者がわかる。セリルは安堵の吐息をはいた。
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