悪運の令嬢と死にかけ王子の結婚

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3  王宮へ戻る馬車の中――セリルは物思いにふけった。  ――あとの手がかりは赤い薔薇のついた金時計だけ……。でも懐中時計をもっていたというなら男性よね? まぁ、雇われた人かもしれないけど……金時計なんて貴族でないと買えないし……。  一番怪しいのは王妃だ。王妃は前王妃を恨んでいたかもしれない。それなのに、何枚も母の肖像画を描く王太子を憎く思っても不思議ではなかったし、事実、セリルたちの馬車を襲ったのは王妃の元護衛だ。王も怪しんでいる。  セリルは耳朶を弄びながら考える。 「わたしが王妃なら……まず消したいと思うのは、王の愛人か、王だけどなぁ……」  王の浮気は公然で、王妃は公のパーティーにエスコートされないことすらあった。それを美しい微笑に隠して恨んでいても不思議ではないし、王太子とアルがいなくなれば、自分の息子が後を継ぐ――動機も彼女には十分ある。  しかし――事件で利益のある人物がもう一人――。 「うん? 第三王子を見ないけどずっとどこにいるのかしら……」  考えをまとめようと、セリルがああでもないこうでもないと、ずっとぶつぶつ言っていたのが悪かったのだろう。アルが髪をかき分けた。 「どうしたセリル?」 「いえ、第三王子はどうしたのかなって思って」 「部屋にいるのではないか。おそらく父上の命令で」  馬車は鉄柵の門を通り過ぎ、噴水の前を行くと、王宮に戻った。美しい場所だ。シンメトリーに生け垣が作られ、花は常に咲き乱れる白亜の建物。部屋は二百を優に超え、百人ちかい使用人が働いている。以前のセリルは柵の外から憧れて見ていた。でも、今はその美しさが怖いとさえ思った。   だからセリルは馬車が停まってもなかなか下りられずにいた。馬車の下で手を差し伸べるアルが不思議そうに彼女を見たので、無理に微笑を作って何事もなかったように踏み台を下りた。  そして玄関に入り、自室に戻ろうとした時、侍従が二人に声をかけた。 「陛下がともに晩餐をとのことでございます」 「陛下が? 今夜か?」 「さようでございます。ご家族でとのことでございます」 「わかった」  侍従は招待状をアルに手渡し、すぐに踵を返した。セリルは冷たいものを背に感じる。突然の晩餐。国王は一体なにをしようとしているのか。はたまたなにか考えがあるのか、  ――もしかしたら王妃も同じく招待しているかも?   疑問は尽きないのに、すでにアルは行くつもりのようで着替えに部屋に戻ろうとする。 「大丈夫? 家族でだなんて……」 「その家族が怪しいっていうのにな……」  セリルは今夜の晩餐が不吉なものに思えてならなかった。  晩餐のために身支度を調えてセリルとアルのが二人が部屋を出ると、黒いクラバットを粋に結んだ第三王子、ロクオールにぱたりと廊下で会った。 「兄上!」 「ロクオール。顔を見なかったが、どうしていた?」 「父上の命令で部屋にいました」 「そうか。大変だったな」  アルが肩を叩くと第三王子は「しかたないよ」と純朴な笑顔で肩をすくめる。ソバカスがチャームポイントのこの王子とともに三人はそのまま階段に向かうと、ウイーム公爵が紫のドレスを着た王妃をエスコートしてこちらにやって来たところだった。幾分、王妃は痩せたように見える。唇は荒れ、顔色が悪い。部屋に軟禁とはいえ、王妃の部屋だ。かなりの広さがあるはずであるし、食事はしっかり取れたはず。なににそれほど傷心しているのだろうか。  ――まさか王太子の死に衝撃を受けているとは思えないし。  セリルは礼義正しく、スカートの端を持ち上げてお辞儀した。 「王妃さま、公爵閣下」  しかし、いつもの社交的な態度ではなく、王妃はは小さく頷いただけで階段の方へ歩き出す。まるでウイーム公爵に引きずられていくように――。セリルは首を傾げた。  ――二人になにかあったのかな?  しかし、ウイーム公爵の足は階段の一番上に立った時、止まった。セリルの足もつられて止まる。そして息を飲んだ。 「陛下……」  なんとそこには縛られた国王とリンズ卿の姿があったではないか。話せないように二人は猿轡までつけられている。護衛達の姿はどこにもない。国王はなにかを言おうとがんばっていたが、なにを言おうとしているのかはセリルには全くわからなかった。しかし、それがアルへの言葉であることは察せられ、セリルは困惑に眉を寄せた。 「いったい、誰がこんなことを――」  リンズ卿は近衛隊とさきほど戻ったはずだ。つまり、王ともども帰ってすぐに捕らえられた――。  セリルは目を王妃に向けたが、彼女はただ怯えているように見えた。そしてさらに後ろを見る。そこにウイーム公爵と第三王子が立っていて、ウイーム公爵は無表情で、第三王子は唇の端を上げ、残酷な笑顔をしていた。  ――第三王子だったんだわ!  そう思った瞬間だった。アルと目が合い、「逃げなければ」と同時に意思疎通したけれど、もう、それは遅かった。 「死ね」  低い声が聞こえたかと思うと、ウイーム公爵によってアルの背が突き飛ばされた。階段を落ちそうになる。セリルはすぐに片手で彼を支えようとしたけれど、勢いと重さに耐えられない。それでも踏ん張ろうしたとき、なんと第三王子がセリルの背を蹴ったのだ。二人は重心を崩して階段のてっぺんから落ちようとしていた――。  ――ダメ!  セリルはとっさにウイーム公爵がポケットから見せている金チェーンを掴んだ。金の懐中時計が飛び出し、セリルの手の中に入る。必死にセリルはぐいっとひっぱり離さなかった。  ――赤い薔薇の金時計!  しかし、そう思ったのも一瞬のこと。二人はウイーム公爵を巻き込んで階段を転げ落ちた。 アルがセリルの頭を庇ってくれたが、転がるスピードはどんどんと速くなるばかり。どうすることもできずになすがままになっていたが、運がいいことに、セリルのスカートのリボンが鉄の手すりの蔦模様に一瞬引っかかった。 「アル!」  セリルは手すりの棒を掴み、そのまま下へと落ちそうなアルの手を捕らえると必死で止めた。彼はそのおかげでそれ以上落ちることを免れた。しかし、動かない。セリルは慌てて、痛む体で這うようにアルに走り寄った。 「アル!」 「…………」 「アル!」  セリルは思い切りアルの顔を叩いてみた――が、反応はない。  ――お願い、意識を取り戻して!  セリルから涙が出た。  ――アルが死んじゃったらどうしよう……。アルが……アルが……。  はらはらと涙が頬をつたう。  だから、自然と顔を近づけた。あの時みたいに生き返って欲しかった。セリルは全く動かないアルの唇にゆっくりとキスをした。優しいキスだ。愛と涙で胸は強く締め付け、ひっくひっくと嗚咽が出て来るのを止められない。見渡しても幽霊のアルはどこにもおらず、ただ意識のないアルが腕の中で鼓動を止めているように見えた。 「アル……お願い、目を覚まして……」  何度、そう懇願しただろうか。  アルの瞼がわずかに動いた。セリルはアルの体を揺すぶった。 「アル、アル、アル!」  すると、うっすらとアルの瞳が開いた。自分の泣き顔が瞳に映っていて、こんな不細工な顔にしたアルを恨めしく思う。ほっとして声がでなかった。 「セリル……」 「馬鹿、アルの馬鹿! どれだけ心配したと思っているの⁈」  彼はゆっくりと慎重に起き上がりセリルに近づいた。 「大丈夫か」 「こっちが死にそうだったわ!」  アルが微笑んだ。それだけ元気があれば大丈夫だという意味だ。セリルはアルに手伝ってもらって立ち上がる。明日になると全身痛むだろうが、今はなんとか大丈夫そうだ。階段の踊り場に立った二人は、階下を見た。ウイーム公爵が全く動く様子なく階段の一番下にいた。 「わたし――」  セリルは真っ青になるも、アルの顔が近づき、その額と額がくっつける。 「君はなにも悪くない。あいつが俺たちを殺そうとしたんだ」  それでセリルは思いだした。握ったままになっているのは、ウイーム公爵の金の懐中時計。アルは赤い薔薇の絵が兄が残してくれた絵と同じであると気づくと「ああ……」と吐息のような声を漏らした。 「俺を殺そうとした犯人は、ウイーム公爵だったのか……でもなぜ……」  セリルはゆっくりと階段の上を見た。蒼白の王妃と第三王子がこちらを見下ろしていた。第三王子はいつも無邪気な青年ではなく、冷酷で強欲に見えた。しかし、同時に今の状況――ウイーム公爵が死んだという事実をどう受け入れたらいいのかわからずに立ち尽くしているようにも見える。 「アル。陛下を早く助けないと!」  呆然としている全ての人の時計を進めるがごとく、セリルはアルの背を押した。彼は思い出したように階段を下りて行く。しかし、その三段手前で足が止まる。王がこの上なく信頼している近衛隊長、ケールスが国王を縛っていたからだ。アルはそれでも果敢に隊長、ケールスに飛びかかった。 「裏切り者!」  アルはステッキで、ケールスは剣で戦った。しかし、何度目か剣を受けた時、すっぱりとステッキは切られてしまった。アルはそれを放り出し、大きく息を吸うと、剣を振り上げたケールスの腕を掴んで止めた。  相手は生え抜きの武官。アルは王侯貴族。勝負はアルの劣勢だった。  それでも、アルは度胸で勝っていた。相手に頭突きしたのだ。思いもしない攻撃にケールスはふらついて剣を落とした。 「くそ……」 おそらくケールスは部下を何らかの理由をつけて宮殿の外に出しているのだ。王命などと偽って。ならば、近衛隊を呼ぶには王を先に助けなければならない。  セリルはその隙に王を縛っていた縄を解く。 「セリル!」 「陛下、ご無事ですか」 「ああ……」 「一体、どうしてこんなことに?」  答えを王が持ち合わせているかわからなかったが、聞かずにはいられなかった。 「それは――」  しかし、答えを得る前に第三王子、ロクオールが階段を駆け下りて来て、アルの前に躍り出る。アルはケールスが落とした剣を握った。 「殺してやる!」 「ロクオール……」 「父上を殺したな! 王位も自分のものになるとは思うなよ!」  セリルには第三王子が言わんとしている意味がわからなかった。が、王には理解できたようだ。階段の上で震えている王妃を見上げて睨んだ。 「お前がしたことだな! そうであろう!」  王は怒り、王妃はさらに怯えた。第三王子、ロクオールは二人の諍いなど耳に入らない様子でアルに切っ先を向けた。 「止めろ、ロクオール!」 「お前さえいなければ!」  二人の王子は、どちらが上でどちらが下ともつかない腕前だ。ただ、第三王子は感情的であるのに対して、アルはいたって冷静だった。 「死ね!」  剣が頭上から下ろされる。しかし、アルはそれをしっかりと受け止め、十字に交わった剣を跳ね返した。  剣の高い音がホールに響き、その頃には近衛隊の隊長、ケールスがほうぼうのていで立ち上がろうとしたが、王の拳によって再び床に倒れた。  そしてようやく騒ぎに気づいて現れた近衛たちはまず王とリンズ卿を保護したが、一体なにが起こっているのか混乱していた。王子たちの戦いをどう受け止めたらいいのかもわからず、どちらが悪いとも判断しかねている。  王がロクオールを指差して言った。 「アルだ。アルに味方せよ。ロクオールは裏切り者だ!」  近衛はそれを聞くと二十人ばかりで剣を交える二人を囲う。しかし、手出しするのは危険過ぎた。二人はあまりに近くで戦っていたからだ。  アルは剣を突き刺すようにして第三王子に向けるが、相手も軽々とそれを避ける。  腕前に甲乙つけがたいとはいえ、第三王子は剣を感情的で執拗にアルの左胸を狙っていた。 剣が合わさった瞬間、心を落ち着かせて一手一手を読んでいたアルに脛を蹴られて、第三王子は重心を崩した。それがこの戦いの勝敗を決めた。  第三王子は地面に倒され、剣を首に当てられて止められる。  アルは静かに尋ねた。 「なぜこんなことを?」 「…………」  悔しそうにする第三王子は口をきこうとはしなかった。代わりに王が王妃を指差す。 「ロクオールは余の子ではない。そうであろう? ダミアンとの子であろう⁈」  ダミアン、それは誰かとセリルは考えたが、皆の視線が動かないウイーム公爵に向けられると、「ああ」と合点した。  王妃は手すりに倒れ込むように身をもたれた。 「どうだ、エレー、そうであろう⁈」  王の怒りに満ちた声は地から沸き起こるようなものだった。 「嘘です……嘘です……ロクオールは陛下の御子です……」 「嘘をつけ。なにを企んでいた!」  責める王は王妃をここに連れて来るように近衛兵に命じた。真っ青な人は引きずられるように階段を下ったが、最後の段にいるウイーム公爵の首が反対の方向で曲がっているのを見ると「ひっ」と声を上げた。 「母上は関係ありません」  第三王子はきっぱりと言った。 「母上を巻き込んではいません。すべてはウイーム公爵と僕で決めました」 「兄たちの殺人をか!」  第三王子は王の問いを鼻で笑う。 「ご自分でおっしゃったではありませんか。僕はあなたの子ではないと。あの二人はただの他人です」 「それで王位を狙おうとはいい度胸だ!」  王は絨毯の上を右に行ったり左に行ったりして怒りの矛先をどうしたらいいのか考えている様子だったが、剣を振るうがごとく何度も第三王子を指差したかと思うと、怒気を含んだ声のまま言った。 「幽閉せよ! 二人ともだ。王妃もロクオールも!」 「母上は関係ありません!」  何度も第三王子はそう主張したけれど、二人は地下の監獄に連れて行かれてしまう。セリルはなにか王に言葉をかけようと思ったが言葉を見つけることはできなかった。ただ、アルが父親に頭を下げて言った。 「どうか、お気を鎮めてください……リンズ卿がきっと事件を明らかにしてくれるはずです」 「う……うむ……」  王はぐらりと身を崩し、アルに支えられた。
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