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7.命題
8月25日
俺がここに来てから大体一ヶ月が経った。多笑嬢と舞人とララ、三人とは踊るだけじゃなくて、歌ったり、話したり、館の中を探検したり、怖い話をしたり、とにかく館でできる色んなことをした。ただ一つ、気になったことがある。この館には窓が少ししかないから昼間もだいぶ暗いのだが、夜すら明かりが点かない。長机の端っこに装飾がされた大きな蝋燭があるのに、使われた跡がない。
「ねぇ、多笑嬢、あそこに蝋燭があるのになんで夜は暗くしてるの?」
「あぁ、この館には夜になると光を追って動き出す猛獣が描かれた絵画があるのよ」
「そうなんだ」
「え、志燃ったら冗談よ」
もはや何が動き出しても俺は不思議に思わなくなってしまったようだ。
「少しは疑ってかかりなさいね。自分以外が発する言葉は相手の経験と自分の経験で判断しないと」
「……はい。それで、本当は?」
「…っとね、私達unnamedみたいに人じゃない存在は炎を扱えないの。特に私は苦手でね」
「ふーん」
「あの蝋燭はララがここに来たときに唯一持っていたものなの。小さい手で大事に抱えていたわ」
「だからあれは埃を被ってないのか」
「きっとララにとって大切なものだからね…」
多笑嬢が珍しく溜息をついた。
「ちょっと昔話をしてもいい?」
「どうしたの?」
「これは絶対志燃に伝えないといけないことだったから、せっかくだからね」
「うん?」
「私はね、百年と少し前、この世に現れたの。人の形だけれど、人形として。元々は親がいて、家族がいたのだろうけど、名前も付けられる前に母のお腹の中で死んだみたい。unnamedは大抵そんなものよ。だからこそ、志燃やララのように生きてるunnamedは珍しいのよ。それで、名前がないとね、存在するだけでもとても不安定なものになる。もはや人は他の生き物と違って、生命を維持することが本質的な目的ではなくなってしまった。そこで生まれたのが、名前、だったの。命に題すると書いて命題。それぞれの人の初めての命題で、死ぬまで背負い続ける逃れられないもの……。でも逃れられないだけに、強く依存することができる。生きる意味を名前に求められる。名前を礎にして自己を保つことができる。けれど、私達にはそれがない。零から自分の存在意義を探すなんてなかなか上手く行かなかったわ」
俺には取ってつけたような名前があるだけ、まだマシだったのだろうか。
「そんなとき、ある一人の少女に私は贈られたの。その少女はタエといって、この屋敷に住んでいた。本当に私のことを大事にしてくれたわ。タエは踊るのが好きでね、よく私の手を掴んで一緒に踊ってくれたわ。森の中の秘密基地には私だけを招待してくれた。何年経ってもそばにおいてくれて、視界に入るたびに声をかけてくれた。人形としてこんなに嬉しいことはないわ。でも、人形として存在しているだけで、私は元々は人だった。大切にされるだけじゃ意味にはならなかった。本当に人って贅沢よね。あんなにも幸せだったのに」
多笑という名前はその少女から引き継いだようだ。
「でも、その幸せすら続かなかったの。タエは両親によってお見合い結婚をして、子供を授かった。いわゆる戦略結婚よ。タエは本当に苦しそうで、ただ見守ることしかできなくて、とても辛かった。何年か経って、臨月を控えた十一月のある日、私達は秘密基地で二人だけのパーティをしたの。おままごとをしたり、色んな歌を歌ったり、童心に帰ったように楽しそうにしていたわ。紅茶がなくなって、館に取りに戻ったとき、私はお庭の椅子で彼女が戻ってくるのを待っていたの。悲劇はその時だったわ。タエの結婚相手がそそくさと館から出ていったかと思ったら、館から次々に火が出てきた。タエの家族は皆避難できたけど、タエの姿が見つからない。父親が探しに行こうとしたときにはもう火の手が回ってどこからも入れなくなってしまった。タエは妊娠していたから、自分の力で逃げることはできないのに。私は人形の体を本当に恨んだ。私に駆けつけるための足があって、タエを支えるための腕があれば、タエを助けられたかもしれないのに。館を向いて座っていたから、館が燃えていく様子から目を逸らすことができなかった」
だから、火が苦手…なのか。
「翌朝新しくunnamedが誕生したの。お化けのような見た目をした、不思議な子。タエのお腹の中にいた赤子が、unnamedになった。私は決心したの。私がタエとの思い出が詰まっているこの館で、タエの代わりにこの子と過ごして、幸せになろうって。これが私の生きる意味だって。その子を舞人と名付けたわ。タエが大好きだった踊ることを大切にしたかったから。タエの子なら、踊って幸せになれる子だと思ったから」
だから多笑嬢と舞人はここで…。
「unnamedはね、想像したことを少しだけ形にできるから、この館を私達だけに見える特別な場所にしたの。かなり無理をしたから、もうボロボロでも直せないけどね。舞人は踊っている姿を想像したようね。お陰で踊っているときは私も動けるの。たまに踊ってないときも動かさせてもらっているわ」
「………」
「もちろん、今はとても幸せよ。過去はなかったことにできないけど、受け入れることはできる。百年前、タエが生きていたことを認めることが、一番大事なことだと思うの。だから、タエの大切にしたことを、タエが大切にするはずだった舞人を、守っていこうと思ったの」
苦しい、苦しいことだけど、多笑嬢はしっかりそれを受け入れてる。本当に強いな。
「志燃、ここからはあなたも関わってくる話よ」
「え?」
「unnamedはね、不死じゃないの。生きる意味を見つけて、それを達成して百年間経つと、この世から消えてしまうの。あの日は今年の丁度百年前のこと。私と舞人はあと三ヶ月もしたら…」
「いなく、なっちゃう…」
「そう。だけどララはまだまだ幼いから、一人では生きていけないの。それでね、もし志燃が生きることを選ばないのなら、ここでララを守ってほしい」
「俺が……?」
「そう、一応施設にお願いするのも良いとは思うんだけど、ララは喋れないじゃない?誰かララの居場所となってくれる人がいないと、きっと生きづらいと思うから。ララが十六歳になって生きるか死ぬかを選ぶ前は誰か守ってくれる人がいてほしいの」
まだ生きるか死ぬか、決めていないけれど、死ぬと決めたとして、こんな俺でララを守ることができるのだろうか。
「俺に、できるの?」
「正直に言うと、分からないわ。私と舞人の二人で見ていても、気づいたら外に行ってしまうし、言葉を話せるようにもできなかった。でも、私はララも、志燃も、家族のように思ってる。二人なら、きっと幸せになれるわ」
「それも、やっぱり考えさせて。俺、自信がない。何も上手く行かないし、自分が幸せになれる気もしないし、ましてやララの人生を背負うなんて…」
「そんなに重く考えないで。あなたは踊っているだけで、それだけで、幸せを感じてたんじゃないの?」
「……っ!」
「幸せは手を伸ばせばきっとそこにあるから、見つけられるかどうかよ」
俺はもう、幸せ……?
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