クスノキの下の君は誰?

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 あれは一週間前のことだ。  真夜中だというのに30度を超える熱帯夜だった。  奈良公園の近くに佇む我が下宿先で、私は孤独の寂しさと闘っていた。  暑い夜ほど、独りの寂しさは沁みわたる。  我々大学生にとって夏休みというものは、何かをなし得るには短すぎるし、何もしないには長すぎる。  むろん私は後者の悩みを持っており、「何かをせねば、何かをせねば」と、ただ闇雲に焦っていた。  大学生らしく、海へ遊びに行くか。  いやいや、今の今まで奈良盆地の底にへばりつくように暮らしていたくせに、海に対する特殊な訓練もなしに、黒光りするイケイケの男女が跋扈する浜辺へと我が身を晒せば、瞬く間に「盆地民」だということが周囲にばれてしまい、「あらあら、盆地からわざわざ海にやってきたのね。何のために?もしかして…」と心の隅にちょびっとだけある下心が見透かされる可能性がある。それに、一緒に海へ行く友だちは皆無である。  ならば、バーベキューでも企画してみるか。  いやいや、肉というものは焼肉でも、すき焼きでも何でもそうだが、最初の一切れの一口目のみが最上のものであり、残りの肉は霜降りのA5ランクをもってしても、どうしても格が落ちてしまう。そして財布の中が寂しいことは私を含めた貧乏学生の常で、そんなもったいないことにお金を使うわけにはいかない。付け加えて言うならば一緒にバーベキューに行く友だちは一人もいない。  ならば、そのお金を貯めるためにバイトを始めてみてはいかがか。  なるほど。たしかにバイトをすれば自分の働きに応じて報酬を得ることができ、シベリアのように寒い私の財布をいくぶんか潤してくれるであろう。さらに、今後の人生に必要不可欠と言われる社会性なるものが自ずと身につき、私の人間性が青天井になることは目に見えている。なにより私の人間性に魅了された女性から熱烈なアプローチを受け、恋仲になるかもしれぬ。そんなピンク色の展開もやぶさかではない。  いやいや、私は今までにコンビニ、ファミレス、家庭教師、奈良漬屋、古本屋などなどのバイトを一週間ももたずに辞めた、もしくは辞めさせられた社会不適合の猛者ではないか。 我が高潔な魂は、金のためなら守銭奴のごとく媚びへつらうという絶対的資本主義順応姿勢を決してよしとはしない。  クーラーが壊れた部屋の真ん中で私は呻いた。 「なんたる八方塞がり」  部屋は空気がゆらめくほど暑く、その真ん中で胡坐をかく私は修羅のようだったに違いない。  夏を感じたい。  金が欲しい。  恋がしたい。  そんな私の傲慢なる欲望を叶えるものはこの世にありしか、ああ神よ。と見慣れた汚い天井に目を向ける。  薄汚れた窓の向こうには、夜空には切った爪の先みたいに細い三日月が浮いている。  こうやって貴重な夏の一日を、今日もまたむざむざと空費するのか、と自己嫌悪がつま先から頭髪の先まで我が身を浸したとき、スマートホンがわずかな振動とともに、ポンっと軽やかに鳴った。  メッセージアプリを起動させると、『ちょっとアルバイト頼まれてくれない?』という小学校時代の悪友・森下からの一文が画面に映し出された。
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