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旅程は、日本最古の道として知られる「山の辺の道」である。
奈良県桜井市に霊験たしかな山として知られる三輪山という山がある。この山自体がご神体であり、その麓に大三輪神社という大きな神社が飛鳥の昔から建てられている。
その大三輪神社から5キロほど北には、かつて蘇我氏と覇権を争ったという豪族・物部氏が崇めていたとされる石上神宮がある。
この古代の主要な二つの神社をつなぐ旧道が「山の辺の道」である。大和政権が支配していた時代には、この道にも多くの人が往来し、蘇我だ、太子だ、と言葉が行き交って大いに活気に満ちていたことだろう。
今は、私一人が歩くだけの山中に伸びるさびれた細道である。
今日は朝から暑かった。
提示された時間に大三輪神社の鳥居へ行くと、旧友と思われる人物の姿はなく、うちわをパタパタとする参拝客たちが濃い影を引きずって通り過ぎるだけだった。
10分、20分と待っても誰も来ず、不安になって森下に連絡をとるが奴は既読スルーを決め込み、うんともすんとも言わず沈黙していた。
そこで私は、はっとした。
森下はたしかに何人かに声をかけたのだろう。
しかし、あいつの求心力はあいつが思っているほどなく、森下に依頼された元同級生たちは体よく断ったか、そっぽを向いたのだ。
必然的に、私以外には誰一人、同窓会の下見なんぞには来ない。
無駄に自尊心の高い森下にとって、耐えがたいほどの屈辱であっただろう。顔から火が出るほど恥ずかしかったはずだ。それゆえに私には「誰も来ない」という真実が打ち明けられず、かといって中止にしようとも言えず、なんの解決策も見いだせないまま、ただただ徒にもじもじすることによってやり過ごそうとしているのだ。
そこまで思案がいたって「帰るか」と一度は思ったが、このまま帰ってしまえば1万6千円を得ることができないのでないかという不安が脳裏によぎる。
金が欲しい。喉から手が出るくらい金が欲しい。正直、たった10キロ弱の道を歩くだけで、1万6千円が手に入るならこんなに美味しい話はない。
もしかすると同窓会の話は流れてしまうかもしれないが、「下見にはちゃんと行った」という事実さえ残しておけば、森下から1万円ほどはせびれれるかもしれない。
鳥居が作る細い影の下から、首を伸ばす。
ペンキが剥がれて読みにくいが「山の辺の道ハイキングコース」と書かれた案内板が参道の脇に見える。その横には、まるで森の中に吸い込まれるようにして細い道が伸びている。
せっかくここまで来たのだから昔の校外学習コースを歩くのも面白いかもしない、という無垢純真の好奇心がむくむくと入道雲のように湧いてくる。
薄汚れた小悪党のような拝金主義精神と、キラキラとした瞳を持つ少年のような好奇心という相反した矛盾とも思われる二つの心が、私の中で見えない両の手となって背中をぐっと押し出した。
私は、山の辺の道へ、足を踏み入れた。
はじめのうちは、たしかに楽しかった。
しかし真夏の日差しは容赦がない。
とくに一人寂しく歩く若者に対しては容赦がない。
暑さのあまり、道の先の景色はゆらゆらと蜃気楼のごとく揺らめき、私の体もぐらりぐらりと揺れているのではないかと何度も錯覚した。
体の全細胞が満場一致で「ギブアップ」を宣言していたが、それなりに歩いてしまったので引き返すこともできない。
我が身を前に進めることしかできない。
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