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転生して五年が経った。
月日を重ねても、俺の前世の記憶は消えなかった。
どうやら俺が転生したのは、未来らしい。異世界なんかじゃない。日本語も通じるし、名前の形式や世間の常識も、概ね日本と同じだ。文明の程度も大きく変っている様子はない。
それなら、と思った。前世では達成できなかったことを目標にしよう。
つまり、卓球で日本一になる。
前世の俺は七歳から卓球を始めた。
目指すものがあるなら、できるだけ早く始めた方がいい。
幸いというか、なんと言うか。俺の両親は、俺を天才だと思っていた。他の子よりも早く言葉を覚えたからだろう。
「ウチの子は天才だ!」
両親揃って、絶叫を上げていた。
まあ、言葉は覚えたんじゃなく、知ってたんだけどな。
ある日、俺は、夕食の席で両親に伝えた。
「お父さん、お母さん、僕、卓球がしたい」
俺に言われた直後、両親の顔付きが変った。
母は、右手に持っていた箸を落とした。ついでに、箸で持っていたコロッケも落とした。
父は、味噌汁が入ったお椀を落とした。バシャリと床に散らばる味噌汁。おまけに、驚いて口を開けたせいで、口の中の味噌汁もこぼれた。
二人は目を大きく見開き、カタカタと震えている。父の口から、味噌汁の具のワカメが顔を出していた。父自身が震えているので、口から出たワカメも震えている。
なにその反応? 俺、そんな変なこと言ったか? ただ、卓球がしたいだけだぞ?
両親は言葉を失っていた。父にいたっては、ワカメを口から出したままで。二人の表情が曇ってゆく。苦虫を噛み潰したような、渋い顔になった。
やがて、父が言葉を発した。ワカメを口から出したままで。
「そうか……。タッキュウか……。お前も男の子だもんな」
そう言った父は、やはり震えていた。口から出たワカメも、やっぱり震えていた。
「嫌よ!」
母親が立ち上がった。バンッとテーブルを叩いて。その拍子に、彼女の味噌汁がこぼれ、父の手にかかった。
「熱っ!!」
父は叫び、味噌汁がかかった手を振り上げた。叫んだ拍子に、彼の口からワカメが飛んだ。
「タッキュウなんて絶対に駄目! タッキュウなんて……タッキュウなんて……」
母も震えていた。その目には、涙が浮かんでいた。父の手に味噌汁がかかったことも、父の口からワカメが飛んだことも気にしていない。
ちなみに、飛んだワカメは俺の頭の上に落下した。
「駄目よ……タッキュウなんて……」
とうとう母は、両手で目を覆って泣き出した。
何なんだ、一体。卓球の何が駄目なんだ? 少なくとも、スポーツとしてはかなり安全な競技だと思うぞ? 格闘技とかラグビーとかアメフトに比べたら、怪我の危険性も命の危険性もかなり低いし。
父は「お母さん、落ち着いて」と、母の肩をポンポンと叩いていた。味噌汁がかかった父の手には、具のワカメが張り付いている。
「卓也は男の子なんだ。タッキュウを志しても不思議じゃない。むしろ、この子の才能を、俺達の我が儘で閉じ込めちゃ駄目だ」
「でも……でも……」
いや、なんだよこの光景。
父と母の反応が理解できず、俺は呆然としてしまった。俺は卓球がしたいって言っただけなのに。まるで、自分の子が戦争にでも行くような雰囲気だ。
食卓は、意味不明な悲しみに満ちていた。泣く母。母を慰める父。意味が分からず、何も言えない俺。
もう、誰も何も言えなくなっていた。
父の手に張り付いたワカメは、少しずつ乾いていった。
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