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第5話
さっさと降りた巣から制服を掴みだし、再び上がってロッカールームで制帽やタイに靴まで一緒くたに官品のバッグに放り込む。
それを担ぐと微妙な顔つきのハイファを促しエレベーターで三十九階まで上った。
自室のある単身者用官舎ビルと署のビルはスカイチューブで繋がれている。超高層建築を串刺しにして繋ぐこの通路は内部がスライドロードになっていて入居者かビル内に職籍を持つ者以外の利用は不可、要らぬストライクが防止できるという訳だ。
運ばれた官舎側でハイファと交互にリモータチェッカにリモータを翳した。マイクロ波で二人のIDを受けたビルの受動警戒システムが瞬時にX-RAYサーチ、本人確認してオートドアがやっと開く。
銃は勿論登録済みだ。
エレベーターで五十一階へ。
通路を突き当たりまで歩くと右側のドアがシド、左がハイファの部屋だ。普段は着替えやリフレッシャを浴びる以外の殆どのオフの時間をハイファもシドの部屋で共に過ごすのだが、今は一旦分かれ各自の部屋へと戻った。
靴を脱いで上がったシドは、真っ先に制服から特級射撃手徽章や略綬の類を外し、バスルーム前のダートレス――オートクリーニングマシン――の脇にある挿入口に放り込む。
プレスの速配コース依頼のボタンを押すと、数秒で『受付済み』のランプが灯った。これで一時間以内に制服は届くが、それまではやることもない。
取り敢えず我慢していた煙草を咥えてオイルライターで火を点けると、コーヒーメーカをセットした。マグカップに注ぐ頃にはハイファが制服を着て入ってくる。
テラ連邦中央直轄陸軍の制服は上下とも濃緑色で上着の裾が長め、共布のベルトでウェストを締める、細く薄いハイファの体型をより強調するデザインだ。普通の兵士はタイも濃緑色だがハイファが締めているのは焦げ茶色のタイで、これは中央情報局員の証しである。
「待たせてすまん」
「ううん、それは構わないけど。でも貴方が自発的に別室を訪ねるなんてね」
「そんな顔するなよ。お前が俺を別室任務に巻き込みたくねぇって気持ちも分かる、逆なら俺も思うしな。けどお前も逆を考えてみてくれよな」
「……シド」
愛し人の艶やかな黒髪にハイファは手を伸ばす。指先で長めの前髪をかき分けた。
「僕も貴方のアンフェア人生に一生付き合うからね」
微笑み合ってキスを交わしカップを手にキッチンと続き間のリビングに移る。シドは独り掛けソファ、ハイファはロウテーブルを挟んだ二人掛けソファが定位置だ。
「で、エクル星系の第三惑星マベラスとやらはいったい何処なんだ?」
ハイファは別室資料をリモータアプリの十四インチホロスクリーンに映し出した。
「正式に命令受領しないと、コードプロテクタが掛かってそっちに流せないから」
と、二人でひとつのスクリーンを覗き込む。
「ええと、エクル星系でテラフォーミングされて人が住んでるのは第三惑星マベラスと第四惑星シルヴィス。今回の任務はマベラスだね。まずは土星の衛星タイタンのハブ宙港までショートワープ、そこからワープ二回」
「名物は熱帯雨林に反政府武装勢力との戦争って、マジでガチの戦争?」
「呼び方は紛争でも内紛でもいいけど、やってることは変わらないみたいだよ」
「ふうん。で、お前に暗殺命令ってことはやっぱり狙撃だよな?」
「まあ、そうだね」
別室に入る前の二年間、超長距離射程を誇るスナイパーだったハイファだ。
シドも約七年前、二人の出会いとなった広域惑星警察大学校・通称ポリスアカデミー初期生vsテラ連邦軍部内幹部候補生課程の戦技競技会で動標射撃部門にエントリーし決勝でハイファと相まみえ、ハイファと共に過去最若年齢にして最高レコードを叩き出した。
その記録は未だに破られていないほどの超A級の射撃の腕の持ち主だ。
だがライフルなどの長モノではハイファにとても敵わない。
「スポッタは現地採用のテラ連邦陸軍の人間がつく予定、狙い目はこれだね」
「俺にスポッタができるか?」
「本来ならスナイパーよりスポッタの方が経験豊富で腕も上なんだけど……」
「そうなのか? じゃあ俺には無理ってことか」
「ううん、それは通常の場合。僕の場合、スポッタとして貴方ほどの適役はいないと思うよ。スポッタは、いわばスナイパーの女房役。これは普段と逆だけどね」
狙撃の時くらい女房役を交替してもシドは何も構わない。
「構わねぇが何で『お前の場合』は俺でもいいんだ? 本当なら本来のセオリー通り経験豊富な人材を手配して貰った方がいいんじゃねぇか?」
「だって僕は僕より腕のいいスナイパーにお目にかかったことがないもん」
「……なるほど」
スポッタとは観測手ともいい、端的にいえばスナイパーに狙撃以外のことを考えさせない、シューティングのみに専念させる役目をする者のことである。
狙撃はただスコープのレティクルの十字に標的を合わせてトリガを引けばいいというものではない。狙撃成功の鍵を握るのは緻密な計算なのだ。
専用のスポッティングスコープという高倍率大口径の望遠鏡で距離を測り、風を読んで慎重に銃付属のスコープの調整をしなければならない。
他にも気温や気圧、湿度なども重要なファクタ、様々に変わる条件ごとに微調整し、旋回しながら放物線を描いて飛ぶ弾丸のぶれを修正させなければ決してターゲットに弾丸は当たらないのだ。
そういった計測などの雑事全般をするのがスポッタの仕事である。
現代ではその役目の殆どをリモータアプリで代用可能だが繊細なシューティング中の索敵まではリモータもしてくれない。スポッタはスナイパーの護衛でもあるのだ。
そうして二人が連携してなお、最終的にはスナイパーの腕とセンスがものをいう、狙撃というのは繊細で過酷な任務なのである。
「僕は気象条件、特に霧なんかで減衰するレーザーは基本的に使わないしね」
「一度ロックオンしたら勝手にトリガコントロールされて弾が発射される機構のも、AD世紀の昔からあるだろ。そういうのは使わねぇのか?」
「そうやって機能が増えてシステムが複雑になるほど機械は壊れやすくなる。可動部は少ないほど信頼性は高いんだよ。過酷な戦場でも弾が出る、これ必須だからね」
確かに弾が出なければ話にならず、戦場で精密機械部品相手に修理なる戦いに終始するのもマヌケだろう。
「自分の腕の方が信頼できると。でもマジで俺でも務まるんだな?」
「機器の操作はその場でレクチャできるくらい簡単だから。スナイパーとしての僕が求めるのは慣れない土地や条件下で息の合った仕事をさせてくれる人。後はある程度スナイパーとしての素養があればいい。だから貴方以上の適任はいないよ」
「ならいいんだがな。あの別室長の野郎にもの申す気力も湧いてくるってモンだぜ」
「でも戦争だよ? きっと嫌なものも見なくちゃならなくなる……」
「言うなって。一生、どんなものでも一緒に見ていくって誓ったろ?」
無言でハイファが頷いたとき、カチャリと音がして制服が届いた。
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