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第8話
風向は北を基準に東が九十度だとか、スポッティングスコープに付属の携帯コンに表示される緯度・経度・標高、風向・風速・温度・湿度・気圧などの読み方だとか、標的までの距離の測り方だとかをシドはハイファから一通りレクチャされた。
飲み込みの早いバディに微笑み、ハイファは銃床に組み込まれた弾道計算ソフトに使用弾薬の種類や弾頭重量などを打ち込んで、計算結果を確かめながら実際の射撃を始める。
銃口の六十分の一度の角度のぶれが百メートルで二十九ミリのずれになり、一キロメートルでは約三十センチものずれとなる。
ささやかな横風で数メートルも弾丸が流されるのは当たり前、超長距離狙撃ともなれば惑星の自転によってコリオリの力までもが働き、弾丸が横方向に逸れる場合すらあるのだ。
そんなデリケートな調整作業を二人は連携してこなしてゆく。
ノーザナショナル社製ミリアットM820エレガⅢSPは、ミリアットM800エレガⅢSPを一キロだけ軽くし、銃床部にコンピュータを組み込んだ後継モデルで使用弾は408口径チェイタック、チャンバ一発マガジン九発の合計十連発である。
408口径、ゼロコンマ以下408インチという意味でつまり約一センチ直径の弾丸を撃ち出す訳である。あまり大きすぎると空気抵抗で却って距離が伸びない。
銃本体は軽くなったとはいえ重さ十三キログラム、銃としてはかなり重い。だが仕方ない、軽いと撃発の激しい反動で射手が後方に吹っ飛ばされてしまうからだ。限度はあるが狙撃銃は重ければ重いほど当たりやすくなる。
それに今回はジャングルという条件で標的にどれだけ近づけるのか未知数な部分があった。故に有効射程がせいぜい一キロメートル前後の対人ライフルでなくアンチ・マテリアル・ライフル、いわゆる対物ライフルとして使われるミリアットを掘り起こしてきたのだ。
多分にハイファが撃ちたい銃を持ち出したというだけでもあったが。
最初は伏射、次は座射で密林を切り開いた屋外射場の遙か遠い標的にハイファは外連味なく撃ち込んでゆく。距離ごとのスコープ調整を躰で覚え込むためだ。
ここばかりはファイバの地面ではなく押し固めた土そのもので、むっとするほどの湿気が立ち上ってくるのが感じられる。
この湿度のせいで火薬の燃焼効率が変わったらしく、やはりテラ本星の屋内射場で試射した時とはスコープの調整を変更しなければならなかった。
「それにしたってハイファ、お前すげぇな。もう二キロのド真ん中ぶち抜いてるぞ」
スポッティングスコープのアイピースから目を離し、シドは傍らに空薬莢の小山を築いているハイファに目を向ける。ハイファは微笑んでシドを見返した。
「貴方も撃ってみる? 体験しておいて欲しいし」
「おう、やってみるかな」
位置を交代してシドは伏射姿勢を取る。勿論ド素人ではないが長モノは久々、それもこんなデカブツは初めてだ。ハイファのアドバイスを受けて居銃姿勢を正した。
「銃身の延長線上より右脚はもう少しだけ左に寄せて。左脚はもっと角度をつけて開く。両脚とも力を抜く。あとは良さそうだね。反動が大きいから気を付けて」
バイポッドと呼ばれる銃の二脚と肘をついた両手で銃を三点保持し、右人差し指はトリガへ。左手はバレルカヴァー中央辺りを下から巻き込むように握り固定する。ストックの後部を強く肩付けした。
「十発のうち三発残ってるから。一キロ、行く?」
「ああ、頼む」
標的システムをハイファが操作する。現れたそれはスコープ越しでも豆粒より小さく見えた。銃口がブレぬよう呼吸を止め、心音に合わせてトリガを引けるのは十秒が限界だという。それ以上は脳の酸素が欠乏し精確な狙いがつけられなくなるのだ。
すうっと息を吸って止め、シドは黒い点のような標的に向かってトリガを引いた。
耳栓をしているにも関わらず、もの凄い轟音とマズルフラッシュだった。がつんと肩を押され跳ね上がった銃口を元の位置に戻してもう一度、呼吸を止める。先程のマズルフラッシュ、銃口から吐き出された火薬の燃焼炎で視界がチラチラしている。
ストックに頬付けし直して撃った残りの二射は全く自信がなかった。
「ふふん、見てみたら?」
その声色で結果は分かったようなもの、シドはスポッティングスコープを覗く。
「このミリアットで一射でも当ててきたのは、ちょっと吃驚だよ。残りも有効射じゃないけど標的は捉えてる。すごいね、シドも磨けば光るかもよ」
「チクショウ、こっちなら負けねぇんだがな」
立ち上がって旧式の標的システムを操作するなりレールガンをマックスパワー、連射モードで抜き撃った。有効射程ギリギリの五百メートル離れた標的にフレシェット弾は吸い込まれるように叩き込まれる。ホロでない標的の板が砕け散った。
「俺はやっぱりこっちだな」
「スコープもなしでこの人は……そっちの方がヘタな狙撃より、よっぽど怖いね」
「近場は任せて貰っていい。けどそれ、マズルフラッシュが派手すぎる。夜には向かねぇな。打ち上げ花火並みに目立つぜ」
「フラッシュハイダーもサウンドサプレッサーもついてないから。でもここ、みんなレーザーじゃなくって貴方が言うところの『クソ重い』旧式銃を使ってるよね?」
言われて辺りを見渡せば、この光学兵器全盛の時代に皆が皆パウダーカートリッジ式の撃発音を響かせて射撃演習に励んでいる。土の地面のそこら中に真鍮のエンプティケース、空薬莢が転がっていた。
「一部はプラ弾使用の制式小銃のサディM18ライフル、でもハンドガンは殆ど全部ルール・オブ・エンゲージメント抵触品のような気がするんだけど」
「敵の反政府武装勢力とやらもシールドファイバの戦闘服にヘルメットじゃねぇの」
「レーザーが効かないって? ゲリラがそんなにお金持ちかなあ」
「さあな。ところでこいつの調整はもういいのか?」
「うん。そのスポッティングスコープは今後、貴方扱いだからね」
二人してスコープと銃を持つと弾薬庫の隣の清掃室に入る。ハイファは念入りに銃を分解清掃してから再び組み上げ、今度はそのままソフトケースに仕舞って担いだ。
「さすがヲタだよな。その細い躰で簡単に扱いやがる」
揶揄しながらシド自身も商売道具入りのケースを持つ。
「二百発は撃ったか。肩、痛くねぇのかよ?」
「反動の逃がし方は分かってるからね。これくらいは平気」
そこでAD世紀の昔から変わらぬラッパの音が放送された。十三時半、昼食の合図だ。この惑星マベラスの自転周期は二十七時間十二分二十六秒で結構長い。
「では行きますか、ワカミヤ二尉」
「その呼ばれ方、なんかこうムズムズするんだよな」
「慣れておかないと駄目だよ。今はテラ連邦陸軍の士官殿なんだから」
「へいへい、ファサルート二尉」
「うーん。もう飽きてそうな、あーたが怖い」
◇◇◇◇
与えられたビジネスホテル張りの自室に戻り、荷物を置いて三階の士官食堂へ向かう。横並びでビュッフェ形式の食事を摂っていると向かい側に現在の直属上司・クラウス=ノーサム三等陸佐が腰掛けた。食事は終えたらしくコーヒーの紙コップを手にしている。
「ああ、食事を続けてくれたまえ」
二人は言われるままにフォークを動かし続けた。
「実はな……ヤン=バルマーが死んだらしい」
「……えっ?」
顔を上げてシドとハイファは、まだ付き合いも浅い上司を見つめる。
「前線司令部には十時間ほど前に第一報が届いていたらしいんだが、事実関係の確認に手間取ってね。どうやら病死らしい」
十時間前といえばまだ二人が本星を出る前、それこそ別室にいた頃だ。
「なら僕らはお役ご免ですか?」
「普通ならばそうなるだろうが」
と、ノーサム三佐は灰茶色の瞳を二人に向けて指に挟んだものを振って見せた。
「先程このプレゼントがダイレクトワープ通信で届いた」
テーブル上を滑ってきたのはMB――メディアブロック――のケースが一個。透明な五センチ掛ける二センチほどのそれには外部メモリのMBが四つ入っていた。
シドもハイファも思わず脱力する。
「って、またしてもこのパターンかよ……」
「……がーん」
「以降はわたしも関われない。自由に動いてくれて構わないが、大筋では一般兵士と同じくきみたちを遇することになる。多少の便宜を図れるくらいだ。では、頑張ってくれたまえ」
別室命令で動いていた現地の情報将校は空の紙コップを持って去っていった。
途端に不味くなったランチの間、二人はずっと無言だった。意地のように自室に戻るまでMBの内容は見なかった。
部屋に戻りデスクの椅子に前後逆に腰掛けたシドはポーカーフェイスの中にも隠しきれない不快感を浮かべ、煙草三本目でようやく口を開く。
「どうもあっさりとあの細目野郎が頷いたと思ったんだよな」
「確かにね。そろそろ心の準備はいいですかー?」
「コストの掛かるダイレクトワープ通信、見なくちゃ本星に帰してくれねぇんだろ」
「まあ、そうかもね。では」
MBケースから取り出した五ミリばかりのキューブを、二人はそれぞれリモータの外部メモリセクタに入れて開いた。小さな画面に浮かんだ文字を読み取る。
【中央情報局発:エクル政府軍側から反政府武装勢力側へ武器流出の疑惑あり。流出に携わる人物の特定・逮捕に従事し、今後の武器流出を防止せよ。選出任務対応者、第二部別室より一名・ハイファス=ファサルート二等陸尉。太陽系広域惑星警察より一名・若宮志度巡査部長】
「あああ~っ、何でこういうややこしいことはMPにでもやらせねぇかなあ!」
「ここの憲兵隊、ミリタリーポリスにも探れないモノだからこそのイヴェントストライカなんでしょ、きっと」
「お前ハイファ、ここでもそれを言うか?」
「う、ごめん」
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