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第1話(プロローグ)
「はあっ、はあっ……」
どれだけ走っただろうか。絡まる蔦に引っかかり、張りだした根に足を取られて何度転んだか知れない。多湿の地なのに喉がひび割れそうに渇き、息が血生臭かった。
鬱蒼としたジャングルの中、頼りの光は僅かに見え隠れする二つの月・ネージュとモース、それに星明かりのみだ。
左手首に嵌めてあった機器は取り上げられたまま、逃亡するために地図というものを調べて知り絶望しかけた。
元より確たる行き先のあてもなかった。ハックしたコンで調べた家は遙か遠い別大陸だった。だから驚くと同時に絶望しかけたのだ。
研究所のコンを手懐けるのは簡単、難しかったのは人の目を誤魔化すことだった。だが訪れた千載一遇のチャンスを逃すものかと飛び出したのはいいが、やはり無謀だったと思い知らされるまで幾らも掛からなかった。
(屋上のBELの一機でも盗めば……ううん、それこそとっくに墜とされてる――)
BELは反重力装置を搭載した垂直離着陸機だ。電子制御だから自分には操縦など容易いが、レーダーの追尾をクラックし続けるのは大声で叫ぶのと変わらない。
日が昇れば飲める水を滴らせる蔓も食べられる球根も探せる。
お母さんに教わったのを忘れてはいないから。
そう思って、自分に思い込ませてあの電子の檻から、自分を実験動物扱いする奴らから逃げた。だから身ひとつで走って走って走り抜こうと決めたのだ。西に向かえば村がある筈……五十キロも先に。
しかしそれがどれだけ過酷なことか今、身を以て味わっている。
追っ手が今にも背を、髪を掴むのではないかと焦り怯えて膝が震えた。それでも叱咤して走ったが躰は疲労で思うように動かずもう限界だった。
歩調が落ち、足を引きずり歩き、とうとう何かの葛につまずいて転び、そのまま起きられなくなった。
俯せのまま下草を握り締めて力を込めたが座ることすらできない。
怖くて堪らない。
怯えが脈を速くし横たわっているだけでも息が上がる。血の臭いに似た緑の香りを大きく吸い込むと悲しいまでの無力感に目を閉じた――。
どうやら気を失っていたようで、次に唇に当てられた固く冷たい感触に驚愕する。咄嗟に攻撃的意識で周囲を走査した。殆ど同時に穏やかな色を浮かべた目と視線が合う。頷かれて傾けられた水筒から溢れ出る水を貪るように飲んだ。
それを自らに与える者が何者であってもいい、追っ手でも構わないとすら思った。
辺りは既に黎明を迎え、ねっとりと下草を覆う重い霧の中で自分を支え起こしてくれたのがラボの人間とは違うことに水筒半分の水を飲み干してから気づいた。
若い男はラボの警備兵のような戦闘服のズボンを身に着けてはいたが、上は汚れたTシャツで髪は冴えた銀髪だ。それが肩まで届き額にはバンダナを巻いている。
「ありが、とう。……こんな、ところで、貴方は、誰?」
「お前こそ……いや。それよりお前なのか、俺のこいつを壊したのは?」
男は左手首に嵌った、狂った数字を乱舞させている機器を振った。
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