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イヤホンから耳に流し込んでいる歌は、明日死んじゃっても後悔のない今を生きて、って歌ってる。
もうすぐ大学を卒業するという頃になって、これまでの人生には様々な問題があることに気づいた。
一番の問題は、恋人がいないこと。
そしてそのほかに、やりたいことがないこととか、未来に希望を抱けないこととか。そんなネガティブなことが回転ずしみたいに頭の中をぐるぐるしていた。
嬉しいことに就職先は決まっているけれど、なんとなく「内定もらえたしここでいっか~」なんて感じで決めてしまったから、冷静になってみるとちょっと怖い。
想像力が逞しいだけかもしれないけれど、三年後くらいには「転職だー!」なんて泣いて喚いている気がする。
何かひとつでいい。たったひとつでいいから私は、明日死んじゃってもいいと思えるような、「やりたいこと」に取り組みたいと思った。
ぐるぐるぐるぐる考えた。
そして――閃いた。
そうだ、楽器屋さんへ行こう。
私は小さい頃から歌が好きだった。歌番組の時間だけは、テレビの前から離れなかった。好きなアーティストを見つけると、雑誌を買ったりもした。それがたとえ、弾けないギターの雑誌でも、だ。
ノリと勢いで飛び込んだ楽器屋さんには、私にはとても触れられないような気品あふれる楽器が優雅に並んでいた。場違いだ、とすぐに思ったけれど、何となく逃げずにとどまってみる。ここで逃げたら、明日死んじゃったとしたら、後悔すると思ったから。
店員さんに営業トークをかけられたけれど、店員さんとてバカじゃない。『ああ、コイツは冷やかしか』とでも思ったか、「不明な点がありましたらお声掛けください」と明るく言って、持ち場へ帰って行った。
一人になると、落ち着いた。場違いだって、私は今、自由だ。
じぃっと見て回る。ふと、足が止まった。
かつて私にギター雑誌を買うきっかけをくれたアーティストが持っていたギターに、すごくよく似たギターがあった。瞬間、これにしよう、と思って値段を確認して、やっぱやめよう、と思った。これから就職してもらうだろう初任給よりも高かったのだ。
さすがに今これを買ったら、明日死ぬ前に、今日後悔しそうだと思った。だからやめた。
「あの、これっぽいやつで、安いやつないですか?」
さっきの店員さんを捕まえて、聞いてみた。店員さんは、それなら、と似たようなギターをふたつ見せてくれた。
あたしはぐるぐる考えた。どの選択肢が一番、私が後悔しない選択肢だろうか、と。
店員さんは高い方を売りたそうにしていたけれど、私の反応がふわふわしていたせいか、安いほうを推し始めた。私はふわふわぐるぐる考えて、高い方を買うと言った。店員さんは、小さな雷に打たれたように、身体を一瞬、びくりとさせた。
ギターを手に入れた。これで明日死んじゃっても、私は後悔しないはず。そう思ったのだけれど、欲というものはぶくぶくと膨らんでいくものらしい。
ギターを手に入れた今、私はステージに立ってみたくなった。
別に、武道館とかじゃなくていいのだ。そのへんの小さなライブハウスで、赤飯に混ざってる豆粒みたいにぽつぽつとしかお客さんがいなくてもよくて。
ただ、憧れたアーティストみたいに、ギターを抱えてスポットライトを浴びてみたいと思ったのだ。
思い立ったが吉日。SNSをチェックした。バンドメンバー募集をしている投稿を漁った。
好きなアーティストが似ているアカウントを見つけると、即――と言ってもメッセージを考えるのに何時間もかかったんだけど――応募したいと連絡をした。
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