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6
いざ、暗色の箱の中に身を投じた。
この場所で光り輝けるのは、演者だけ。
たまたま隣になった人は、ひとりで来たみたいだった。
ちょっと暇そうに、耳たぶを引っ張ったりしてる。
私もひとりで来たから、けっこう暇だった。
――明日死んじゃっても、後悔しない?
自分で自分に、問いかける。
どうせ、たまたま隣にいる人なんだし。これからずっと一緒にいる人ってわけじゃないんだし。失敗したって、別にいいよね。話が弾んだら万々歳ってことでさ。
「誰推しですか?」
声を、掛けてみた。
――私って、こんな感じだったっけ?
自分で自分が分からなくなるくらい、ごくごく自然に話しかけていた。
「え? あ、ああ……キーボードのエリ、かな?」
「良いですよね、エリの演奏」
「あなたもエリ推し?」
「まぁ、はい」
「ねぇ、知ってる?」
隣の人が、ちょっと顔を近づけてきた。ひそひそ話の距離感。ちょっと緊張する。引き出しを準備してない。だけどなんだか、今の私なら、平気な気がする。
「エリがバンドメンバー探してた時にさ、何を思ったか、カフェでお茶したことがあるらしいよ」
「え?」
「スタジオで演奏を聴くとかじゃなくてさ、カフェでお茶して話しただけの子がいるんだって」
私のことだ。
「ギターの人らしいんだけどさ。その子がもしバンドに入ってたらさ、どうなってたんだろうね。もっとデビュー、速かったりして」
「そんなこと、ないですよ」
「ん?」
「デビュー、出来てなかったかも」
隣の人の顔が、苦い顔になった。
「だってその人、ギター下手だし。今でもろくにギターソロ弾けないんですよ。ちょっと難しいやつにようやくチャレンジし始めたくらいで」
「ごめん、その……。知らない人のことを悪く言うのは、良くないと、僕は思う」
はっきりとした、口調だった。
「すみません。でも」
「でも?」
「そのギターの人、知ってる人、っていうか、その……」
「知ってるの? 幻のギターメン」
「その……あの……私、なんです」
「え……え?」
「エリとカフェでお茶したギターの人、私です」
ライブの幕が、開いた。
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